見出し画像

大学時代の総合野外活動〜キャンプファイヤーを思い出す〜

担当教官、束原先生の言葉

今日、大学時代の総合野外活動とそのキャンプファイヤーを思い出すことがありました。
平成14年のことです。
翌年はスタッフもやりました。
平成14年は2002年とすぐ思い出せます。
理由は突発性難聴になった年で、それがサッカーワールドカップの日韓共催のロシア戦の次の日、6月11日、バスケットボールの授業のあとの教育心理学の授業と覚えているからです。
20歳です。
6月11日に突発性難聴になったので、夏休みの実習まであとわずか。
耳も万全でないので、参加するか迷っていたところ、友人の励ましもあって参加したのです。

今でもとってある授業資料

今でも授業資料がとってあります。
一生物です。
当時の担当教官、束原先生の言葉のメモも残っていました。

6/24(火)
20年もこのプリントを使い続けること
ここに書かれていることのさらなる強調必要
by束原

総合野外活動の授業にて
授業資料
拡大

束原先生は20年間このプリントを使っている。
20年前、授業を受けた僕は今このプリント見返している。
40年物。

大きな火が一般のキャンプファイヤのイメージとして定着

総合野外活動の授業にて

自然を生かした指導の必要

授業資料

「日本の野外活動が、スポーツ進行法の枠の中に位置づけられる」ことによって「体育教師がその指導にあたる」こととなり「花が咲いても、鳥が歌っても、ピッピと笛を吹き、スピーカーで大量動員をはかる自然不在のプログラム展開が大真面目に行われた」(柴田1994)

授業資料 柴田敏隆、1994、野外活動と環境教育、キャンピング、Vol.45,p.2

ここでは価値判断は行いませんが。
中学時代は高原学校でみんなでフォークダンス型でした。好きな子の前でオクラホマミキサーが止まりました。楽しかったです。
大学時代のキャンプファイヤーは厳粛な雰囲気の中で、人工的な演出はありませんでした。
エールマスターなど役割分担があり、起承転結があり、アニマルタイムにも配慮し、不思議な感じでした。感動したので翌年はスタッフとしてマネージメントしました。

総合野外活動は僕の中で生き続けています。
表紙の写真は、野外活動で助役(当時、村長や助役など役割を決めてキャンプを運営)をやったときの記念品。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?