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誰かの気持ちを代弁するとき,それがそのひとの本当の気持ちであることをどうやって確認するのだろうか。
大学に勤めていたとき
お父さんとお母さんに連れられて進路相談に来る学生や成績不振などで相談に来る学生と面談する機会がたくさんありました。
そういうとき,まずは自分の気持ちを話して欲しくて,学生「本人」に向かって一生懸命問いかけます。
主役は本人だからです。
でもたいていの場合,その問いかけに本人が答えることはなく,お父さんかお母さんが答えてしまうのです。
「体調はどう?」とか「今の気持ちを教えてくれないかな」と問いかけても,本人の口がなかなか動かないと,沈黙の時間に耐えられないのか,あるいは自分の息子や娘が問いかけに対して返事をしないことについて申し訳なく感じているのか,おそらく話をするのが苦手な我が子を助けたい一心で,「体調はいいみたいです。」とか「今日はがんばってきたんだよね,〇〇くん」とか,お父さんやお母さんがフォローに入ってくれるのです。
将来のこと,進路希望のこと,今考えていること,感じていること,好きなこと嫌いなこと,授業のこと,友だちのこと,大学に来たくなくなった理由やそのときの気持ちを,代弁してくれるお父さんやお母さんもいました。
大学に責任を求められることもありました。
学校に行けなくなったこと,成績があがらないこと,大学の授業が悪い,指導が悪いと叱られることも少なくありません。
子どもたちを愛しているがゆえに,自分のことのように必死なのです。
必死過ぎて自分のことではないことを忘れてしまうのです。
しかしその代弁は,本当に彼らの心を反映したものなのでしょうか。
僕らの問いかけは,本人が何か言葉を出そうとしている気配がある限り「何分でも,何十分でも」返事を待つ覚悟をもった本気の問いかけです。
他の誰かが代弁することは,本人が話す能力がないと感じていることを暗示しますから,もしも本人の意図しない代弁だとすれば,その自尊心を傷つけてしまうかもしれません。
あるいは代弁してもらうことを意図しているのだとすれば,本人は無意識に自分で考え,選択することを避けている点で,自身の責任を回避していることになり,ひいては主体性を奪うことになりかねません(彼らの年齢に鑑みれば,日常的にそういった回避をしていて,それが常態化しているかもしれません)。
無言なのは,言葉を選んでいるかもしれないし,言いたくても言葉にできない気持ちもあります。言葉にしてはいけないのでは,と感じている言葉もあります。語彙が少なくて適当な日本語が見つからないかもしれません。話す相手を信頼して良いのかと警戒していることもあります。
お父さんやお母さんがなんとかしてくれるだろうと,主体的に考えることから逃げているかもしれません。楽をしてやろうとか,質問者を困らせてやろうという,悪い意図や反発ではなく,無意識に問いかけをやり過ごそうとすることもあるかもしれません。
聴くというのは本当に難しいですね。
お子さんが何かを言おうとしているとき,先んじて代弁せず,ただひたすらに信じて待つことも「聴く」ことの一部なのです。
カウンセラーは,言葉を待つことを苦に感じません。
ゆっくりと時間をかけて,自分の言葉を探せばよいのです。
沈黙の時間は,問いかけをきっかけにした大事な内省の時間でもあります。
長い沈黙の後,絞り出された言葉は,もしかしたら新しく踏み出す最初に一歩かもしれません。
サポートいただけると燃えます。サポートしすぎると燃え尽きてしまうので,ほどほどにしてください。