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「飽き性は才能?継続は努力?ー粘り強さと潜在意識 ー」第23回コア学サロン(2021年7月)


あなたは自分を飽き性だと思いますか?


今回は、粘り強さとか飽きるとか、モチベーションを維持することって才能なの?身につけていけるものなの?という話をしていきます。

今回のポイントを端的に言うと、やり抜く力は誰にでも備わっているんですが、やり抜く力をどうやったら自分から引き出せるのか、どうやったら容易に継続できるモードを自分から引き出せるか、という話をメインでやっていきます。

今まで自分は物事が続けられないタイプだなとか、飽き性かなとコンプレックスを抱いたことのある方は、実はそうではなかったんだってことを再発見していただく時間にしたいなと思っております。

私は昔から自分は飽き性だなって思ってたし、器用貧乏だし、なんでもかんでも手をつけてすぐやめちゃうところがあって、すごく嫌だなと思っていました。

飽き症とか三日坊主って言葉があるように、物事を継続できなかったら、人としてダメっていう先入観が社会の中にある気がしませんか?そういう匂いを感じるから、物事を続けられなかったり、途中でやめてしまったりすることを、堂々と表に出しづらいってことがあるかなと思います。

三日坊主とか飽き性とか、モチベーションが継続しないことに対する恐怖心は、わりと共通して全員が持っています。社会の中で価値がないとみなされる可能性が高いから、そういう自分をなかなか受け入れられないってポイントがまずあります。

続けている人ほど結果を出している気がしますよね。これはすごく優しい真実で、物事をある程度一定の結果を出したいのであれば、ある程度一定の継続をすれば結果が出るという法則が実はあります。

能力とか才能とか見た目とか、選ばれし者だけが結果が出せるわけではなく、何事もある程度続けることで結果は出ますよって約束されてるんです。
商売もそうだし、文章を書くとかスポーツとか、音楽も楽器もダンスも、継続してやる全てに言えることです。

だから私はすごく優しい真実だなと思っていて、単純に続ければいいんだよねって思う時もあります。
だけど肝心なことに限って続けられない、モチベーションがキープできない、途中でやめてしまう…。何かを始めることに対して目の前に壁があるような気がしたんですね。

何かをやりたい、始めたいと思っても、続けられなかったらどうしようとか、周りにはやるって言ったのに途中でやめちゃったら悪いから言えないなとか、そういう理由でやれることに制限が生まれて、続けられそうだったらやる、 続けられそうじゃなかったらやらないって選択が生まれてしまいます。

私はそれが昔から嫌で、でも物事をなかなか続けられない自分も嫌で、どうにかしたくて自分の中でずっと考えていたテーマでした。私がずっと掘り下げてきたこのテーマについて、今回のサロンでは全体像を、ゼミでは具体的な解説をお伝えしていきます。

やり抜くモードの自分が出てくる3つの条件


全体像についての結論を一言で言いますと、飽き性な人はいません。物事が続けられない人っていないんです。ただ、やり抜くモードの自分が普通に生きてて出やすい人と、条件が揃わないと出にくい人がいます。

普通にしてても物事を続けられる人は、今からお伝えする条件が普段から揃っているタイプで、そうじゃない方は、条件が揃わないと出にくいタイプなんです。

ドラゴンボールを7つ集めたら願いを1つ叶えてくれるみたいなもので、やり抜くモードの自分が出る条件が揃った時、自然と好きなこととかやりたいことを続けられる自分が出てきます。そのために必要不可欠な条件が3つある、という結論に至りました。

まず必要不可欠な3つの条件を簡単に説明しますね。

①生まれながらにして持っているリソースを使えるorそれらが邪魔な要素とならないこと
…あるがままの自分を否定していたら物事は続けづらいですよね。楽しい気持ちとか気力とか、やりたいことに対してポジティブで能動的な気持ちが維持しづらくなります。
②生まれながらにして持っているリソースをうまく使いこなせるようになるコントロール力が備わっていること
 …車の運転と一緒で、自分が持って生まれた車を上手に運転できる運転技術のことをさします。
③幸せや喜びや愛や感謝に対して肯定的/能動的である環境や人間関係
…①②③の中で、実は③がめちゃくちゃ重要だと最近すごく思ってます。

3つの条件の中で③だけでもいいので、まずは作りましょう、持ちましょう、そういう場に身を置きましょう。もしくはそういうコミュニティでも居場所でも職場でもいいです。

家族がいたら最高ですね。結果が出たら幸せでしょ?楽しいでしょ?やり抜くための自分のモチベーションを出そうとしなくても、楽しいから自然と継続してしまうんですよ。

本来継続は努力とともにあるのではなく、非常に自然なものです。好きなこと、自分がしたいことを継続するって自然なことなんですが、条件が揃ってないと続けづらくなるんですね。

となると、何かを続けるためには我慢や努力をしなきゃいけないって変わってしまうんです。継続しなくちゃっていう力みや緊張を生み出してしまいます。

③番目の幸せや喜びや愛や感謝に対して、肯定的/能動的な環境や人間関係がないために、シュンとしてしまう人がたくさんいます。練習や上達することに対して、喜んだり楽しんだりすることを、素敵だねって受け入れられる環境がすごく大事です。

逆に、その環境にないバージョンを考えてみましょう。単純に言うと足を引っ張り合う環境ですよね。周りの人たちや環境が、楽しいことや好きなことを続ける方に向かってなかったり、楽しくもないことをグチグチ言いながらやってる環境だったり、うまくいくための努力をバカにするような環境です。

そんな環境の中では、なんとかして自分の好きなこと発見しようと頑張っても見つかりづらいし、好きなことを見つけたとしても、自分から自然に溢れ出てくる継続する気持ち、続けたい、もっとやりたい気持ちがどんどん吸収されてしまうんです。

私はこれをモチベーション泥棒だと思ってて、そういう環境とか人間関係って、何か食われてる感じがしませんか?

皆さん、いろんな環境とかいろんなシチュエーションに身を置いてると思います。家庭環境も違うし、人間関係も1つじゃないし、環境って1つじゃないですよね。職場の関係と家族の関係、友人との関係とちょっとずつ違うと思います。

自分のモチベーションを折られたり、食ってきたりする環境ってあるんだよね。そういう環境に身を置いてたら、続けられるものも続けられないわけです。

大事なポイントをおさらいすると、楽しいこと、やりたいこと、好きだなと思うことが続くと結果が出るんですね、つまり成功するんです。これは法則です。

楽しいことや好きなこと、結果を出したいなって思ってること、できるようになりたいなって思ってることをただひたすら続けるだけです。頑張るとかじゃなくて、ただ自分の中から沸き起こってくる気持ちに素直になって継続するだけで、必ずある一定の成功を得ます。

なので、成功を得たり、何かができるようになったり、素晴らしい人になっていくことをよしと思わない環境に身を置いていたら、成功する方向に進んでいけないわけですよね。

だから自分の中でやらない理由とか、面倒くさい理由を作り出してしまいます。これが実はかなり多いケースですから、今の環境を振り返ってみてください。

飽き性を生み出す環境・やり抜く力が発動する環境

自分は飽き性だなってセルフイメージを持ってる方は、幼い頃の環境、小学校の先生とか部活の先生とか、自分の家庭の環境とかが、あなたの成功や喜びを能動的に肯定的に受け入れたり、成功することに対してポジティブなサポートをしてくれる環境でしたか?と振り返ってみてください。

昔を思い出して、自分のやりたいことを続けたり、どんどん上達したりすることに対して、能動的や肯定的じゃない環境に身を置いていた場合は、やり抜く力が発動できるような環境ではないので、最初から継続できないって決め込んじゃいますよね。

だから飽き性なわけではなく、飽き性だと自分で自分に思い込ませた、やったってどうせ認められないし、上手になったってつぶされるだけだしっていう思い込みが自然と身についてしまった場合、物事を継続する自分が出てきてしまうと困るわけです。

出てきてしまうと困るから、何かを続けられる自分、好きなことをコンスタントにやって上手になっていく自分が出てくる度に、自分で抑圧して、押し殺すことが繰り返されるんですね。

私の事例をお話すると、うちの環境は成功することに対して能動的ではありましたが、何かがちょっとできるようになっても、そのちょっと上のことを言われる、ちょっとできても、また上を言われる、ちょっとできても頑張ったねとは言われないで、もっと頑張れって言われるような環境でした。

これに気づいた時、私は飽き性じゃなかったんだって思えてすごくホッとしたの。飽き性じゃなくて、好きなことをやり続けることができる自分を、自分で抑圧してるだけなんだって気づいて、それだけでもスッキリしました。

なので、 ③の環境をキープするとか作るとか、少しずつできるようになっていくことを喜び合える、分かち合える仲間を持つことが大切です。

この前これができて、今度はもっとこれができるようになったんだとか、ちょっとした変化やうまくできるようになったプロセスを能動的に受け入れて喜んでくれる、共感し合ってくれる人を1人でもいいし、2人でも3人でもいいから持ってください。 

その人間関係の環境があることで、皆さんの中にあるやり抜くことができる自分が、もっと高い頻度で出てくるようになります。3つの条件のうち、これが本当に大事だと思います。

今の私にはそういう方がたくさんいてくれてます。なので、自分がやってることとか、続けようと思ってることとか、上手になろうと思ってることがあったら、自分の足を引っ張りそうな人には一切言いません。共有しません。自分の成功を喜んでくれる人たちにだけ共有します。私は処世術としてそうじゃない人には言わないし、共有しないし、距離をとります。

うちの母に昔「なんで由香は、自分の楽しいこととか好きなこととか言わないの?」って聞かれた時に、「言ってもいいんだけど、私がそういうことを言うとお母さんはすぐに文句とか小言を言うでしょ?小言を言われるくらいなら言わない」って言ったんです。「応援してくれるならいいけど、応援してくれないなら言わない」ってはっきりと母に言いました。それからうちの母は小言を言わなくなりました。

私は自分が言いたくて母に言ったんだけど、言わなくてもいいと思います。距離を置くとか、そういう人達には共有しないことがすごく大切です。自分のモチベーションを折らない、自分の中から自然に溢れてくる気持ちとか感情をへし折るような環境とか人とは距離を置きましょう。本当に大事なことなので、皆さん意識してみてください。

逆に自分のモチベーションや、自分の中から自然に溢れてくるものを共に喜んでくれたり、できるようになったことを、わー!って一緒になって言ってくれる人達との関係を強めて、その人たちにもっと頼りましょう。

だから、前より上手になったよとか、もっとできるようになったよとか、こんな変化があったよってことを共有し合える人たちがいるなら、もっともっと共有して、自分の中から自然と湧いてくる続けるとかやり抜くことができる自分をキープしてきましょう。周りの環境をうまく使っていくことが大事なポイントとなります。

フラストレーションの中にも隠れているセンス

ここからは必要条件の①と②についての話をしていきます。

①生まれながらにして持っているリソースを使えるorそれらが邪魔な要素とならないこと
②生まれながらにして持っているリソースをうまく使いこなせるようになるコントロール力が備わっていること

この2つも非常に大事なポイントとなります。

①で言いたいことは、あるがままの自分が持っている、獲得しなくてもすでに持っている感覚や直感、自分が元々持ってるセンスのことです。自分はセンスないわって言う人もいるんだけど、絶対その人にしかないセンスがあります。

例えば運動神経の良さは、生まれながらにして持ってるリソースです。運動神経がない人はそこにセンスがないだけで、他の所に何かセンスがあります。

だから、自分でだんだんできるようになったわけではなく 、自分のあるがままの感覚や、なぜか最初から持っている感覚、なぜかわかること、なぜか自分の中でしっくりくること、それをひっくるめると、センスがある分野、その人のセンスってことになります。

一言でセンスって言ってますが、自分のセンスをまず知ってること、扱えることが大事です。使い方を間違えたり、ダメなものとか邪魔なものだって思い込んだりしていると、センスを使いこなすことができず、何かを続ける時に余計なエネルギーとか力みが発生してしまうんです。

自然に何かを続けるためには、自分がもともとも持っている全然努力がいらない得意なことを、ダメとか邪魔とか思わずに、しっかり活かしていくことがポイントです。世の中では自分の強みってよく言いますけど、生まれつき持っているセンスは、そういったものです。

①に「邪魔な要素にならないこと」と書いたのは、もともと持っているためにそれが自分独特のセンスなんだって気づかずに、自分にとってネガティブな要素と思い込んでる場合が多いので、これは自分の強みですってはっきり言えるまで一悶着あったりするからです。でも、それが生まれながらにして持ってるリソース資源なんですよね。

これを発見することがすごく大事です。これを発見するために自分自身の過去を振り返ると、あれは私独特のセンスかも?っていう違う視点を持ってみると見えてくる何かがあるんですね。

やろうと思えばしっかりできることは、後天的に身につけたものなんです。やろうと思ってできるわけでもないし、やろうと思ってもないのに発生したり、なぜかできてしまうことがセンスなんです。嫌いな自分っていうのも、ある意味そこに隠されたセンスが絶対あります。

いろんな掘り下げ方、見つけ方があるんですけど、皆さんご自身のリソースって何がありますか?どんなセンスを持っていますか?

私だったら美的センスかな。これは勉強して身につけたものでもないし、やろうと思って身につけたことでもないです。ただ、自分には美的センスがあるために、デザイン的に美しくないものは嫌だとか、変なこだわりも持つようになってしまいました。

自分独特のセンスは、必ずしも今の自分に良い影響を与えているとは限りません。むしろセンスがあるがゆえに、こんな部分が出てきちゃったとか、こんな部分も気になっちゃったとか、センスがあるからこそ神経質になっちゃうとか、凝り性になっちゃうってことなんですね。

凝り性なのはセンスではなく、自分独特のセンスが凝り性を生み出してます。例えば私は、ビジュアル的な美しさに対するセンスがあるので、ダサいものは嫌なんです。

このビジネスをやっていく時、スピリチュアル系のビジネスをやっていく時、みんなダサかったんですよ。なんかグラデーションだったり、明朝体の文字で書いてあったり、ゴールドとか使えばいいんでしょ?みたいな、いかにも怪しくてデザインセンスの欠片もない業界だったからマジで嫌でした。

実はフラストレーションも全部自分のセンスから生み出されると思ったら、どの方向とかどういう部分に自分のセンスを感じますか?自分で見つけられない時もあるんだけど、もっとセンスを掘り下げていくと、自分が生まれながらにして持ってるリソースが何か、よりわかってきます。

1個じゃなくていろいろあります。例えば私は、決断力のセンスがあります。パパパっと決めちゃうタイプです。自分自身で努力して身につけたものではないけど、なんとなく絶対この方がいいでしょうっていう正解を見つけるのが早かったり、ある分野において答えが出るのが異様に速かったりします。このことをセンスと言うとしたら、あなたはどんなセンスがありますか?

空間をコーディネートするセンスがある人は、空間を見ただけで、こういう色のこういう家具をここに置いて、こういう椅子を置いて、こういう感じに配置しましょうってことが瞬時にわかります。

つまり、答えが他のことよりも瞬時に出るものです。しかも努力なしに、自分の中で答えを出すことができる分野、箇所はどんなところですか?皆さん、どんどん発見してみましょう。

自分はこういうところにセンスがあるとか、感覚があるとか、自分はこういうシチュエーションや場面において、努力なしにすぐに答えがやってくるとか、自分の中から答えが出てくるとか、そういう分野とか特定のシチュエーションとか発見してみましょう。

ポイントは自分のセンスにちゃんと気づけていますか?ってことです。そういうセンスや感覚をどこか閉じ込めてませんか?センスを持ってる自分をどこか邪魔者扱いしてませんか?ってことなんですね。

自分のセンスをうまく使えないと、何かを続けることが苦痛になります。気持ちよくないんです。だから、自分自身の中にある元々持って生まれた感覚を見つけて、上手に使えるようになればなるほど、自分のやり抜く方法、自分に合った継続の仕方が見えてきます。いっぱい探してみてください。

生まれながらにして持っているリソースは、生まれながらにして持ってるがゆえにあまり意識を向けてないので、うまく使えない時もあります。そうすると事故を起こすので、嫌になったりします。

ですが、それを認めて、自分はそれを能動的にポジティブな方面で使っていくと決めることで、②番目の条件にある運転能力が上手になっていくんですね。

私はごちゃごちゃしたものを上手に配置して美しく見えるセンスや、物事の流れを読むセンスや、人の思考とか本音を聞くセンスが元々あります。心理学とか勉強しなくても、私は人の気持ちとか人間の心理構造が昔からわかってました。

こういったセンスをどうやって使いこなせば、継続することに活きてくるか、どういう風に使いこなすことで、何かを維持するとか継続することにつながるかという話を最後にしていきます。

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