灰色と青の気持ち

Twitterで呟こうと思って下書きに書いたけど、長いし、フォローしてくれてるライトな友達に心配されそう(いや杞憂だろうけど)なのでnoteに書くことにする。

スーパーでカートを押しながらなんだか灰色と青を混ぜた気持ちだと気づき、見つめてみるとさみしさが表面化してきていて今日はそういう日かーとなった。

大体原因は分かってる。

まあその原因は解決しようとどうこうできるものじゃないので見方を変えるしかないかーあとで見方を調べて探してみよう、と思いながら
さみしさはどうしたら消えるのか考える。

いつもいつもさみしさと戦っている訳ではないし、気づいていないことが多いけど、無意識の所ではさみしさを抱えて生きているし、色々な理由で気まぐれにひょっこり顔を出してくる。

なんとなく今日は食べたいものを全部買っていいことにして、甘いものを好きなだけカゴに入れていく。
家に帰って映画でも見ながら食べよ、と思うとさみしさが少し和らぐ気がする。
でもこういう消費によって得られるものはさみしさを消すことじゃなくて誤魔化すことだなと思う。

映画や好きなアイドルを見ることで、あー楽しかった!って消費してさみしさを誤魔化すことはできる。
でも、見て本当に感動して心が動いた時や、それで新しい思考ができたり行動したりできた時はさみしさは誤魔化しじゃなく消える気がする。今までの経験上。
それは消費から夢中やクリエイティブに変わった時だと思う。

子どもの頃は、ひとりっ子で母子家庭だったから家にはいつも一人で、日が暮れるまでは近所の友達と遊んで、帰ってからは眠たくなるまで一人のさみしさと向き合う時間だった。
テレビを見たりゲームをしたりすることもあったけど、自分なりにさみしさと退屈を誤魔化すために絵を描いたり本を読んだりしていたな。
絵を描くことは元々好きだったからしていた節が大きいけど。

描いたり読んだりしているとその内夢中になってさみしさが消えていた気がする。

子どもの頃本や絵にあれだけ夢中になれたのはさみしさがあったお陰かもしれない。クリエイティブってそういう所から生まれるものなのかもしれない。
夢中というものは何においても本当に強いなと思う。
あと、誤魔化すことを悪く捉えられるような書き方をしてしまったけど、誤魔化すって悪じゃないよなと思う。創意工夫でもあると思う。

思考を書き連ねてたらさみしくなくなった気がする。おしまい🐾

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?