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だから私は、『不健康運動』という名前を使い続ける

こんにちは、不健康運動と申します。
変な名前でしょう。
自分でもそう思います。
私はこのハンドルネームを、中学1年生のときからずっと使い続けています。
他のHNに浮気したことはありません。

この名前、思っていた以上にいろいろ不便です。
まず長いです。打つのが面倒です。
そして初対面のフォロワーさんなどに自己紹介をする際、なんとなく気恥ずかしさがあります。
またチケットの取り引きや同行者募集の際に、「なんとお呼びすればいいのでしょうか…?」と相手に訊かれることがそこそこの頻度であります。

そもそも、なぜこんな名前を付けたのか。
私は小学6年生のとき、地元広島のAMラジオ局・RCCで放送されていた『秘密の音園』という番組を聴き始めました。
音園のきっかけに、私は音楽を聴く喜びを知りました。
特に世代ではない、両親がファンというわけでもなかったユニコーンを好きになったのは、紛れもなく音園の影響です。

そしてラジオを聴き始めて1年程度経ったころ、番組を聴くだけではなく、実際にメッセージを投稿してみたいという欲が湧いてきたのです。
(ちなみに私は大学入学まで携帯を持っていなかったので、高校卒業までずっとFAXで番組に投稿していました。)
そこで、「一発でパーソナリティの青山さんに覚えてもらえるような、インパクトの強い名前はないか」と思い、部活の同期を頼ったところ、適当に付けてくれたのがこの名前です。

正直なところ、名前の由来自体に大した思い入れはないんですね。
それでも「Twitterでラジオの実況をする際に、アカウント名がラジオネームと違う名前だと齟齬が生じる」「この名前でSNSをやっていたことで、RCCリスナーさんと相互フォローになれた」などということがあり、『不健康運動』という名前を使い続けていました。

ただここ数年、「やっぱりSNSでは名前を変えようかな」という思いが強くなってきていました。
このRNを使い続けてきた『秘密の音園』は、私が中学2年生のときに、惜しまれつつも番組最終回を迎えます。
その後もRCCの別の番組や、HFM(広島FM)などにこのRNで投稿を続けていました。
しかし大学進学を機に広島から上京すると、radikoプレミアムに加入しているとはいえ、地元ラジオ局を聴く機会は以前に比べると減ってしまいました。
そういったこともあり、ここ数年はRCCリスナーさんとSNSでつながる機会もほとんどなくなっていました。

「やはり取り引きのときに不便だな」、「もうこの変な名前を使い続けるメリットはないのかもしれない」。
推しの声優ユニット・Wake Up, Girls!の解散ライブ関連で、フラスタや自主制作グッズの取り引きが多くあった今年の2,3月ごろ、改めてこのように思うようになりました。
そう思っていたとき、ユニコーンがアルバム発売に合わせ、広島里帰りキャンペーンをすることになったのです。

RCCやHFMの番組にも出演するということで、私は久々に番組にメッセージを投稿することにしました。
投稿先は、HFM『大窪シゲキの9ジラジ』。
前述の『秘密の音園』終了後、聴き始めた番組になります。
高校生のころ、私が所属していた競技かるた部に取材をしに来てくださったり、朝日新聞地方版の『9ジラジ新聞』に私の投稿を掲載してくださったり、電話をつないでもらったりと、音園を失った私のよりどころとなってくれたのが9ジラジでした。

しかし、大学生になってから投稿したのは1年生のとき1度のみ。
もう2年以上ご無沙汰していますし、高校時代も音園ほど頻繁に投稿していたわけではなかったので、さすがに向こうは私のことを覚えていないだろうなと思っていました。

「民生さんやテッシーが10代向けの番組に出演するなんて新鮮だな」と感じながら、radikoで民テシゲスト回を聴いていると、ありがたいことに、私のメールも読んでいただけました。

ちなみに本題からはズレますが、当時就活中だった私は、民テシに「音楽業界で働きたいので、なにかアドバイスを!(要約)」というようなメールを送っていました。
そして民テシからは、「今の若者は必要以上に諦めが早い気がする。粘り強くあってほしい(要約)」というような回答をいただきました。
ちなみに無事就職先は決まったものの、仕事は音楽とはほぼ無縁です。

話が脱線してしまいました。
このメールが読まれたとき、パーソナリティのオオクボックスがポロリとこんなことを言ったのです。
「この子は競技かるたをやっていたんですよ〜」。

私が送ったメールには、競技かるたのことは書いていませんでした。
そうです。ボックスは、6年前の部活取材のことを覚えていてくださったのです。
民テシにお悩み相談できたのはもちろんうれしかったですが、ボックスが私のことを覚えていてくださったのも同じくらいうれしくて。
私は感想とともに、radikoのURLをTwitterへシェアしました。

するとエゴサをしていたと思しき(笑)ボックスから、このようなメッセージをいただいたのです。

この瞬間私は、これからも『不健康運動』という名前を大切に使っていこうと強く思うようになりました。
もし別の名前でTwitterをやっていたら、ボックスとのこのやり取りはなかったかもしれません。
「自分では忘れられていると思っていても、不健康運動のことを覚えてくれている人はいるものなのだな」。
私はそう強く感じました。

思えば、この名前を使い始めてもう10年になります。
22年一緒に過ごしている本名の半分弱の時間を、私は『不健康運動』とも一緒に過ごしているのです。
自分が思っていたよりもこの名前に愛着を持っていたことに、私はこのときやっと気付くことができました。

変な名前かもしれない。
名前のせいで不便に思う場面もあるかもしれない。
それでも、この名前で私のことを知ってくれた人がいる。
10年使い続けてきたからこそ、できたつながりがある。
だから私は、『不健康運動』という名前を使い続ける。

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