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【プロ野球開幕に寄せて】なぜ仙台在住なのに埼玉西武ライオンズを応援しているのか?

いよいよ明日からプロ野球が開幕します。まさか開幕が3ヶ月も延びてしまうとは年の初めには全く予想していませんでしたが、まずは開幕の日を迎えられることを嬉しく思っています。来週からはいよいよJリーグも再開(J3は開幕)なので、私も仕事が忙しくなりそうです。

何度か事あるごとに説明しているのですが、私が仙台在住にもかかわらず、埼玉西武ライオンズを応援している理由をよく聞かれるので、改めて説明したいと思います。

1.1983年の日本シリーズ

きっかけは幼少期、1983年の日本シリーズをテレビで見たことです。球界の盟主として、毎日のようにテレビ中継があった読売ジャイアンツと対戦した西武ライオンズ。死闘を演じ、第7戦までもつれたシリーズを西武ライオンズが制し、2年連続日本一を達成したことを覚えていらっしゃる方も多いかと思います。子ども心に球界の盟主を倒した西武ライオンズが単純に好きになったというのがきっかけです。その後我が家でビデオデッキを買った際、「がんばれタブチくん」や「プロ野球を10倍楽しく見る方法1・2」(1で1982年の日本シリーズ、2で1983年の日本シリーズが特集された)などの映画を録画して見て、ますます西武ライオンズが好きになった次第です。

2.好きだった選手

1980年代の西武ライオンズは廣岡達朗さんや、森祇晶さんが監督となり、黄金時代を迎えます。当時の選手はみんな好きで、いちばん強かった時期のクリーンアップである、秋山幸二さん、清原和博さん、デストラーデさんの3人は本当に頼もしい限りでしたし、投手陣の安定感も素晴らしいものでした。しかし、振り返って誰がいちばん好きだったかな、と考えると、辻発彦さんだったかなと思います。1番セカンドとして定着した辻さんは、足が速くて、守備が巧くて、バッティングも技巧派でした。加えて、当時の知的な西武野球のよき理解者であり、頭脳的なプレーで活躍していたのを、よく覚えています。

この頃読んでいた芳文社の「まんがスポーツ」(現在は廃刊)という漫画雑誌に「どんまいアキラ」という連載がありました。主人公のアキラは野球に打ち込んでいましたが、長打力が無いことを悩みとしていて、やがて当時阪急ブレーブスで活躍していた福本豊さんに憧れ、足を生かした選手として活路を見いだしていく…というあらすじだったかと思います。そうした影響もあって、足を使える選手が好きだったのはあるかもしれません。

スポーツを知的に捉えることの大切さを知ったのもこの時期です。森監督の知的裏付けに基づく野球は本当に楽しかったですし、その理解者であった辻さんもまた大好きだったのです。

3.野球ファンをやめた時

小中高とラジオやテレビで野球と接してきたのですが、高3の時Jリーグが発足しました。私の地元である静岡県静岡市清水区(当時清水市)にも、清水エスパルスが誕生し、Jリーグブームが起きました。

もちろん地元チームだったので、Jリーグも見るようになり、清水エスパルスを応援しました。それでも野球への興味は失うことなく、プロ野球も見ていました。

しかし、この頃から西武ライオンズの黄金期は終わりにさしかかります。好きだった選手が、一人また一人と移籍していきます。1993年の日本シリーズで野村克也さん率いるヤクルトスワローズに勝てなかったのは、一抹の寂しさを感じました。

1994年に東北大学に入学し、宮城県仙台市へ引っ越し。当時はブランメル仙台の立ち上げ当初ということもあり、周囲のサッカー熱があまり高くなかったこともあって、引き続き野球もサッカーも見ていましたが、少しずつ好きだった西武ライオンズの面影が消えていったことで、高校生までのような野球熱は無くなっていきました。

それでも1997年に東尾修監督で優勝した年は、宮城球場に西武ライオンズが来た時、応援に行きました。この時の優勝は嬉しかったです。

翌年1998年、東京農工大学大学院への進学と共に、念願の西武ライオンズファンクラブに入りました。しかし、春先に試合を生で見に行ったものの、今ひとつ面白さを感じることができませんでした。この年、長年西武ライオンズに尽力してきた、辻発彦さんがヤクルトスワローズに移籍したのも大きかったのです。

代わって夢中になったのはサッカー観戦でした。Jリーグの面白さを実感し、初めてワールドカップに出場したことで、これからはサッカーの時代だ、と思うようになりました。かくして、いつの間にかプロ野球への興味は薄れ、サッカーだけを観るようになっていき、2006年からは仙台でサッカーの取材を仕事にするようになりました。

4.20年ぶりに埼玉西武ライオンズファンに

サッカーを観るようになってから、プロ野球にはほぼ興味の無い生活を送ってきました。そんな中、久しぶりに野球に興味を持つようになったのは、2016年の秋、長らく球団を離れていた辻発彦さんが、埼玉西武ライオンズの監督に就任したことです。

埼玉西武ライオンズがなかなか成績が上がらない状況であることは知っていました。「辻さんが監督ならば、チームは強くなるかもしれない」と思うようになり、少しだけプロ野球への興味がわいてきました。

翌年2017年、埼玉西武ライオンズは夏の炎獅子ユニフォームで快進撃を見せるなど、明るいニュースが出てきたこともあり、球団のSNSを見るようになり、予想通り辻監督がチームを強くしていることに嬉しくなりました。

その後辻監督の著書を読みました。ヤクルトスワローズに移籍後、野村克也監督の下、再生できた経験、そして中日ドラゴンズで落合博満監督の下、コーチを務めた経験について書かれており、昭和から平成の名将たちと仕事をしてきたからこそ、辻監督が結果を出していることが分かり、応援したくなりました。

そして、プロ野球ファンに戻る決定的な出来事が起きたのは2018年。DAZNでプロ野球11球団の中継が始まったことです。開幕から埼玉西武ライオンズが快進撃を見せていると知り、実際にDAZNで試合を見てみたら、本当に面白くてすっかりハマってしまいました。気づいたら埼玉西武ライオンズファンクラブに申し込みをしていて、この年だけで7~8試合は生観戦しました。

かくして、20年ぶりに埼玉西武ライオンズファンに復帰しました。辻発彦さんが、西武に戻ってきてくれて、野球の楽しさを発信してくれたことで、私もプロ野球ファンに戻ったのです。

5.2年間埼玉西武ライオンズを応援して

こうして2018年から2年間、埼玉西武ライオンズをファンとして応援しました。幸いにして2年連続リーグ優勝することができ、楽しく応援することができました。選手の名前も主力はおろか、期待の若手まで、だいぶ覚えました。

昔の黄金期の強さが、ずっと記憶に残っていましたが、今の埼玉西武ライオンズは別の楽しさがあります。若い選手がみんな楽しそうに野球をしていて、それをにこやかな表情で見守っている辻監督を見るのが、とても楽しいのです。

今は福岡ソフトバンクホークスがとても強くて、なかなかクライマックスシリーズで勝てず、日本一になるのはなかなか難しい状況です。投手力が厳しい上、FAなどで毎年のように主力選手が抜けてしまう、球団の厳しい状況もこの2年間で知りました。

しかし、生え抜きの若手を大切に育てるのは昔と変わりませんし、そうした選手がのびのび楽しそうに野球をしているのを見ているだけで、こちらも楽しい気持ちになります。今後も成績の上がり下がりはあるでしょう。それでも、この楽しい雰囲気が保たれれば、きっと今後も応援できるだろう、と思います。

辻監督が知的に野球を捉え、采配を振るっているのもよく分かります。数多くの名将と仕事をして、様々なことを吸収し、素晴らしい指揮官となって埼玉西武ライオンズに戻ってきてくれて、本当に嬉しい限りです。

私は仙台に住んでいるので、そう何回も応援には行けません。でも、静岡に住んでいる時から西武球場は遠くのあこがれの場所だったので、メットライフドームとなった今も、遠くのあこがれの場所であるのが良いのです。

仙台には今、楽天イーグルスがあります。楽天イーグルスの選手たちが、東北の人たちのために一生懸命プレーしていることは、仙台の各種報道で知っています。ですから、楽天イーグルスが嫌いなわけではありません。仙台で育ってきた家内からは「楽天を貶めるようなことは言わないでほしい」という条件で、埼玉西武ライオンズを応援することを許してもらっています。サッカーは見ることが仕事となったため、家内と一緒に見に行くことはできませんが、野球は「ファン」なので、家内と見に行けるのがとても嬉しいです。

球団名に埼玉と付いて、地域密着の努力を重ねているので、今の埼玉西武ライオンズは埼玉の人たちのもの、西武線沿線の人たちのものだと思っています。ですので、球団のあり方とか、強化のあり方に、何か言うつもりもありません。私は今後も一ファンとして、主にDAZNを通じて、埼玉西武ライオンズが勝ったら喜び、負けたとしても、また次頑張れば良い、と気持ちを切り替えることにしています。

イレギュラーな年となった今年も厳しい戦いが待ち受けています。しかし、名将辻監督と、若くて才能のある選手たちが、楽しく野球をやってくれれば、自ずと結果はついてくると思います。今年もファンとして、埼玉西武ライオンズ、辻監督、選手たちを応援いたします。

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