3度聞いて、1度微笑む
子どもを産んで、それと同時に母親デビューして、まず驚かされたのが...
「ママ」の世渡りって難しい!ってこと。
世に言う「ママ」は、とにかく気をつけるべきことが多くて、「ママ」じゃない時分から地雷を踏みがち(よくいえば天真爛漫)な私は、数多の失敗に凹む毎日です
どんな失敗かというと...とにかく失言がおおい。
いや、わたし自身がそもそも失言しやすいタイプなのは認めたとしても、子育てというジャンルはとかくセンシティブになりやすいものなのか、雑談における禁忌肢がとてもおおい。(言い訳ですね、ごめんなさい)
最近してしまったとても悲しい失言(1)
エレベーターで開けるボタンを押してくれてた2児のママに対して、
「ご親切に有難うございます。あら、お兄ちゃんはとてもお利口にベビーカーに座ってますね。もしかしたら同級生かもしれませんね」
と、とても愛らしいとばかりに目を細めて賛辞したところ、
「あはは、、、どうも。この子は女の子なんです。そして4歳です。」
※性別と年齢は迂闊に聞くもんじゃありません
最近してしまったなにかずれてる失言(2)
スーパーのエレベーターを待っていたら、ベビーカーをもった美人で繊細そうなママが、救急隊のような切迫感で、こう話しかけてくるのです。
「もうお座りします?!」
「うちの子は生後6ヶ月なのですがまだお座りしなくて」
「とにかくもう本当にお座りしなくて!!」
(なんだかこの人不安そうだな...きっとまだお座りしてなくて焦ってるのだろうけど、そんなピリピリしてたらさぞしんどいだろうに)
「たしかに日本の小児科学会では生後7ヶ月前後でお座りをするとされていますが、それはあくまで目安であって、またモンテッソーリ教育とかではハイハイのあとの生後10ヶ月頃にお座りがくるという発達段階表みたいなのをだしているので...いよいよ〝お座り〟とは何かって、最近よく思うんですよ」
「....はぁ」
変な人に絡んでしまったといった表情で、そそくさと去っていってしまいました。かなしい。
※求められていない余計な情報提供はしない
最近してしまった奥深い失言(3)
先に言っておくと、このケースはとても学びが多かったです。
その学びとは、育児法や教育法についての話題は、本当に本当に本当に(✖️100!)気をつけて言及すべきなようです。
わたしは、自分の体質や育児のしやすやその他の観点から、母乳育児を取り入れてます。そして別の育児法(混合や完全ミルク)には、各々のメリットがあるので、各家庭が納得して選べばいいと、心の底から思っています。
今でも夜泣きがあるので、毎晩2時間おきくらいにおきて授乳したりしているので、ついつい周りに「夜も起きてえらいね〜」って労ってほしくて、そのことをネタ的に話していました。
そしてあるとき、自分がそれを話してるときに周りがどう思っているかを想像せざるを得ない事件が起きたのです。
とある同級生(20代前半、独身)が、
「3-4ヶ月以上の母乳育児は栄養学的にもそんな価値はないし、あまり意味ないと思う。私は結婚相手に赤ちゃんの世話をしてほしいから、出来るだけ早く離乳して、人工乳で育てる。coayuさんはなんでそんなに母乳にこだわってるの?可愛くてやめられないの?」
と、とても素朴な目をして聞いてくるのです。
このとき、とっても心臓がドギマギしたのを覚えています。
それはなぜか。
自分が考えて納得して選択している育児法(今回の場合は母乳をあげる)のはずなんだけど、やはりどこかでいつも「自分は真に正しいのだろうか、周りと違うことをしていないだろうか」と気にしているのでしょう。つまり不安なのです。
だから、自分が選択しなかった(できなかった)育児法について堂々と肯定しているのを聞いたりするだけで、たとえ自分の育児法を否定されてなくても、少し不安になったりするのです。
わたしはこのままで大丈夫なの?って。
同級生の素朴な疑問に回答しているとき、やたらと海外論文の引用をしながらガチガチに論理的に答えようとしている自分がいて、
(わたし今めっちゃ防衛的だなぁ、漠然と不安なのねぇ、よしよし)
と、メタな自分が慰めてくれていました。
※育児法・教育法については(人によっては聞いててしんどくなるから)安易に語らない
これらの経験から(ここには紹介できてない失言まだまだあるのだけど)、世のママに出くわしたとき、私のようなそもそも失言が多そうなタイプは、よく話を聴いて、相槌をうって、目の前の可愛い子どもさんをみて微笑むに徹しようと思ったわけです。
そして、もっと人の気持ちをよく想像できるように、
衝動的な発言ではなく、リボンをつけたプレゼントのような言葉をかけられるように、
精進したいと思います。
以上、今週の反省文でした!
thank you as always for coming here!:)