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存在を照らす踊り――しんしんし『しんのいし』に寄せて――鈴木南音

豊岡演劇祭2022「しんのいし」最終公演を見てくれた鈴木南音さんに文章を書いていただきました。「踊り」を「作品」として鑑賞するのではなく、社会学を専攻する南音さん自身に向け放たれた一つの響きとして引き受けてくれた南音さんの文章。 この文章を読んだ時、「これは僕の叫びであり、『しんしんし』の根幹でもある」と感じました。

知念大地



存在を照らす踊り
――しんしんし『しんのいし』に寄せて――

鈴木南音

20世紀を代表する哲学者、マルティン・ハイデガーの用語に、「用象(ようしょう)(Bestand)」[1]という言葉がある。これは、ありとあらゆるものが、「役に立つか/立たないか」といった「有用性」のもとでだけ現れるような、そういうモノの現れ方のことである(つまり、「用いる」ことのできる「現象」である)。こうした有用性という見方のもとでは、たとえば、大地は観光地として、芸術は商品として、言葉はコミュニケーションの技術として、人間は人材として、見えてきてしまう。ハイデガーが、この言葉を使った1953年に警告していたのは、このような「有用性」の見方のもとで、やがて人間の方が技術の全体に使われてしまうようになるということだった。

 わたしは、「アートツーリズム」という言葉を耳にするたび、芸術が世に広がっていくことを嬉しく思いつつ、その反面で、少しばかりの寂しさを感じてしまう。「アート」が「ツーリズム」になったとき、芸術は、たんなる有用な技術にならずにいられるだろうか。そうしたときでも、芸術は、「有用性」の呪いから、私たちを救い取ってくれるだろうか。地域創生に“役に立つ”アートツーリズムへの絶望と、そもそも“役に立つ”はずがない芸術への希望、両方を抱きながら、千葉から車を10時間走らせて、わたしは「しんしんし」の『しんのいし』を観に行ったのだった。

 しんしんしとは、豊岡市出石で、作品制作のために改装した古民家を拠点に、藤原佳奈・知念大地・日下部寛子をクリエイションメンバーとして行なっている活動である。『しんのいし』は、踊り手である知念大地が、豊岡市役所の隣の建物である「豊岡稽古堂のロビー」で、舞踏を、いや、名付けられる手前にある、踊りを踊るという公演だった。当日パンフレットには、つぎのようなことが書いてある。

 日々過剰な情報に晒され、存在することにさえ理由や強みを求められてしまう現代、“存在そのものを照らす術” である踊りに新たな関係性を生む可能性を見出し、活動を続ける。

(『しんのいし』当日パンフレット[2]より抜粋)

 このパンフレットにも書いてあるように、私たちにとって、「理由や強み」を抜きにして「存在そのもの」でいることは、たいへんに難しい。「なぜあなたはそこにいるのか?」「あなたは何者であるのか?」という問いに対して、いつも答え続けなければならないという、あの、嫌な感じは、誰しもが感じたことがあるだろう(あるいは、そうした「有用性」を、「あいつは使えない」と言いながら、つい他人に強いてしまいそうになる自分への自己嫌悪も!)。

 人々を「有用性」から捉えていくことは、社会を前に進めていくためには仕方がないことなのかもしれない。いやいや、社会なんて前に進めなくてもよい(そもそも、どちらが前だろうか)としても、私たちは、そうした「有用性」を示すこと抜きには、そもそも生きていくことができない。「人材開発」のような、教育のような何かと結びつけて、うまく売っていかなければ、芸術も学問も生き残ってはいけない。私たちは、この「有用性」の舞台からは降りることはできない。

 ただ、それでも私は、芸術には、そういう「有用性」の舞台に乗らずに、あるいは、舞台に片足を乗せながら、舞台そのものを揺らし続ける力があると、まだ信じている。そうした舞台を揺らす活動は、少なくとも、生き残っていくことには繋がらないだろう。ときには、舞台に巧く乗るだけの「能力」が欠如した厄介者として、後ろ指を指されることすらあるかもしれない(それは、「コミュニケーション能力」の欠如と呼ばれるかもしれない)。それでも、それが芸術である限り、どこかで「有用性」の梯子を外して飛び立たなければならない瞬間があるように、私は思う。雄弁な技術ではなく、訥弁な芸術を、私は観たい。

 「しんしんし」の、この上演の狙いは、パンフレットを読む限りでは、こうした「有用性」の舞台から降りて、「有用性」以前の「存在」へと立ち返ることにあるのだろう。

 この「存在すること」について考えるために、やや回り道になるが、「しんしんし」の踊り手である知念大地のエピソードを一つだけ、紹介しておきたい。これは、それまで大道芸人だった知念大地が、2008年に田中泯の踊りと出会い衝撃を受け、踊りが必要だと知念が信じたさまざまな場所で、踊り始めたときのエピソードである。

 自分も大道芸という場所におさまらずに、人間として踊りを掴もうと、いつでもどこにでも踊りを社会に打ち込んでいくという決意をして、許可されていない場所でも踊るようになった。
 道で、転がって踊っていたら警察に通報された。そのとき「僕たちは立たされ、歩かされているんだな」と身に染みた。ある時は救急車を呼ばれた。理解できないものと出会ったとき、通行人は「狂っているか、病気か」を分類し、通報する。改札前や迷惑がかかる場所であえて踊り、罵声を浴びせられた。修行のようだった。

(「こうきょう舞までの足あと」[3]より)

 このエピソードのなかで道に転がって踊っていた知念は、舞台から降りて、「ただ在る」ということを目指していたのだと思う。私たちは、「有用性」の舞台の上で、なにかしらの「役」を演じるように駆り立てられている。そして、その舞台の外側にいる人間に対しては、何らかの特殊な「役」を与えることで、かえって舞台の方を守ろうとしてしまう。たとえば、道に転がって踊っていると、「狂人」か「病人」という「役」を演じさせてしまうというように。

 知念の踊りが目指しているのは、こうした演技から逃れて、「ただ在る」ことをすることなのだろう。それは、「有用性」の舞台を降りて、あらゆる「役」からほどけていくこと、すなわち、「役」以前の「存在」へと立ち返ることである。

「しんしんし」の豊岡演劇祭公演「しんのいし」で、私が観たのは、9月22日(木)の3日目の公演だった。十分に日は暮れ、秋の虫たちは囁き、舞台奥のガラス戸からは、市役所の受付の明かりが差し込んでいる。音楽とともに知念が入ってきて、踊りが始まる……。

 ……20分ほど経過した時点である。知念が「何も起きないっすね、すみません」とにわかに話し始めると、踊りが一時的に中断された。突然の踊りの中断に、私を含め、観客たちは驚いていた。いや、驚いていたというより、喜んでいたのかもしれない。じっさい、観客たちは、みな笑顔だった。

 この知念の踊りの中断が、観客たちにとって喜ばしいものとして映ったのは、それが「存在」を追求する知念の踊りへの向き合い方の一つとして現れたからではないかと思う。もし、観客が、動員数として「役に立つ」観客の一人として扱われていたのならば、20分経った時点で、ひとこと「ありがとうございました」と言えば、無事に幕は降りただろう。安心安全に上演は終わり、なんだかよく分からないが前衛的なものを観たという、微かな満足感と共に、観客を帰路に帰らせることさえできたかもしれない。

 しかし、それは選択されなかった。そして、それが選択されなかったことは、少なくとも私にはありがたかった。そうした中断が、目の前の観客と出逢おうとする知念の態度そのものだったように見えたからだ。目の前に人がいるということ、私たちの存在の存在性――「有用性」に還元されない何にも変えがたさ――が、逆説的ではあるが、踊りの中断によってあらわにされていた。そこにあったのは、あらかじめ準備された踊りが反復されるのではなく、ただ、芸術を通じて人と人とが、一先ず出会うことの喜びである。他の観客たちも、実は喜んでいたのではないかと、私は思う。じっさい、観客たちは笑顔だった。

 ――すみません、何も起こらないので、ちょっともう一度最初から始めます。

 ……観客と同じように、知念も笑顔でそう言うと、拍手が起こって、2回目の踊りが始まった。もちろん、大きな公演ではないから、その拍手は小さな拍手だった。けれども、人と人が出会ったときにだけ生まれる、あの、暖かい拍手だった。

 踊りのなかで目を惹いたのは、街の象徴としての町役場が、踊りの背景として浮かび上がっていた点である。そこには、残業をしていると思しき、市の職員さんの影も見えている。かつて、古代ギリシアでは、演劇は、都市を背景にしながら、市民たちによって上演されていたらしい。市民たちは自らの住む都市の行く末を、その上演の向こう側にまなざしていたことだろう。私たちの視線もまた、知念の踊りの向こう側に広がる、人、街、そして、大地へと向けられていた。

 さらに、この大地へのまなざしは、同時に、大地からのまなざしだったように思う。宮沢賢治は「農民芸術概論綱要」のなかで、「いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである」[4]と記して、当時の「職業芸術家」のことを批判していたのだった。この宮沢賢治の批判が、どれくらい今の時代に当てはまるのか、私には分からない。けれども、芸術家が芸術家の「有用性」を雄弁に語り出すならば、ハイデガーや宮沢賢治の危ぶんでいた事態へと限りなく近づいてしまうような気が、どうしても、私はしてしまう。そうしたときの大地からのまなざしは、厳しいものであるはずだろう。

 知念の踊りが、ときどき、何か大きなものに対する怒りを露わにしていたのは、大地から向けられた厳しいまなざしへの呼応であったように思う。いや、そうでなかったとしても、それは確かに、「有用性」と結びついた何か大きなものに向けられた怒りだった。私は、そうした芸術家がまだ居てくれることが、嬉しかった。

知念の踊りは、少し不思議でさえある。一見、知念が、とてもゆっくり動いているだけのように見えるのだが、観ているうちに知念の身体の輪郭がほどけ、輪郭と共に属性が揺らいで見えてくるのだ(知念がワンピースを衣装として好んで着ているのも、もしかしたら、社会的な「属性」を撹乱させる意図があるのかもしれない)。それはあたかも、薔薇の蕾が花へと、その輪郭を揺らがせ開いていくようである。市役所からの明かりを背景としながら、知念の社会的「属性」が撹乱されて見えてくるとき、翻って、それを観ている私たちの「属性」もが撹乱されていく。役場を背景に揺蕩う「存在」の踊りを芯としながら、踊りをまなざす私たちの「存在」は、逆照射される。その身に花を胚胎していた薔薇の蕾がやがて裂開するように、私たちは、ただ、「存在」として開かれていく。

 いま、「しんしんし」が踊りを通して探求しているのは、観客たちの「存在」を照らし、「有用性」とは別の次元へと、「存在」を開いていこうとする試みなのだろう。

 私たちの、忘却させられた存在性は、踊りを通して、私たちのうちへと現れてくる。そこには、「有用性」という基準どころか、「見る/見られる」という関係性すら、撹乱されている。私たちは、その踊りの場に、ただ、あったのだ。それだけで、十分、私たちにとっては救いだった。

(2022.12.10. 鈴木南音)


[1] M. Heidegger, 1954, "Vortäge und Aufsätze," Verlag Günter Neske, Pfullingen. (=関口浩訳,2009,『技術への問い』平凡社.)。
[2]同様の文章および公演映像は、「しんしんし『しんのいし』3日間の撮影記録」(2022年10月27日取得:https://note.com/cncncnc/n/n6ce8c70b0233)で公開されている。
[3] 知念大地が辿った踊りの過程は、しんしんし「こうきょう舞までの足あと」(2022年10月27日取得: https://note.com/cncncnc/n/n1ddf21110a6d)に詳しい。
[4] 宮沢賢治(1967)「農民芸術概論綱要」『宮沢賢治全集 第十二巻』筑摩書房(引用部分は青空文庫から引用した.)

鈴木南音さんが立ち会った、豊岡演劇祭2022しんしんし「しんのいし」3日目の回(2022年9月22日20時~)


※しんしんし「しんのいし」3日間の全編の記録はこちらから購入できます。





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