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なぜ「障がい福祉」という「仕事」に辿り着いたのか ①

【 前書き 】

まずはじめに、これから書くことは「不幸自慢」でもなければ「単なる自慢」でもありません。読んでいて不快になられたら、読むのをやめてください。

私は今休職中です。
今までの考え方や物事の捉え方を振り返り、これからどう生きていくのか‥を考えるためにありのままを書いています。
「不幸自慢」とまではいかなくても、そらくらいに捉えていた事もあります。それもありのままに。

文字に記していくことで、これからの自分の生き方が見えてくると考えています。私自身実は苦しい、もしくは自分に言い聞かせる作業になると思います。でも、これが私に必要な治療なのです。
たぶん‥

以上をご理解の上、お読みいただければと思います。

第1章「福祉との出会い」

【 夢のない大学生になる 】

私は福祉系の大学に一浪して入学しています。

なぜ一浪してまで?
高校は進学校でしたか、実は大学受験を放棄して就職するつもりでした。

が、当然進学すると思っていた親が許す訳もなく。
父親は何とか説得できたものの、母は断固反対。一浪でもいいから4年制の大学に行くよう、私を予備校に入れました。まぁ、逃げればよかっただけですけど、一人で生きていく知恵がなかった私は従ってしまいました。

母がなぜ4年制の大学にこだわったのか?
自分が短大卒で、それがコンプレックスだったから。これからの時代は女性も4年制の大学を出て、資格をもって働くもの。私はどちらもできなかったから、あなたにはそうなって欲しい。

あるあるですかね?
自分の夢を子どもで叶えようとするやつ。
今思えば、4年制の大学でて資格とったのは私。あなたでないけど、なんか満足したの?と思います。

卒業と同時に社会福祉士を取得しました。もちろん、大学に行くからには自分なりにどこに行くかは考えました。在学当初は福祉業を目指していた訳です。しかし、3回生になり実習が始まったり、当時は高齢分野が結構メインだったりで、徐々に介護の現実に自分に人や、その人の家族の人生は背負えない。そう思っていきました。

同期生たちは、精神科の相談員(精神保健福祉士)を目指していたり、総合病院の相談員(MSW)を目指していたり。当時まだ法律も施設なども整備されていない障がい福祉分野を切り開いていくんだ!と、キラキラしている人もいました。(現在本当に切り開いていて、再会した時は驚きました)
もちろん、一般企業など別の方面に舵を切った人もいました。でも、どんどん目標が決まっていく同期生たち、そんな中私は福祉に向かないどうしよう‥

3回生はわりと授業も少なかったので、家庭教師のアルバイトに明け暮れてた気がします。サークルには入らず、いや、入れず?アルバイトと甥っ子のお預かりでほとんど遊ぶことはしてません。大学で楽しかった思い出は?と聞かれても、1つも出てきません。

4回生の頃は卒論と国家試験の勉強に熱中していました。が、就職活動はしていませんでした。国家試験に合格しても、それを使って就職する気になれず。やりたいことも見つからず。

【 先の見えない就職 】

しかし、とりあえず生きてくだけのお金は必要なので、20代はほぼ非正規の仕事をしていました。

でも、福祉を完全にあきらめていたわけではなかったんです。心の奥底に、「介護は難しい、ならどんな分野ならできるのか」。誰にも相談したことも打ち明けたこともなかったですが。
なので、非正規で働く時に唯一決めていたこと。

「多くの色んな人が利用する場所」

いつか、人生で一度は福祉で働く機会があれば、きっと役に立つだろう。と、人間観察的な目的で。

乳幼児、学生、大人、社会人、ホームレス、障がい者、クレームのために孫を連れて来る老人‥
本当に色んな人がいるんだなぁ、、と、この時の経験は大きかったと思います。

【 仕事を辞める 】

そうこうしているうちに、20代後半で結婚。と同時に他市での生活になるため退職。子どもにも恵まれ、育児と家事に専念することに。
それなりに幸せであったと思いますが、そんなことを考える余裕もなく、わからない育児に日々必死でした。

母子手帳にはいつも「発育不良」の文字、看護師さんや市の保健師さんから栄養指導を何度も受けましたね。教えられることはとうに試し済み。私が食べさせてないと思われてたのかな?めっちゃ色んな料理試しても、ほっとんど食べない。
「どうしたら食べるのか」を、教えて欲しかったのに。今思えば、食べたくないから食べない、ただそれだけのこと。誰か教えてくれよー。

表題のの写真は必死に離乳食を食べさせている私。笑顔すらない。一緒に食べてもない。そりゃ、子どもも楽しくも美味しくもないわな。と、今ならわかるんですけどね。

が、多忙でほぼ不在の夫、親戚も知り合いもなく幼い娘と二人の日々。勝手に追いつめられた私は、ついに育児ノイローゼになりました。

【 その時がきた 】

しかし、ついにその時がきました。
福祉に携わる時が。
育児ノイローゼなのに?

「家事育児に専念せず、知り合いも居る地元に戻って、仕事をした方がいい」そんなアドバイスをもらいました。

気づいてはいましたが、私は「自分に完璧を求める」ことと、「人に言われたことを気にしすぎる」。育児しかも1人目、わからないことだらけで完璧にできるわけもなく。育児に手を抜けないなら、家事を適度に適当にするしかない。そんな考えも浮かばず、とにかくどちらもちゃんとさなくちゃ!に、とりつかれてました。
理由はなんとなくわかってました。

「だって、仕事をしていないから」

そう、誰も責めてないのに。
自分で自分をどんどん追いつめていたのです。

毎朝公園に散歩、私がどんなに体調が悪くても。ご飯は決まった時間、、などなど。
子どもが食べたいか、よりとにかく体重を増やさなくちゃ。

子どもには悪いことをしたなぁ、と思ってます。
でも、今は後悔よりも、同じように悩んでいるママさんにもし出会ったら、ちょっと力になれる気がします。

【 決断の時 】

家族で話し合い、仕事をした方がいいとの結論に。
決まってからの動きは早かったです。

一足先に地元にコーポを借りて子どもと引っ越し、家探しと同時に職探しもはじめました。
数ヶ月夫とは別居。夫も転職を決め後から引っ越してきました。

そして、私が地元に帰ると聞いた知り合いから連絡が「今働いてるところで社会福祉士を探しているんだ、非正規だけど子育てと両立しやすい、試しに面接を受けてみないか?」

迷いませんでした。
即決で「受けます」と返事。
数日後には面接、その日のうちに採用決定。

即決の理由は?

「障がい福祉分野」だったから。

長くなってしまいました。
この続きは次回ということで。

【 番外編 : みやこの台所 】

昨日の晩ごはんはわりとスムーズに作れました。午前中は体調あまり良くなかったのですが、午後は落ち着いてきたので、スーパーにも行けました。

やはり目がいくのは「◯割引」。
少しずつ多めに買って保存しておくこともできたりできなかったり 笑

豚ともやしときのこの蒸し物 (ラップしてチン)

さわらの煮魚 (こちらも4割引)

お味噌汁

昨日の夕食時、母(私)の料理で何が好き?という話題になりました。まさかの3人一緒、ダントツ1位。バラバラだと思っていたので驚いたけど、自分でも得意料理を聞かれたらこれを答えていたので嬉しかった。何かと言うと‥

「だし巻き玉子 (玉子焼き)」

色んな方にも召し上がってもらいましたが、「ご飯に合うだし巻き玉子」、「売れる」、なんて言ってくれた方もいました。本当に人気なんです。とても簡単な料理、簡単だからこそ味がごまかせない。

いつか「売れる」機会があれば、召し上がっていただきたいですね。

さぁ、明日はどう生きよう。

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