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元日の神社 地域との関わりについて

 2020年となり、すでに初詣を終えた人も多いだろう。日頃、足を運ばない人も正月には神社を訪れ、おみくじを引いて絵馬を書く。正月のルーティーンとなっている初詣は、日本最大規模の宗教行事だ。三が日に300万人が訪れる神社もあるという。

 神職、つまり神様に仕える人にとって、元日には大事な務めがある。全国各地の神社では、1年間の人々の平和と息災を神様に祈願する歳旦祭が行われる。今回筆者は、島根県出雲市の万九千神社の境内にある立虫神社の歳旦祭を取材した。

万九千神社と歳旦祭

(左が立虫神社の拝殿、右が万九千神社の神殿)

 住宅街の中にある万九千神社は、旧暦の神在月に出雲大社に集まった八百万の神様が立ち寄り、宴を開く場と言われている。立虫神社は、元は近隣の斐伊川の中州にあったが、江戸時代初め頃の大洪水により万九千神社の境内に遷し祭られた。地域の氏神を祀る立虫神社では自治会を代表して氏子総代などが年始の祭り、歳旦祭に参列する。自治会ごとの祭典後には地域住民の誰でもが参列できる歳旦祭もある。地域の有力な家などで祀られている屋敷神(水神や荒神など)の祭典も一緒に行われる。祭りはまずお祓いから始まり、神様への拝礼の後に祝詞を奏上する。全部で20〜25分程度で、祭りが終われば直会(なおらい)がある。

(歳旦祭は立虫神社の拝殿で行われた)

 この日は将来、宮司(ぐうじ・神社の責任者)を継ぐ立場にある禰宜(ねぎ・神職のひとつ)の錦田寛史さんが務めた。参列者はお互い顔見知りの人たちが多く、雑談も交わされるが、祭りが始まると空気は張り詰める。神職は神様への敬意を表すため、所作の一つ一つに神経を使う。一般の人から見ると、神職は神社におけるひとつの権威だ。その神職を含めて全員が頭を下げて拝礼する様は、神様の存在を認める宗教というものが可視化されたようだ。

 祝詞は神様に対して話す言葉で、能の歌にもどこか似ている独特の抑揚とリズムで読み上げられる。淡々とした調子だが、聞き心地はいい。キリスト教やイスラム教などでも、聖職者の祈りの言葉は歌のように聞こえる。祝詞奏上の後は参列者の代表による玉串拝礼がある。玉串は、米や酒、野菜などを供えることと基本的には同様に考えられているが、祭りのなかでささげられるもので、参列者は神様への敬意や感謝、祈念の気持ちをこめてささげるものだ。

(代表者による玉串拝礼)

 祭りが終われば直会がある。神様にささげた供物を参列者が一緒にいただいて、神様の加護を得るといった意味合いがある。参列者は神酒と洗米、授与品をいただく。

(直会の様子)

厄除祭

 午後には今年本厄を迎える、数え年で還暦と42歳の人を対象とした厄除祭があり、寛史さんの父親で宮司の錦田剛志さんが執り行った。祝詞が年齢ごとに2種類あり、祝詞奏上の後にもお祓いがある。そして、宮司の玉串拝礼の後に参列者も全員が玉串をささげる。厄年は、仕事などで新たに「役(割)を担う」年齢という考え方もあり、人生を見つめる契機にと、剛志さんは参列者に語りかけた。

(厄除祭の祝詞奏上の場面。祝詞の文面は撮影不可だ)

(お祓いの様子。参列者は年齢ごとに分かれて座る)

 毎年、歳旦祭に参列しているという男性は、年始の習慣として近隣の神社と寺を巡っている。万九千神社を、先代の宮司の頃から知るこの男性によると、地域に住宅が増えてからは参拝する人も増え、子ども神輿を担ぎたいと氏子になる家もあるそうだ。実際、筆者の取材中には、若い家族連れの参拝者が目立った。

(境内は家族連れでにぎわう)

(境内には近隣にあった他の社があり、それらを巡る通路がある)

地域における神社

 参列した男性いわく「宣伝上手」という現在の宮司、剛志さんは2012年に先代の父親から宮司を継いだ。以前は島根県教育庁の研究者と神職という二足のわらじで、県立古代出雲歴史博物館の開館記念特別展の責任者でもあった。そんな中で、神社の方は地域住民とのつながりが弱くなり衰退していったという。危機感があった剛志さんは、公務員としての研究職を辞めて神社の立て直しに奔走した。

(絶えまない参拝者で、元日は忙しい)

 宮司になってからは地域住民との交流を大切にし、神社について学ぶ講座を開催するなど積極的に活動している。「神社は地域の人がほっとする場所」と剛志さんは表現する。初詣の参拝者は1年の願いを持つ幸せそうな人、が多いと感じており、そんな人を迎える立場として、年始は気が引き締まるという。

(参拝者と談笑する剛志さん。地域住民は友人でも、ご近所さんでも、氏子でもある)

 今年の厄除祭は、剛志さんが参列者の名前を間違えてしまうというハプニングがあった。ここで参列者を不安にさせず、「老眼でやってしまいました」と笑いに変えてしまえるのは、住民とのつながりの強さと剛志さんの器量があるからだ。宮司は代々血縁で受け継がれ、地域とのつながりが強い。昔は特別視される存在だったが、現在は地域の人との距離も近くなった。宮司は、まぎれもなく地域住民の1人であり、宮司の家族が近隣の人が教える学校に通うなど、支え合いのなかにある。宗教としての信仰の在り方は人それぞれだが、伝統文化と結びつく神社は、学校や役場など地域コミュニティを形成する役割のひとつと言える。

(祭りや初詣で近隣の人が集まり、新年のあいさつが交わされる)

 近年、神在月には大型バスが立ち寄り参拝者も増えるようになった。「パワースポットというだけではなく、公のために祈ってほしい」という剛志さんの言葉に、就職を祈願した筆者は少し恥ずかしくなった。神社が公共の場という認識が強いのは、民族宗教ならではの側面と言えるだろう。神社は日本各地、どこにでもあり、その地域とは歴史的にもつながりが強い。初詣だけではなく、祭りにも参加してみれば故郷への思いも新たになるのではないだろうか。(文・写真 有賀光太)

(万九千神社全景。現在、鎮守の森を拡大するために「令和の森づくり」事業を進めている)

(写真は全て1月1日撮影)

参考

・神社本庁HP(https://www.jinjahoncho.or.jp/)

・万九千神社HP(http://www.mankusenjinja.jp/)





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