大学事務室に居た頃の話#2
続き。
ミスの内容は詳しく書けないのですが、まぁとにかくやってはいけないミスを犯しました。入試がらみのミスはほとんどの場合致命的ですから。
一方で、派手なミスだったにも拘わらず、被害があった当事者は2名だけでしたし、2名とも僕の(大学の)直接の謝罪に対して「まったく問題ないですよ!大丈夫です。」というありがたいお言葉をもらえたので、そういう意味で実害はゼロでした。
不幸中の幸いというか、あたりどころが悪ければたいへんなことになっていたでしょうけれど、対象の方が一般的な振る舞いをしてくださったおかげでとりあえず対外的には事なきを得ました。
これは後から思えば、組織としての体制の問題ではなかろうかと思うのですが、しかしこの時は、精神的に疲弊していたうえに、このミスのおかげでさらに残業時間は増え、ストレスもマシマシで、もう冷静に考えることができなくなっていましたから、とにかく自分一人で責任をとるしかないと思っていました。
方々頭を下げました。
各方面には多大なご迷惑をかけたのは間違いないと思います。
ボーナスも10%ぐらいカットされました。
エライ人たちにコテンパンに叱られましたし、どこまでも駄目人間な自分に嫌気もさしました。
父親は危篤でICUに。
娘がもうじき生まれるという大事な時に、精神的にもアンバランスになりました。年末年始はずっと大学で仕事していました。そうしないと全部が間に合わなくなるからです。
誰かに助けを求めればよかったのかもしれません。
使命感というのはおそろしいものですね。
責任感というのは時に、自分の首を絞める危険なものです。
自分がやらなくてはならないという、やりがいハイみたいな、今思えば、当時の自分が暴走していただろうことは容易に理解できるのですが、あのとき、僕はそういう理解ができなかった。
ただ死ぬほどがんばった。
でも、結果ミスが出た。
それ以外はキッチリこなしましたが、しかしそんなのはあたりまえです。うまくやって当然の仕事だからです。
こんな大切な仕事をなぜひとりでやったのだ?
こんな間違い起こすなんてあり得ない。
まぁ言われますね。
エライひとたちに僕の事情なんて関係ないですから。
ミスした事実は変わらない。
他にどのような事情があろうとも。
まぁそうですよね。
このミスの後始末は、研究科長から「口頭による訓告」をいただいて終わります。
僕はその訓告をもらったとき、もう笑うしかなかった。
なにかいろんなものが一遍に壊れました。
漫画みたいに、ガラガラと壁が壊れる音が聞こえるようでした。
一生懸命やった。
無理、無茶な条件をモノともせずやりきった。
そして研究科長は半笑いで、事務的に訓告を述べた。
このひとはそれを知らないだろう。
このひとのために、仕事をしている職員たちのことを知らないだろう。
このひとのためにする仕事に何の意味があるだろうか。
俺には俺の事情があった。
現場も見ずに、職員の状態も知らずに、ただ結果だけ聞いたオマエに何がわかる?と言いたい気持ちをぐっとこらえて、ただありがたい訓告を受け取りました。
こんな話、酒でも呑んで、誰かに愚痴ったらよかったのかもしれませんが、何せ「おまえが悪いじゃん」の一言で終わっちゃう話ですし、当時の僕もそう思ってました。
でも本当はそれですませちゃいけないヤツです。
組織体制の見直しとかしなくちゃいけないヤツですよね。
まぁ結果僕は大学の仕事を辞めましたから、人生で2回目のいっぱいいっぱいを終えて、今度は本当に辞めることができましたので、あとは残ったひとたちが考えれば良いことです。
駄目ですね。
文句言っても事実は変わらないし、気持ちもよくない。
こういう自分もいるのだということを受け止めて、よく頑張ったねと当時の自分を褒めてやれればそれでいいヤツです。
僕は僕で一生懸命やった。
ミスもしたけれど、それもまた経験。
事実上の被害はなく、ただ叱られただけ。
もうそろそろ自分を許してやろう。
エライ人たちが許せないのなら、それはまだそれでいい。
最後に、仕事に追われて自分のことをおろしかにしているひとへ
使命感とか、責任感みたいな高尚なものに騙されてはいけません。ひとはひとらしく生きる権利がある。ひとの生き方に興味を持っていないひとたちの小間使いにされてはいけない。
僕らの生涯は、そのひとにとってはかけがえのない大切なものです。
どうか自分のことを幸せにしてあげてください。
サポートいただけると燃えます。サポートしすぎると燃え尽きてしまうので,ほどほどにしてください。