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子どもの成長は早い

子どもの成長は早い。

家ではのんびりとしていて,人の話は聞いていないし,忘れ物も多いし,時々こんなんでうちの子はひとりで社会に出て行けるんだろうかと心配になるのだが,小学校の懇談会などに参加すると,先生からはとても普段の姿から想像できないような話を聞かされて,不思議な気持ちになる。


なんとかという係を一生懸命やっています。すごく気が利いて,私が困った顔をしていると飛んできて助けてくれたりするんです。絵の才能があると思います。他の子たちとは違う視点からの意見を言ってくれるので,授業に幅が拡がって助かっています。特に算数なんて,違う解き方をいろいろと考えて発表してくれるから,最初はみんなポカーンとして聞いてるけど,説明していくうちにあーなるほど,なんて顔になっててみんなの勉強になってすごく助かっています。4年生になってすごく成長してるなって感じます。



ああ褒められているようだ。
単純にうれしい。本当に自分のことのように。

しかし一方では,うちの子の担任の先生はまだ若いので,とにかく褒めるように学年主任の先生から言われてるのだろうかとか,褒めて育てられた世代だから,自動的に子どもたちのこともポジティブなところだけを教えてくれているのだろうかとか,つまらない邪推が働くのだ。




先日,彼が朝から調子が悪くて学校を休みたいと言ったとき,自分で学校に電話して,丁寧な口調で担任の先生にお休みする旨を言付けて欲しいと電話口の先生に伝えていた。

自分で連絡できるか?と僕が聞いたからなのだが,それでも臆することなく実行できてしまうことに驚いた。


思えば,彼はそういうことが得意だ。
僕が教えているのは自分で考えて自分で決めて自分で行動すること,そして困ったら誰かに相談することだけなので,きっとそれをしているだけだと彼は言うだろう。



ついこの間まで自宅の廊下を所狭しと這い回っていたのに,と時折感じるのは,彼の成長速度のせいか,あるいは僕が歳を喰っただけのことか。

あと数年もすれば,僕や妻よりも,家族よりもずっと大切なことを見つけて僕の元から離れていくのだろうと思うと,嬉しくも寂しい,なんとも難しい気持ちになる。

元より,そのために僕は居るのだと,そう考えてはいるのだけれど,彼のいない日々はあまり想像できない。


僕の父も同じようなことを感じていたのだろうか。



父の居ない生活にはもう慣れた。
いつか僕が居なくなっても,彼とて僕の居ない生活にすぐに慣れるだろう。

心配はいらないか。
家ではのんびりしていて,人の話を聞いてやしないけれど,どうやら学校では違うようだし,そういえば最近は体つきもしっかりしてきた。

そうだな。担任の先生の話を鵜呑みにしてやってもいい。


子どもの成長は本当に早い。
いつまで子どもたちの側に居てやれるのかはわからないけれど,今できることをひたすらに一生懸命やろうかと改めて思う。


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