見出し画像

評価基準を理想の他者に委ねるな-7/12/23

憧れの先輩


この日は、私が尊敬してやまない先輩とお茶をする日。
勇気を出してインスタフォロー&DM送信でこぎつけまいた。

もともと同じ部活に所属していたものの、コロナの影響などでほとんど関わることはなかった。ただ「カッケェ先輩いるなあ、、しかも温厚」「なーーんか、余裕あるなあ、、、」「えっ、あの子先輩に振られたの?!クソカワなのに」「センスなインスタしてんなあ」そんな先輩の断片を知るたびに、自分にないものをすべて持っている魅力あふれる先輩像が構築されていき、それに私は強く憧れを感じていた。
センスもあって、余裕もあって、でも優しい人。俺にないものをすべて持っている。

15:00銀座集合とのこと。その後、行きつけのジャズバーに連れて行ってもらえるとのこと。ちょいちょい、オシャレすぎ!なんかのハラスメントだろ!

ということで、行くまでめっちゃ緊張した。

この人のセンスに付いていくには?面白さに付いていくには?こいつおもんないって思われないためには?
すごい不安だった。私の「理想」とするような人と「私」が相対するわけで、この人にネガティブな印象を与えるということはすなわち、私が「理想」にとっては離れたところにいるということの裏付けになる。
この人と対等に在りたい、、、!!!事前にエピソードトークなどを仕込んで挑みました。用意周到である。


ジャズバーにて

結果

結果、言うまでもなく楽しかった。
しかし、一緒にいるときの私はず~~~~~っとモヤついていた。
まあ、今思えば当然、そりゃそうなるわなって感じでもあるが。

原因は、先輩に気に入られるための動作をするのに苦心していたから。

憧れに近づこうとうする自分/そのために気に入られようとする自分
この2要素が絡みあいこの事態を引き起こしているようである。

当初、私は自分の思い描く理想的な人格を有している先輩から、見放されることを恐れていた。なぜならそれは、自分が理想(=なりたい自分)から遠いところに位置していることを明るみにしてしまうからだ。

だから、先輩に気に入られようと努力し続ける。先輩の言うことには手放しで納得/賛同する。先輩の温度感のユーモアに合わせる。自分のいつもの斜に構えた言動や、厭世的な表現は控える。

しかしまず、
<憧れについて>
そもそも自分からどうしても離れた場所にいる”それ”に「憧れ」を定義してしまうわけで、その場所に私(の人格)を「近づける」ことは原理的に不可能なのだ。
さらに言えば、断片だけの情報を集めて、勝手に「スーパー理想人」としての先輩像を構築してしまったのもいけなかった。そりゃあ、会って話せばしょうもない部分も見えるし、それが当たり前。勝手に理想を押し付けるな!!!
ただまあ、「近づけよう」とすること自体は可能なので。問題はその方法だ。

<気に入られることについて>
そして気に入られること=理想の自分っていう方程式もわからん。
仮にネガティブに思われたとて、それは先輩の壺じゃなかっただけという事実がそこに鎮座するだけ。自らに対する評価基準を「先輩が気に入るかどうか」に据えてしまっている愚かさを恥じろ!!!!

今回の反省点は、

・理想を押し付けたこと
・理想達成のために、判断基準を完全に委ねたこと。

です。

あくまで先輩は人で、神でも物差しでもない。
尊敬する対等な人としてこれからも関係を続けていきたいな!


銀座の宝くじ売り場っていつもこうなの?37℃あったけど

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?