見出し画像

意見の異なる人

自分と意見の異なる人がいた場合、無理に話を合わせたり反論したりしなくても、「ああ、あなたはそう思うんですね(私とは意見が違いますが)」という視点があってもいいと思う。

広い世の中、自分と違う意見の人がいて当たり前だし、近しい関係にある人とだって主義主張が異なることは当然ある。

大事なのは意見が違うからと言って人格否定されているわけではないと理解すること。違う意見を持っているだけで相手を敵とみなさないことだ。

日本語の「なるほど、おっしゃることはよく分かります」という言葉に「私はあなたに同意します」が含まれると考える人が時々いる。

例えば、ある人が「あなたの言っていることはちょっとよく分からないな」と言う時、"I don’t understand what you mean." という文字通りの意味でなく、「私はあなたに同意できない」(I don't agree with you.) を指していることがある。

ここを混同するのは、「相手を理解する=相手の意見に同意する」になっているからだ。

相手の話を聞く時に、必ずしも同調しなくてもいい、という認識で聞けることは大切なことだと思う。「受け入れる」と「同調する」は異なる。

この、「同調できないのに相手のことを受け入れている」という状態のことを理解できない人が多く、「あなたの言うことは理解できます」と言われて同意してもらっていると考える人は意外に多い。また、反論されると理解してもらっていないと考えて落ち込んだり怒ったりする人も意外に少なくない。

この「お互いの違い」を理解することが相互理解への第一歩だと思うのだが、とにかく自分に同調してもらわないと落ち着かない人はここで「ちょっと何言ってるのか分からない」を発動してしまう。

いや、本当は意味は分かっているんでしょ、同調できないだけでしょ、と思うのだが、この「理解と同意は違う」というのも私の個人的な意見であるので、それを押し通すことは「理解と同時に同意を強要する」ことになる。そう思って、心の中でそっと「ああこの人も、理解と同意の区別はしてない人なんだな」と思うことにしている。

このようにして考えるようにすると、意見の異なる人との間で大きな喧嘩にもならないし、自分のストレスも減る。常に相手に同意しろという意味ではない。すべての人とお互いに同意し合うことなど無理だと認識し、そんなことができると思うのがそもそも傲慢なんだと考えれば、「自分ばかり人に意見を譲っている」と不満を溜めることもない。

人と自分の意見は違っていてもいいのだ。「あなたはそう思うんですね」の視点は平和をもたらす。

(そうは思わない、という意見があってももちろんOK)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?