誰からも頼まれてない

根暗でペシミスティックな僕は、どうすれば会社に復帰できるかをずっと考えている。
マックで290円に値上がりしたミニッツメイドオレンジLサイズを飲みながら、PCに向き合って思考を絞る。
外側から侵入せん音を拒絶するAirpodsからは、NewDadの"Change My Mind"が流れている。

I guess we never really tried
Never tried to change our mind

NewDad "Chagne My Mind"より

この曲では、満たされない現状を、引いてはスタンスや思想を決して変えようとしない2人の浅はかさが自虐的に歌われている。温かな鬱だ。
ただの怠慢なのか、それとも不幸を引き受けているのか。どっちもだろう。

会社から金をもらいながら、好きな時間に起きて、好きな本を読んで、好きに創作をして、好きな時間に寝ている。これ以上ない幸せな生活だ、本当か?この生活は刹那的な幻だ。もうすぐ終わる。
僕は、人類の永久的な繁栄を臨む社会機関から外れたことを、罪だと思っている。いや、そんなわけない。人類の繁栄なんて知らん。
安定した生活を送れない未来に不安を抱いているに決まってる。金は欲しい。お洒落がしたい。美味しいご飯を食べたい。本を読みたい。ライブも行きたい。そうだろう。

そのためには、会社に復帰し、定職に就き、多くの人間と関わりながら、仕事をこなしていく必要がある。今の俺にそれは無理なので、俺は変わる必要がある。

人と話すのが嫌いだ。大学生活を通して、明確に嫌いになっている。
大学1年生の頃は無敵だった。新しい環境にワクワクし、サークルの飲み会に参加し、多くの人と関わり合ったり、目立つことに喜びを感じていた。
でも、1年の頃、ぐちゃぐちゃになった飲み会で面白いキャラの先輩にこう言われたのを思い出した。

「面白いことを言ってる感じで、そんなおもろくないんだよな」

その先輩は悪意があったわけではない。別の女性の先輩にはこう言われたな。

「今の面白い話、悪くなかったよ」

その瞬間、心臓がキュウ、と音を鳴らしたのを覚えている。心が死んだ音なんだろう。その先輩は、俺が言っていることがそこまで面白くないのではないか、ということを集団に晒すことで、面白くなっていた。隷従を選ばされたのだ。いろいろなところに顔を出し、目立とうとしているうちに、面白さを期待されるようになっていたが、その期待に俺は応えることができなかった。だから「面白くなりたいけどすべりがちな奴」というポジションにされていた。

泣きそうだった。俺は小中高時代、ずっとふざけてきた。そうすればみんなが笑ってくれたから。でも、それはただ繊細で愛に飢えていただけで、元来面白い人間ではないので、高度化したユーモアの受容体についていけなくなっているだけなのだ。でも俺は、ふざけること以外に愛される術を知らない。だから、つまらない自分を受け入れて、ふざけること以外で愛される方法を探す必要がある。俺が悪い。

俺が悪い。すべては俺が悪い。勝手にふざけて、頼まれてもないのに笑ってもらって、誰も期待していないのに、期待を胸に抱いて、1人で絶望してる。一連の人生に降りかかる不幸は、どうかんがえても、俺が悪い。誰も俺を笑うな。笑うな。誰も笑うな。

でも、結局、俺はそいつらを見下している。それに笑っている奴らも見下している。面白いとされているやつを、加速的に面白いことにするシステムを、俺は見下している。そんな周囲の人間を見下す俺のことを俺は、本当にキモいと思う。そんな心境の変化が大学生活の中で起きた。

俺の存在意義をめぐって、人生を再考している。

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