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振り返らない年があったっていいじゃないか

一年が終わります。そしてまた一年が始まります。
それでも今年は暖冬の影響もあってか、全然「年の瀬感」を感じずに今日を迎えています。

夏にnoteを更新してから、なんだかんだずうっとどことない倦怠感を感じてきました。夏からじゃないな、なんか今年はずっとなんかしんどかったような気がする。
数年ぶりに、涙に暮れて朝起き上がれなくて、仕事に行けなかった。誰か助けて、でも何もしないで、みたいな、声にできない息切れがあって、おそらくそれを引き摺ってしまったんだろうなと思います。

嬉しいことももちろんありました。
去年よりもたくさんの人や場所に出会い、自分の過去や、これからやりたいこと、それらを受け止めてもらえて、救われた。
乗り越えられなかった自分、逃げるようにしてやめた自分、辛かった気持ちをひとりで箱にしまってきた自分。
隠れるように生きてきた期間もあったけど、隠すのをやめて話してみようと思えたこと、そして話したあとに「話してよかった」と思えたこと、これが今年の大きな財産になりました。
かといって、隠してがんばり続けた自分も、よくがんばったなあ、と我ながら思う。


わたしがいつだって願っているのは、自分と関わってくれている人たちが、もれなく全員心身ともに健やかで豊かな毎日を送れること。
毎日調子がいいわけじゃないし、毎日とてもいいことがあるわけじゃない、それはもう充分承知の上なんですが、それでも、365日、24時間のうちに「なんかいい」「これもあり」って思えるときが、少しでも多くありますように。
そのうれしい時間が、わたしがいま持っている手札の中にあるもので、何か役に立つことができたら、それがわたしの「なんかいい」瞬間になるのです。

仕事に行けなくて泣いて泣いて苦しいときも、空っぽになってもう何もできないかもしれないと思ったときも、心の中の真っ黒なヘドロを出し切ったあとにそれでも湧き上がってくるのが、こういう感情でした。
どれだけぼろぼろになっても、わたしは誰かのために生きることで輝く人間でいたい。それだけは、やっぱり変わらなかった。

自分にとってはなんてことのない得意なことや、それ自体を苦に感じないことが、誰かにとっては苦手で息が詰まってたまらないことだったりもする。
逆も然り。
だからわたしはわたしが得意だと思えることで、生きていきたい。苦手なことを克服してきれいな五角形になれるようにがんばってきたこともあったけど、自分にとってそんなに苦じゃないことで生きていけたら、この人生における意味みたいなものが、見つけられるかもしれません。


たくさん、がんばりました。
その中でも自分にできることを、めいいっぱい、やってきました。
わたしもあなたも、ほんとうにお疲れさまでしたね。
来年もどうぞ、よろしくお願いします。

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