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努力パラドクス-7/6/23

クゥ〜ン

7/6、日記を更新できなかった、、、
やることを先延ばしにしたツケ以外の何者でもないな、、、

やることが重なってると、書きたいはずの日記もやる気が失せてくな。
この類の怠惰って、「継続すること」でしか乗りこなせない気がする。
克服するとかいう次元の話ではないことだけは分かってるんだけどね~~

学生時代、毎日6時に起きて朝会がある8:30には学校で着席し、中高に関しては19:00まで勉強と部活をやれてたことをおもいかえしてみたい。
今思うと狂気の沙汰である。ただ当時の心情を思い出してみるが、「学校めんどっ」とは思ってたけどしぶしぶ最終的に行けていた。そつなく卒業できていた。これは本当にとんでもないことである。

マジでとんでもない。すごすぎる

これは外発的に、半ば強制的にやらされていたことなので、諦めながら継続できていた。
1)親や先生からの圧(行動の強制)
2)仲間の存在による楽しさ・辛さ共有(情動の共有の快楽)
3)メリハリ/適切な休憩(体力/モチベの調整)
の3つの要素だろうか。この3要素のお陰で辛さを乗りこなしながら継続が可能となっていたのだろうと思う。

どうすれば内発的にやれるんだろう。
いやいや無理か。もし完全に自分のために学び続けたり(一般的にできないことを)行動し続けられる人がいるのだとしても、それは多分、どこかでどれかが作用していたのと思う。それか外れ値の狂人か。

うむむ、では逆にどうやってタスクを完成にまでもっていってきたのか、考えてみるか。

☆やる気はなく、焦燥感でやっと動き出している
というのはポイントだよね。

→やる気が今たまたまない訳では無く、備わってない。そのやらなきゃいけないことに対して情熱を注ぐことが出来ない。
→焦っているとき、初めて行動できる。

焦っているとき、どうして行動できる?どこから行動している?
<パターン1>
このままだと大変なことになるので、焦る→焦りにより思考力が低下する→普段通りの判断ができなくなっている→やらなきゃいけないことをするという暴挙に出てしまっている→完成

<パターン2>
このままだと大変なことになる→というよりすでに手遅れで、理想の達成は不可能→満足にやれないことへの免罪符→なあなあでやる→完成

パターン2のほうが個人的にしっくりくるな・・・また許されようとしている。完璧じゃない自分を受け入れられてない何よりの証拠じゃないか!!

完璧にやろうとすること/完璧にやること ←不可能
最大限の努力をすること/完璧にやれないこと ←可能
なまけてなあなあでやる/完璧にやれないこと ←うんこマン

ここには大きな壁があるぞ~~~~~!!!!!!!!!!!!!

不完璧を目指して、最大限の努力をしようよ~~~~~~~~~~

しかしここで、再度「努力」をするにはどうすればいいのか、という難題にぶちあたってしまうのであった・・・

オォゥ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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