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当事者の自分、支援者の自分

プロフにもある通り、つい先日まで休職してました。

そんな私にも夢があります。

2020年7月に心身ともに壊れ、廃人のような状態も経験した私。そんな私にも夢なんて、できるもんなんです。

今は約5ヶ月間の休養を経て、12月からぼちぼちと復帰。働かせてもらってます。

それでも私は福祉的に言う、『当事者』になった訳です。

支援者が当事者?大丈夫?

聴こえてきそうですが、私はこの経験は無駄ではなかったと受け止めています。

『消えたい』と本気で思ったこと。
「死にたい」ではなく『消えたい』
これ、とても意味があるんですよね。
なってみて本当に気持ちがわかりました。

わかりやすく言うと、
『吹き飛ばされる砂のように消え去りたい』
痛みも苦しみもなく消え去りたい。
皆さんも、そんな気持ちになった事ありませんか?

で、話をつづけると
心療内科に通ったり、利用者のみんなと同じような薬を飲んだり。これって、誰でも経験することじゃない。
もちろん、経験しなくてすむなら、そりゃしない方がいい。

障がい福祉に携わっていると
『経験したことのない人には分からない』
まあ、言われます。ご本人にもご家族にも。

そりゃそうです。
その当時『本当の意味でわかるとは言えない。わからないことの方が多い。けど、わかりたいと思っている』そう伝えてきました。
当時はこれが本音、本心。
簡単に『わかる』なんて言えない。

今の私ならどうか?
それでも、簡単に『わかる』とは言えない。同じ気持ちを抱いても、その後の気持ちの整理は人それぞれ。同じ薬を飲んでいても体調は人それぞれ。

けど、経験したことで、私の支え方は変わってくるはず。なにより、今までは簡単に言えなかった『わかるよ』が、ほんの少し言える。そして、きっと相手への響き方も変わってくる。(はず。)

私の場合、性格的なものも大きく関わってます。0か100か、白か黒か。家庭も仕事も完璧でないと、自分を責める。人のせいにはしません、代わりに全て自分でしようとして全て自分の責任。まあ、不器用というか、面倒な性格というか‥

けど、生まれた時からそうだったのか?
おそらく、そういう気質はあったのでしょう。でも、たぶん生きてきた環境が大いに関係しています。詳しくは省きますが、生育歴って大きいなぁ、なんて思います。

職場の利用者さんにも、育った環境が彼らを生きづらくしたのかな?という場面に、ままでくわします。

大人の顔色を伺い、怒られないためにいい子を演じる。気持ちを伝えたくてもその隙さえ与えられない。

『失敗することを許される環境』
『失敗しても絶対的に愛情を注がれる』

経験してきていれば、、と感じること、自分自身も含め多くを目にしてきました。


話がそれましたが、完治できない病気や障がいの場合、それらと付き合い続けて生きていく訳です。
私の場合『神経症性』つまり、その昔はノイローゼと言われ、最近は不安障害とか言われてる状態。付き合い続けていかねばなりません。

けれど、始めにもいいましたが、無駄な経験ではない。今まで自分を認められなかったけれど、もはや見つめ直すというか、弱い自分を認めざるを得ないのです。

苦しいですね、弱い自分を曝け出すこと。
けれどそれができた時、私はもっと楽にムダな力を抜いて生きていけるきがします。

当事者、支援者、がっちり線引きする必要ないと思ってます。

ただ、一つ強く感じたこと。
『支援者にも支援者が必要なこと』

支援者だって一人の人間、悩みが無い訳ない。
相談したくても、私のように変なプライドなのか、相談なんてしたことなく、一人抱え込んでこんなことになる‥
なんて、きっとたくさんおられる。

支援者の相談先、支援者の居場所
実はめちゃくちゃ必要です。

熱心な支援者さんが、現場を離れて行くのも目にしてきました。
もったいないですよね?

信頼関係築いて、この人なら!て支援者を、当事者やその家族は失う。
また一から自分たちを支えてくれる人を探さないといけない。いや、探そうとされるならまだありがたい。もう頼る人を探すのを諦めてしまわれる人がいたら、悲しすぎます。

私は『誰でもの居場所』作りたい。
なんて言ってますが、支援者さんもフラッと寄れる、そんな場所にしたいなと強く思ってます。

当事者、子ども、高齢者、地域住民、企業の方、支援者、何の垣根もなく、肩書きも関係ない、とことん誰でもの居場所。

そんなものが作れるのか?
それは今の私には夢物語かもしれません。
けれど、必ず必要だと思ってます。
そして、必ず生きてるうちに実現したい。いや、します。

まずは仕事にしっかり復帰が先だろ!
と、各方からお言葉が飛んできそうですが‥
(↑ご心配がゆえのお言葉です。)

お前にできるのか?
と、もっと多くの人に言われる、笑われるかもしれません。私のようになる前に愚痴れる場所、普段の悩みを語れる場所、肩書きを外して1人の人間としてホッとできる場所。作ります。

そして、失敗しても絶対的な無償の愛に包まれる場所を。

『消えたい』
そう思ってしまう人を一人でも減らしたい。
『生きててよかった』
そう思う人を一人でも増やしたい。

家族しか愛情注げない訳じゃない。
愛情には色んな形がある。
その愛情を受け止めて、今度は自分が誰かに愛情を込める。注ぐ。

そんな連鎖の生まれる場所。

まだまだ頭の中はぐちゃぐちゃで、思いついた事をバラバラ書いてます。
少しずつ整理して、現実のものにしていきたい。

社会的にも個人的にも色々あった一年でしたが、今年の締めくくりに書き残しておきたかった事。書けてよかった。

長文にお付き合いいただいた方、ありがとうございました。

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どれだけ先になるのかはわかりません。
けど、見届けて、時にはお手を貸していただけたら嬉しいです。
そして、できたあかつきには遊びに来て欲しいです。

それまで、忘れないでくださいね!
こんな奴が居ることを。

2020年の投稿は最後かな?

おしまい

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