キッチン

シェアメイトのみくるさんがクリスマスプレゼントにくれた一冊。

この前船の中で読もうと持って行って、結局読まなかったんだけど、家で読もうと思ったら見当たらなくて、なくしちゃった、と思ってたらちゃんと部屋にあった、よかった。

色んな装丁のキッチンがあるけど、栞にはこれだと思って、と選んでくれた。
みくるさんがくれたキッチンは、たこさんウインナーの表紙の文庫で(ん、花?)薄くて軽くて、少しざらついてて触り心地がよくて、ちゃんと栞用の紐まで付いている。
いつも鞄が小さい私でも大丈夫だし、なんだか大切な人生の友として、持ち歩きたくなったらどこにでも連れて行けそうなこのキッチンは私の中でカンペキだ。

キッチンを私っぽい、私が好きそう、と勧められたのは人生で2度目だ、たぶん、覚えている範囲では。

1度目は小学1年生の頃からの幼馴染、さやちゃんから。たしか大学生のころ。読書から遠ざかっていた私が、さやちゃんと図書館に行った時のこと。さやちゃんは文学部だったので本を沢山読んでいて、遊んでいる途中で図書館に寄りたいと言われて行った。何を借りたらいいか分からない、と話すと「しーちゃん絶対キッチン好きと思う、読みやすいし」と、その時に勧められた気がする。なぜか私はその時のタイミングでキッチンを読んでいないのだけど。

だけどキッチンを読むタイミングは今で良かった気がする。

ところでキッチンを2人に勧められて読む前に、私は「ふぅん、作るのも食べるのも好きだし、綺麗で暖かいものが好きだからかな?」と思っていた。読むまではなんだかキッチンは甘い世界のストーリーなのではないかと思っていたので、なんとなくそれを、自分のことをよく知る2人から勧められるのは嬉しいような、あますぎるような、微妙な気持ちだった。

最初の30ページくらいを読んだところで、「これは私の話ではないのか?」と思った。
もちろん全部が主人公とストーリーが同じわけではないのだけど、なんとなく主人公みかげの置かれた環境と、感じ方、考え方、好きなもの、人生観が似ている気がした。
これは本当に私の人生と重なる部分があるっていうのもあるかもしれないけれど、きっと誰にでも起こりうる、みんながみんなではないけど、多くの人が持っている部分を、自分のことの様に思える文章を、吉本ばななさんが描いてくれているからではないかと思う。

みかげはキラキラして見える。キラキラというのはキラキラ女子とかそう言うのではなくて、心とか生き方が美しいから。
そのみかげを「私の話ではないか?」と思うというのは、随分自分のことを特別だと思っているような気がする。実際私は自分のことを特別だと思っている。だけど同時に私と私以外の人と何も変わらないとも、常々思っている。それは私以外の人も全員特別だと思っているから。人それぞれ一人一人特別で、ふつうの人というのはなかなかいないと思う。

みかげは両親に先立たれ、おばあちゃんと2人で暮らしてきたけどそのおばあちゃんも亡くなって、身寄りもなくて孤独になってしまった。
だけど途方もないなにかを抱えながら、日常を送って、孤独になったことにより何でもできるどこでも行ける!という自由と明るさも持ち合わせている。
あまりにも大きすぎる悲しみって、その大きさとか形とかが分からなくて実感が湧かないし、悲しい悲しいって声を上げて泣いたりすることもないし、言葉にしたとたん嘘みたいに思えて薄っぺらくなるし、普通に日常生活を送って笑えて話して思考しているのに、それと関係ないところで涙が出てきたりする。そういうの、すごく分かるなと思った。

ここからは面白くもない私の身の丈話になります。

私は両親が2歳の頃に離婚したけど、ちゃんと父も母もいるし、祖父は高校生の頃に亡くなってしまったけど、祖母もいる。親戚とも付き合いがあって、全然天涯孤独ではない。

ただ子どもの頃は大好きだった父も、思春期を経て、色々なことがあって今ではただ父という存在だし、母のことは物心ついた頃からきらいだった。母子家庭だったので家を出る高校卒業までは結構大変だったな、と今になって思う。毎日心が荒れていて辛かった。
家を出て、毎日心が平和だった。
一人暮らしでさみしさもあったけど、実家にいた頃よりは全然よかった。
学校の課題が大変とか、実習が辛すぎるとか、バイトで怒られて悲しいとか、よくある大変なことはまああったけど、母がいないというのは私の心の平穏に大きな影響を与えた。
大学生の頃、友達はみんな家族と仲が良かったし、仲が悪いのは損だと思って言わなかったし、仲良くしてみようとしたこともあるけど無理だった。

母とは普通に3年くらい連絡を取っていない時があったのだけど、その方が平和なので私はそれでいいと思っていた。
3年も連絡をしないというのは、それなりの覚悟があってしていなかった。

ある時母から連絡があり、たしか電話しなきゃいけない事情があり、仕方なく話した。

「音信不通の間に、事故とかでお母さんが死んだりしたらどうするん?悲しいでしょ」と言われてびっくりした。死んで悲しくて後悔するくらいなら連絡している。
こんなに連絡を取っていないというのは、その間に母が何かで亡くなることもあるかも知れない、それはさすがに悲しいのではないか、という想像くらいとっくにしていたし、いや、こんなに自分の中で居ないような存在ならそれ程悲しくはないかもしれない、という結論に至っていた。
それくらいの覚悟はしていて、向こうもそれくらいの気持ちだと思っていたのに違った。
違ったから、返事をしない私に「なに?悲しくないん?」という母にうんとも言えなくて曖昧な返事しかできなかった。
ここでうんと言ってしまってショックで死なれたりするのはさすがに悲しいと思ったから。
とても自分本位。
想像の中の気持ちというのは想像でしかないし、実際にそうなったら私は今の自分を馬鹿だと思うのだろうと思う。私はまだまだ甘いしこう言うところが子どもなんだろうと思う。
とりあえず自分とは離れた場所で元気でいてくれたらそれでいいと思っている。

保育園や小学生の頃、母は働いていたのでよく祖父母がお迎えに来てくれていた。
祖父母の家で美味しいご飯を食べて、お風呂に入れてもらって、歌をうたったり、踊ったり、ピアノを弾いたり、絵を描いたり、夕方はNHKのアニメを見て、祖父とは相撲を見て、祖母の夕ご飯づくりを手伝って、そうして夜遅くに母が迎えに来ていた気がする。祖父母は、眠いと機嫌が悪くなる私をよくドライブに連れて行ってくれたという。車に乗っているといつのまにか眠るかららしい。今でも車に乗るとすぐに寝てしまう。

小学生の頃は祖父がバイクで迎えに来てくれて、その後ろにヘルメットを被って二人乗りで帰っていた。一度同級生の男の子に見られて「いいでしょ」と、なんだか誇らしかったのを覚えている。

母は祖母と仲が悪いので、ある時を境に祖父母にお迎えを頼まなくなった。
家で1人で過ごす私を心配してか、祖父がいつも家の前で母が帰って来るまで一緒にいてくれた。
家には上がらず、家の前でずっと待ってくれるのが祖父らしいなと思う。
自転車に乗る練習を見守ってくれて、私と友達の自転車にスタンドを取り付けてくれた。

高校生の時、祖父が亡くなって悲しかったけど、なかなか実感が湧かなかった。
祖父が亡くなった知らせを聞いたのは、初めてできた彼氏と歩いている時だった。
浮かれていた私はうまく祖父の死を受け止められていなかった気がする。

これは私はそうだと信じているのだけど、不思議なことがあった。

私は霊感とかそういうのは一切ないんだけど、祖父が亡くなって数日後、その日も母のことで消耗して部屋のドアにもたれかかっていた。その頃は進路を決めなくてはいけなくて、でも何をしても無駄という甘えと諦めの中でぼーっとしていた。そんなとき、少し呆れたように、心配して咎めるように「しいちゃん」と呼ぶ祖父の声がすぐそばで聞こえた。
こんなことは今までになかったし、私はその時眠っていなかったので夢でもなくて、多分私を心配しておじいちゃんが声をかけたんでないかと思っている。
それから私はまあまあちゃらんぽらんな、世間的にはそこそこどうしようもない生活をしてしまっているのだけど、なぜかすごく運はいい。これはおじいちゃんが守ってくれているおかげだと思っている。おじいちゃんは徳が高い人だった。

祖母はお料理やお裁縫やガーデニングや掃除が得意で、人のためにやってあげるのが好きで、社交的で友だちも多い。頭の中にそろばんを持っているし、字も綺麗だし、家計簿も毎日つけている。本当にきちんとしている人。
祖母の辞書には面倒くさいと言う文字はないらしい。本人が言っていた。
20時や21時くらいでも、女の子が夜出歩くなんて、と眉を顰めたり、定職に就かない私に会うたびにちゃんとした所で働きなさい、と私からしたら考え方が古くて狭いんじゃないかと思ってしまうけれど、とても祖母らしく心配してくれる人。
幼い頃から色々な事を教えてくれて、沢山のことを与えてくれた。

祖母とは時々電話する。私は連絡がまめでないのでほとんど祖母から連絡がある。
元気?と聞くと、大体は元気よ、足は痛いけど元気よ、インフルエンザになったけどなんとか元気よ、など概ね元気な返事が返ってくる。
今日は何したの?と聞くと、朝は整骨院に行って、体操に行って、ゲートボールに行って、それから近所の人とご飯持ち寄り会をして…と毎日忙しく暮らしている様子を話してくれる。

だけど先日、なんとなく祖母の声を聞きたくなって久しぶりに電話をした。私から。
元気?と聞くと、うん、あんまり元気じゃないねぇと返ってくる。膝の手術をしたのと、心臓の手術をしてまだ苦しいと。
手術をすることは聞いていたけど、元気じゃないねぇ、という弱気な声に私は焦った。もしかしたら、考えたくないけど、でもいつかは絶対に、祖母がいなくなる日が来るんだと、その時妙にリアルに感じてしまった。

幼馴染や、シェアメイトや、友達、まちの人たちなど、私の心を温かくしてくれる大切な人は沢山いるけれど、私の心の安全基地は祖母だと思う。祖母が亡くなったら私は多分孤独になってしまう。こわいなと思う。

みかげちゃんとはそういう何となくの生い立ちとか祖母が安全基地な所とか、ひとりだからこそ何でもできてどこにでも行ける自由なところとか、自分の人生で光ることでしか孤独は消えなくて生きていけないと思っているところとかが似ているなと思う。

吉本ばななさんの文章はすごく綺麗で、心にスッと入ってきて、共感できてしまう。
すごいと思ったのは、綺麗に描写しようと言葉を付け足しているのではなくて、描写を的確に表現するにはこの言葉が必要だった、と思わせるところ。
なかなか言葉では表現できない曖昧なところの描写が本当にうまくてすごい。
それから、多かれ少なかれ、登場人物たちと自分の経験が重なることはあると思うんだけど、それだけの材料で、これは自分の話だと思わせてしまうところ。これは吉本ばななさんの文章の力だと思う。

物語がムーンライト・シャドウに入ってから、急にうまく理解できなくなった。この物語はまだ私が知らない話だからだと思った。
また何年かしたら読み返してみようと思う。

あ、それから!最近はフォントにすごく興味があるんだけど、キッチンのフォントはとてもよかった。好きなフォント。
柔らかくてたわみがあって、ちょっと癖があって、だけどちゃんと読みやすい。
なんの書体なんだろ〜

すごく長くなってしまった!
今日は近所のスパが安い日だから行く予定だったのにこんな時間になってしまった!
課題もやらなきゃいけないのに!ふー

これを勧めてくれたおふたり、ありがとう。

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