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あのとき何かできたら

俳優・三浦春馬さんの訃報をうけて、とてもショックだった。知り合いでもなんでもないのに「ああ、何かわたしにできることがあったらよかったのに」って咄嗟に思った。

こう思ったのは、わたしだけじゃないみたい。

行く先々で、彼の話題がでるたびに、ちょっと遠慮がちに(あるいは冗談めかして)、

「私に話してくれたら、リラックスできるまで何時間でも指圧したのに」by整体師さん

「私に話してくれたら、美味しいもん作って犬を好きなだけ触らしてあげたのに」by母

「私に話してくれたら、好きなだけ飲むの付き合って、車で海に連れていって気晴らししたのに」by大学生♂

「私に話してくれたら、わたしが仕事のペース落とすよう事務所にかけあってあげたのに」by大学生♀

「私に出逢ってくれていたら、そのしんどさに気付いて治療を通じて寄り添ってあげれたのに」by心療内科医

あのときしてあげたかったこと、今目の前にいる人に、これから出逢う人にできたらいいな。

また見逃すかもしれない。もしかしたら間違えるかもしれない。ある特定の人に対するコミュニケーションはもうやり直せないことだってある。

それでもまた新しく人に出逢っていく。接していく。

その中で、昔感じた「あのとき何かできたら」を昇華していくことは、誰かを通じて気付けた何かを継ないでいくこと。

その誰かがたとえもういなくても、その人との間に芽生えた何かが紡がれていく。

わたしは時々、個々人の生命の源がスープのようにどこかで繋がっているような感覚を覚える。

だから、例えば道端で苦しそうにしているおばあちゃんがいて、そこに三浦春馬さんの苦しさを思い返したっていいと思う。そのおばあちゃんに、彼にしてあげたかった何かをしてみたっていいと思う。

何かを失ったとき、わたしはそうするようにしてる。


thank you as always for coming here!:)