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空虚

無事に2日間の国家試験が終わった。
結果は三月中旬、どうかパスしてますように。

これまでずっと、午前は過去問の演習、午後は分野別の復習を繰り返していた日々がおわり、ホッと息をつけると思いきや...

子どもが発熱して、治った頃に保育園がインフルエンザによる学級閉鎖になって、そこに夫も発熱するという怒涛の展開。当事者はバタバタだけど、よく考えたら子持ち家庭ではよくある風景なのかもしれない。

看病や家事や育児やら、やるべきことは沢山あれど、制限されるのは身体活動のみで、精神活動は国試が終わって自由になった。というより心がぽっかり空になった。

空っぽを埋めるように、とりあえずYouTube、Kindle漫画、医学書、子育て本、LINE漫画、Twitterなどを頭に通してみたんだけど、短時間の熱中のわりに心はさらに「空虚」だ。

わたしは時々、自分が空っぽの箱であることを知る。

その箱は、「箱」のくせにシルクのように柔らかく不安定で、境界線としてとても無責任なクオリティである。

中にいれて、外にだす。
中にいれて、外にだす。
中にいれて、外にだす。

そんなことを繰り返して、箱は一旦何者かになったような錯覚をしながらも、また無に回帰する。

錯覚して、覚醒して
錯覚して、覚醒して
錯覚して、覚醒して

ずっとこんなことを繰り返しているような気もする。

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自分を想うときに浮かんでくる箱は、柔らかくて、小さくて、だいたい空っぽだ。

箱を観てるとき、わたしはただ唯一の存在として宙に浮かんでいるのに、相対的な概念はないはずなのに、その小ささや能のなさが伝わってきて、絶望したりあるあは静かに笑ってしまう。

それを私の小さな手で包んで、元ある場所に戻す。箱の中にまた何かが入るのを許し、日々は流れだす。


thank you as always for coming here!:)