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大学事務室に居た頃の話―解消できていないわだかまりの話

なんか昨日ぼんやり昔のことを思い出していたら、たぶん僕はこの話にずっと蓋をしていて、未だに解消できていないんだなと思ったので、ちょっとだけ書きます。
(守秘義務には触れないように書くけど、問題が出たらすぐ消そっと。)



数年前、僕がまだ大学の事務室にいた頃。

年末年始、いろいろと問題を抱えていて、同僚も僕も忙しい毎日を過ごしていました。とりわけその年はセンター試験が年明けてからすぐの土日に行われるハードスケジュールな年で、1月4日~10日の1週間程度の間に大学院の入試の出願手続きとセンター試験の準備と、定例会議の準備などが重なるちょっとヘビーな年でした。


残業時間もアホみたいに増えます。
国立大学は私立大学とはちょっと違って(これは僕の私学への偏見かもしれませんが、これまで何度も私学へ出張へ行ってお話をうかがってきた限り、少なくとも僕がいた大学よりもずっと先進的で、変化に順応できていて、教職協働が体現されているなと感じていたものです)、事務のひとと、先生たちは仲良くひとつの目的のために仕事をしているようで、そうではなくて、先生たちは事務のことをなんとなくお手伝いさんみたいにみていることがあります。

これは先生の資質にもよるでしょうけれど、その年、僕がいたところの研究科長は僕らの仕事の成果に興味はあっても僕ら事務職のひとたちの「人間」には興味がなさそうでした。


センター試験の準備は僕ひとりでやってました。

センター試験の準備って、ホントたいへんです。たいへんですごく嫌な仕事です。やりがいですか?そういうのはとっくになくなってました。

無事終えることができて当たり前。
失敗すれば、テレビに出るか、新聞に載ります。
先生方は事務が作成した手順にそって、試験監督をしますし、その他もろもろのオペレーションをしますから、監督が失敗すれば、それはすなわち事務の責任となります。

マニュアルなんてほとんど読んでないような先生もたくさん居て、そういうのは関係なく、目に見えない上下関係のチカラを使って責任を事務へ押しつけてくるわけです。


まぁだから最初こそ責任感とか、やりがいみたいなものを感じて、不安と恐怖にさいなまれながらも、一生懸命に仕事しますが、センター試験だけはマイナス要素しかないので本当に嫌な仕事のうちのひとつでした。


さらに大学院入試もひとりで担当してました。
センター試験と大学院入試が重なったせいで、残業時間はめちゃくちゃ増えるし(月100時間どころじゃありません)、作業は慎重に行わないととんでもないことになるしで、精神的な疲弊は相当なものです。

そもそもこれらの作業をひとりでやってはいけないのです。

疲労困憊の状態で、繊細な作業をやってはいけないのです。

入試業務は、本当に本当に慎重に、何度もチェックを重ねて、間違いはひとつもおこしてはいけない、万が一を起こしてはいけない仕事なんですね。



さて、その年、僕と妻は2人目の子どもを授かりました。
予定日は1月の中旬です。そしてもうひとつ、僕の父は当時肺がんを患っていて、12月の末だったか、急に調子が悪くなって緊急入院になりました。

とにかくいろんなことが一度にやってきました。

要するにその年の1月初旬から中旬にかけて、僕は本当にいっぱいいっぱいでした。掛け値無くいっぱいいっぱいの状態って人生思い返しても2度しかありません。

そのうちの1回です。

余談ですが、その2回とも仕事に関係してることを思うと、オトナにとって仕事ってホント大事ですよね。人生そのものかもしれません。
いえ、本当は仕事のことでいっぱいいっぱいになんてなっていてはいけないのかもしれません。

人生を終えようとするその瞬間に、僕らは「あー、こんなことならもう少し残業しておけばよかった」とか「もっと家族なんて顧みずに、仕事に没頭すればよかったかなー」なんて振り返るでしょうか。

絶対そんなこと思わない自信あります。

僕らは仕事をしなくては生きていけないとしても、仕事をするために生きているわけじゃありません。

これは本当に胸に刻んでおきたい。



そんな状態だったので、後から思えば、もう少し余裕を持って仕事をしなくてはと思うのですが、まぁ同僚達もみんな僕と似たような状態でしたし、組織の構造上、直属の上司は飾りで、実質現場を一手に取り仕切るのは僕でしたから、他に救いを求めるという考えはそのときはありませんでした。

で、まぁ起きるべくして起きるのです。


僕はこれまでにない派手なミスをします。
ミスってはいけない入試の仕事で。

長くなったので次回に続く。


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