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美しい青年とのお話

東京から京都にむかう新幹線のなか、とても美しい青年がのりこんできた。

身長は185cmくらいで、ゴールドがかった茶色の髪の毛。目はグレーとブルーの中間で、ちょっと神経質そう。
年はおそらくわたしと同じくらいかすこし年上。

なんだか貴族かエルフみたい!

そんな美しい彼は、わたしの隣にこしかけた。
どんなきっかけがあったか忘れたけれど、いつしか2人で色々な話をした。

セバスチャン「君が欲しいものはなに?」

あゆこ「自由かなぁ、常に色々な選択肢をもっていたい」

当時はそんなふうに自由を定義づけていた。

セバスチャン「僕は、権力かな」

あゆこ「...どうして?」

そのとき、“権力”がほしいときいて、なんだかとてもいやな気持ちがした。
また、「権力がほしい」なんて堂々と口にする彼を、暗黙のルールをやぶった異端者のようにも感じた。

“権力”じゃなくて、“お金”と聞いても、同じ反応だったのかもしれない。

大学生だった当時、権力ときいて、とっさに脳裏にうかんだのは、汚職でつかまった政治家、女性をはべらせたベンチャー社長、就活生を口説く面接官...そんな面々。

あゆこ「なぜ権力なんかほしいの?」

セバスチャン「え、君は権力がほしくないの?」

・・・ほしいとかほしくないじゃなくて、権力ってひびきに不信感がある。

あゆこ「それをほしがる人は、ちょっと悪い人が多い気がするから」

セバスチャン「ふーん、僕はスイス人なんだけど、もっとスイスをよくできるように思うんだ」「だから権力を手にしたい」

権力というより、権力者というものにネガティブなイメージがあるんだ。

本来権力というものは、そのものが汚れたものではない。お金もそう。

汚れているかどうかは、その使われ方に対する解釈だ。

そこから、彼はスイスの素晴らしいところ、一方で現在かかえている問題点、今後彼が達成したいスイスの有り様をたくさん話してくれた。 スイスの未来を語るセバスチャンは、既にわたしの中で素晴らしい政治家であった。

自分の視座のひくさを少し恥ずかしく思うと同時に、こんな素晴らしい青年と友人になれたことに感謝した。

彼の政治談義は徐々に熱をまし、もはやわたしにはリスニングできないレベルに達していた。いかにタイミングよく相槌をうつかということに、全精力をかける。

あゆこ「OK. あなたみたいな人が権力を手にすること、権力を欲することはいいことな気がしてきた」

彼ががんばって話してくれた、色んな歴史や政策の話はなにひとつ覚えていないけど、とりあえず最後はうまくまとめられた気がする。

確かにわかっているふりはしたけれど、発した言葉にうそはない。

セバスチャン「日本人で、僕のこういった話をきちんと聞いてくれた人は君が初めてだよ」
「日本人て政治の話、しないじゃない?」

そこから何が幸せか、どんな遊びが楽しいか、スイス人と日本人の違い、今後行ってみたい国、してみたい仕事についてたくさん話しをした。

セバスチャン「今度お茶飲みながらチェスをやろうね!あれ、面白いから」

あゆこ「そだね!詰み将棋しかやったことないけど」

そんなこんなで、彼は名古屋駅でおりていった。

エルフのような彼との会話の余韻に浸りながら、ふと思い返してみた。

なぜ、彼の口から“権力”ときいたとき、彼のことを異端者と感じたのだろう。
政治の話を声高にしている人をみたときも、似たような気持ちが生じるのは、なぜなのだろう。

そしてこういった話題を真剣に議論する場を、あえてさけてきていないかな。
友達とあったとき、学校であったこと、恋愛のこと、就職活動のこと、そんな話ばかりしている。

自分の人生の根本を揺るがすようなテーマ...たとえば政治、環境、信仰や宗教、gender etc..について、当たり障りない世論をなぞるだけでなく、またちゃかすことなく、マジメに自分の意見を話すことって、なんでこんなに怖いのだろう。

※※

こんな、もう5年以上も前のことを、ふと思い出した。
彼とはそのあと何度かメールのやりとりをしたけれど、彼は京都にくる機会がなく、私も名古屋にいく機会がないまま、いつしかやりとりは自然となくなっていった。

もう二度と会うことはないのかもしれない。

でもこの美しいエルフは、無意識に炎の影ばかり追っていた私を、洞窟の外に誘い出してくれたきがする。


thank you as always for coming here!:)