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生きるとか死ぬとか父親とか〜第11話〜(#104)

第11話 不在とか 崩壊とか 人間とか 〜あらすじ〜

母親が亡くなり、父親が実家を売りに出していた事を知った時の事を書くことに決めたトキコ。

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勝手に父親が家を売っていた事を、売った後にトキコは知らされた。
母親は知らないまま亡くなっていた。
その後、家賃が払えず出ていかざるを得なくなってしまった。
引っ越しの日取りが決まっても荷物の整理を始めず引っ越し先すら決めていない父親。
決めようともしない父親。
そんな折、トキコが友人を呼び、引っ越すための荷物の整理をしている時。
今まで知らなかった母親の荷物を見つけてしまう。
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第11話におけるポイント

家族の崩壊
家というのは住むところであると同時に家族であることの象徴なのかもしれない。
それを勝手に売ってしまった父親。
これは「家族を崩壊させた」ことと同義だ。
母親の死後、ひとり娘のトキコに何も相談せず一方的に家を売り払ったこと。
それは、父親としては、母親との記憶を早く消したい(忘れられないから故にその場から離れたい)心理だったのだろうか。
トキコは荷物を整理することで心の整理をつけようとしていたが、父親は家を売ることで同じことをしようとした。
しかし、いざ売った後も父親は荷物の整理をしたがらないのは、心の整理をつけたくないということなのだろう。

母親の苦悩
荷物の整理をしている時に見つけた母親の衣服。
値札が付いたまま保管された、高額な衣服。
父親は昔、女遊びが激しかった。
それでも家族の前では明るく振る舞っていた母親。
しかし、母親の死後、誰も知らなかった母親の衣服を見つけた。
それは大量の高額な衣服。
母親が心の隙間をお金で埋めようとしていた事実を知った。

母は寂しかったのだ。

トキコは当時、これを見つけた後も、この事実を認めたくなかった。
それは、母親のイメージが壊れてしまうから。

そのことについて、母親が亡くなったあとも心の奥底に閉まっていた。

寂しかった母親。
それに気付けなかった自分。
そして付随して湧き出てくる、父親に対しての怒り・悲しみ・憎しみという感情。

それをエッセイに書き起こすことで、自分の中でちゃんと母親について向き合うことを試みた。

神格化された母親
家族の前で見せていた「理想的な明るい母親の姿」。
それはいわば「母親を演じていた」だけで、実は寂しかったのだ。
その気持ちに高額な衣服を見つけた時に気付きながらも、その事実とそれにまったく気付かない父親を受け入れられない。
そのような一面が母親にあることを認めたくなかった。

自分の中の「母親像」を壊したくないために、母親を美化し、理想化し、神格化し続けた。

しかし、それは母親の死を受け入れられていないということでもある。

父親へも高額な衣服の事実を伝え、それらの出来事を原稿に書き起こした。
これらの作業を通して、母親を神格化して遠い存在のように扱っていた状態から、母親の弱かった面も受け入れ、母親を「俗人的なひとりの人間」として考え直すことで、「理想の母親像」としてきた母親の神格化を辞めた。
そうしないと母親の死を昇華できないから。

感想

今までの相談コーナーメインの回が霞むくらいに、とてつもなく素晴らしい回だった。

うまく言えないけど、

 ・母親の死と父の身勝手な行動による家族の崩壊
 ・母親の弱さを受け入れたくない
 ・だがそれを受け入れないと自分自身も前に進めない
 ・そのために過去の記憶の中にあった明るい母親だけでない、母親のありのままの姿をちゃんと父親と話す

これらのことを、ここまで克明に、ちゃんとエッセイとして成立させて表現するってジェーン・スーさん本当に凄い。

やりきれない気持ちを自分の中で整理できない人もいるだろうし、出来てもここまで克明に文字に落とし込めない。

「酸いも甘いもつまみ食い」どころじゃない。

またジェーン・スーさんのエッセイがベースにあるとはいえ、この回の脚本書いた人も素晴らしい。
30分程度の中にこれだけの内容を折り込み、まるで映画のような感覚だった。
昔からあまりドラマは観ないけど、このドラマは色んな人に勧めたくなるドラマだ。

そして、今現在のジェーン・スーさんがやっているPodcastなどとのギャップ。
井戸端会議のようなおばちゃん世代のトークが炸裂してるのも楽しく聞いてるけど、こういう経験を経ているんだなと思うと、ラジオでの相談への回答などを改めてちゃんと聴きたくなった。

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