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「新型コロナの一斉休校を柔軟に対応したみそしる学校」(前編)| 思いを繋ぐおせっかいのバトンリレー

Community Nurse Company 株式会社の本社・拠点がある島根県雲南市。
雲南市では「元気になるおせっかい」を広げたいとの思いから、既にコミュニティナース的存在として活動しているまちの人を巻き込み、一緒に成果を出していきましょうとチームで動き出しています。医療職にこだわらず、お互いの強みを出し合いながら全力で議論する「地域おせっかい会議」から生まれるアクションとまちの人とのストーリーを「思いを繋ぐおせっかいのバトンリレー」として連載を始めます。

市民のおせっかいで一時預かりを実現!

2020年春。新型コロナ感染症対策による、小中学校の一斉休校。
雲南市内にも、学童保育を利用できず近くに子どもを預かれる親類もいないなどの理由で、親が安心して仕事に行くことが困難になる家庭もありました。
「なんとかしたい」と思う住民さんも多くいたものの、公共施設は「集会の自粛」を要請される中で、どこまでなら預かりをしてもよいのか判断が難しい一面がありました。
そんな中、Community Nurse Company株式会社の「みんなのお家」では、住民さんの「おせっかい」を主力にして、学童に行けない子どもの預かりに挑戦します。
正解は誰も分からない状況の中、手探りの取り組みはどのように進んで行ったのでしょうか。
まずはその経緯について、三新塔交流センターにお勤めの荒木さんにお話を聞きました。

・荒木朋美(あらき・ともみ) / 雲南市三新塔交流センター

−−三新塔交流センターで働く荒木さんも、2月28日に一斉休校の通達を受けてから気がかりなことがあったといいます。それは学童に行けない子ども達と、その保護者さんの存在です。
そんな時、地域おせっかい会議事務局の宮本さんとのやり取りの中「何か困っていることはありませんか?」と尋ねられると、近くに住む子どものお母さんの顔が浮かび、彼らのことが気になっていると打ち明けます。そしてその後宮本さんから、みんなのお家で預かりが可能になったという連絡を受け取ることに。

荒木:すごい!と思って、まず三新塔地区に住む人を中心に声がけをしてみました。そこから木次町全域に広げようと、ママ友経由でラインのメッセージで告知しました。するとなかにはすごく困っている人もいたんです。

−−そうして「みんなのお家」で始まった子どもの預かりプロジェクトは、近くの小学校でかつて行なわれていた、手作り給食による学習支援にちなみ「味噌汁学校」と名付けられ、3月2日(月)からスタートします。休校の通達の3日後というスピード開設を支えた人の中から、まずは「みんなのお家」の「番子さん」であるお二人にお話を聞きました。

・岡村八重子(おかむら・やえこ)/ Community Nurse Company ・番子
・深田米子(ふかだ・よねこ)/ Community Nurse Company ・番子

−−まず「番子さん」とは何をされる人でしょうか?

「みんなのお家」に来られる方をお出迎えし、みんなが立ち寄りやすい場になるよう、「かわりばんこ」に番をします。

−−代わり番こに、「みんなのお家」の番をするから「番子さん」なんですね。では番子のお二人が味噌汁学校に関わるきっかけはなんだったのでしょう?

八重子:朝行ったらいきなり、「味噌汁学校はじめるよ」って。(笑)
米子:Facebookで「味噌汁学校始めます。ご支援お願いします。」って呼び掛けたところ、いっぱいお醤油とかお米とかお野菜があちこちから集まったんですって。
八重子:そういう食材がいっぺんに来たから、じゃあまずはこの玄関片付けんといけんね、と。そこからだったわね。

−−味噌汁学校に関わったのはお二人の他に、もう1人の番子の田中さん、それから地域ボランティアの方や大学生ボランティアもおられたと聞きました。その中でお二人は主にどんな役割を担われたのでしょうか?

米子:私たちは主に「味噌汁」のところ。ご飯をつくることが担当でね。子どもらを連れて遊んでくれるのは、宮本さん(地域おせっかい会議事務局)や大学生の子達がしてたので。
八重子:あれは大きな役割だったわね。私ら子守もして食事も作れなんて言われたら、とても無理。お昼が済んで午後になれば多少、女の子たちの相手もしたけど。
米子:「味噌汁学校」といっても、味噌汁ばかり作ってたわけじゃないの。「今日は違うもの作ろうや。炒めご飯にしようやあ。」とか相談してね。

−−それぞれが得意なことやできることを持ち寄り、分担して、子どもの受け入れを実現させたんですね。やっていて特に印象的だった出来事はありますか?

米子:最後の方だっけ?カレーを作った日。2階にあるNALU助産院のお客さんも一緒に、みんなでご飯を食べた時。
八重子:そうだったね。メニューも思いつきでカレーにしたから、みんな喜んでくれるかなあ、という気持ちもあったし。
米子:なんだか皆がひとつになってね、カレーを食べるにしてもなんとなくいい雰囲気で。
八重子:子どもたちもだんだん食べる時の行儀も良くなってね。いただきますやありがとうございました、ということも言えるよう大学生たちが指導してて、いいことだなあって思って見てたわ。

−−子ども達も馴染む中でだんだんとルールができて、そのルールで一緒に動くところから、一体感を感じたのかもしれませんね。
 ではその一方で、大変だなと思われたことはありましたか?

八重子:子供達がたくさん来るとなると、食べてくれるかなあとか不安で。
米子:メニュー考えるのが一番大変だったかも。あと材料にも限りがあるしね。

−−そんな中で、みんなで協力したり、地域のお店からのパン屋、地域の方からのお米やネギが届いたりして、なんとか乗り越えられたんですね。子ども達に関してはいかがでしょう?

米子:もう怪我をしないように。
八重子:それだけだったわね。
 子ども達はここの2階も使って上へ下へと駆け回るし、お風呂場の上のロフトにもハシゴをつかって色々持ち込んではアジトのようなものを作ってね。
米子:あ〜あっち行ってはだめ〜!こっちにおいでー!とか、そんなのばっかし。

八重子:私ら「子どもを育てる」なんて言っても、自分の子を育てたくらいなことでね。だめなことはだめって言ってやれるけど、「子どもを育てるにはこうだ」みたいなことが、はっきり分かるわけじゃないからね。
米子:それになかなかね、よその子を怒るっているのは難しい。
八重子:お母さんが迎えに来ても帰りたがらない子や、ちょっと口の悪い子や、いろんな子がいたね。でもそんな子もだんだんと行儀が良くなっていったりしたのよ。

−−お二人も試行錯誤しながらの毎日だったんですね。改めてお聞きしたいのですが、そんな中、あって助かったおせっかいはなんでしょう?

八重子:助かったことは、まず食材をくださったこと。聞いたら地域おせっかい会議のメンバーさんからも沢山いただいていたみたいで。
 それから大学生さんたちが手伝ってくださったことが大きな力になったと思う。あの子達がいなかったらできてないと思うよ。私らはもう、食事作りのほうに手がとられるから、子どもがどんな格好してても目を配ることできなかったもの。外の方までついて歩くこともできないし。
 だからあの若い力があったからできてると思うよ。

−−お二人にとって「味噌汁学校」は、「みんなのお家」立ち上げの2019年8月から番子を始めて約半年後の大仕事だったと伺いました。その大仕事を振り返り、どんなことを感じますか?

米子:忙しかったけど、良かったと思うよ。子どももみんな笑顔で遊んでくれたしね。スッキリした気持ち。子どもらのお世話をして、あー疲れたわって言うんじゃなくて、あーよかったという爽快な感じ。
八重子:怪我もなく良かったなあと。

−−お二人とも前向きな変化を捉えてらっしゃるのが素敵ですね。

八重子:あとやったね、できたねという感じ。
米子:本当にようやったねと、自分たちでも褒めあってた。
 自分たちも普段はもう、大人同士の会話しかしないのに、そこに子どもが来てくれることで自分も明るくなったというか。やっぱりよかったなあ、と思います。まだまだ私たちにでも、役に立つことがあるのかなあと思えたり。
八重子:子どもといると否応なく動かないといけないし。ああまだ動けるな自分、ということも気付けたり。

−−年長者の方にこそ、できることってあると思います。ちなみに「みんなのお家」と地域の皆さんとの関係にも少し変化があったとのことですが。

八重子:「味噌汁学校」ができたのも、それまでにみんなが色んなことを考えながら地域の人に声をかけてきて、その結果力を貸してもらえたことだと思うの。
「みんなのお家」を中心に活動してる人って、遠くから来てる人多いでしょう。この地元の人じゃないのに、あそこまで頑張ってくれるからすごいなあって、私は思うの。
けど地域の人の中には「何する会社なの?遠くから来て何する人なの?」って、少し懐疑的に言う人もいて。私たちも「いやいやこの人たちはね」って思うんだけど、うまく説明ができなくて。私自身「あそこに行って何してるの?」って聞かれても、どう言っていいかわからなかったもの。
米子:そういうこともあったけど、今はもう認めてもらったな、地域に根ざしたなあと思ったわ。それは「味噌汁学校」も大事なきっかけの一つだったと思う。「わあ助かったわあ」というお母さんもいっぱいおられたもの。

−−
当時を振り返り、清々しい笑顔で語ってくれるお二人ですが、突然始まり、終わりもはっきり見通せない中での預かり対応は苦労も多かったことと思います。
そんな中でも、子どもたちや保護者の喜ぶ顔を自分らの喜びとしていた姿は、まさに地域を支えるおせっかい人と言えるのではないでしょうか。
 とはいえそんなおせっかいも、仲間の存在があってこそかもしれません。後編では番子のお二人をして「彼らがいなければ成立しなかった」と言わしめる、大学生ボランティアのコアメンバー2人に話を聞きます。

ライター 平井ゆか

まちの中で、心と身体の健康を願って活動している人を私たちは「コミュニティナース」と呼んでいます。
誰かを喜ばせたい、元気にしたいと願うあなたの思いと行動の第一歩として、全国のコミュニティナースが集うオンラインコミュニティ「コミュニティナース研究所」へご参加ください。
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