やじろべえ日記　No36 「暗闇を舞う」

「ええ！何それひどくないですか！？」
「びっくりした！伏見さん，声大きいね。」
「ああ，ごめんなさい。…でも，なんか失礼だなって思いました。」

その日公園では野良のキーボード弾きである私－今日は名乗ろう，市村というーは同じキーボード弾きの伏見胡都葉さんと一緒にキーボードを放置して話し込んでいた。いつもは2人ともおもむろに弾き始めて適当に終わらせて帰ることが多いのでだべるのは珍しい。

そしてもっと珍しいのは伏見さんの口調がきつくなっていることだ。以前シンガーの浅井さんと3人でセッションした際も一時浅井さんに対して伏見さんが辛辣だったことはある。しかしその時でさえここまでのきつい口調ではなかった。

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「なんというか，あっちから頼んでおいてそんなセリフ言い残していくって…控えめに言って無神経ですよ。」
「まあでも，期待に沿えなかったのは私だし…」
「最初からそれを言われてやったならまだしも後出しじゃんけんのように言われたんですよね？そんな言い方あんまりだと思います。」

伏見さんは納得できないことが起きたり，感動したりすると早口になって言葉が止まらないことが多い。今回はよほど頭に来たのだろう，やや興奮気味だ。

「でも伏見さん，言っておくけど戸村さん『自分の演奏をちゃんと聞いてくれたのはわかった』って話はしてたし…全否定されたわけじゃないからね。期待しすぎたって謝罪も貰ったし。」
「それでもなんか悔しいです！市村さんがそんな言われようするなんて！」

だめだあ，これはもう止まらない。そうこうしているうちにもう一人の聴きなれた声が聞こえた。

「あれえ，伏見さんに市村さん。今日は弾きもせずにどうしたの？」

シンガーの浅井さんである。

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伏見さんがこんなに興奮していることの発端はもうお分かりいただけただろう，私だ。私は浅井さんの友人でドラマーの戸村さんに誘われて昨日とおととい，4日前にそれぞれセッションをした。そして昨日『周りの変化を受けたわけでない変化を見たかった』と言われた際にひどく落ち込んでしまっていたのだ。そしてついそれを伏見さんに話してしまい現在に至る。

「ちょっと浅井さんも聴いてくださいよ！昨日あるドラマーの方とセッションしてたら『もっとこうじゃない変化が見たかった』って言い捨てたらしいんですよ！」
「伏見さん待って待って，言い捨てたわけじゃないからね！ちゃんと『演奏はよかった』って言ってたし。」
「社交辞令ならどうとでもいえちゃうって親も言ってました。」
「そうなんだけどさあ…」
「…それもしかして陸人のこと？」
「陸人？」
「…そのドラマーさん，浅井さんの友達なんだよね。結構いろいろすっぱりいう人だから多分悪気はないと思う。」
「そうなんですね…」
「…ごめん，3人のセッションがすごくて陸人にいろいろ話してたんだよ。それにしても期待に沿えなかったって…そんなこと言われたのか。」
「…はい。」
「期待に沿えないってどういうことだろう…あいつ，他人にそんな期待することってめったにないんだけどな。」
「…何か思うところがあったんですかね。」
「仮に期待に沿えないとしても，普通面と向かってそんなすっぱり言いますかね？感動して近づいたくせにそんなこと言うなんて…やっぱり無神経です。」
「僕もそう思う。」
「まあまあ伏見さん…え？浅井さん？」
「…市村さん，多分君こういわれなかった？『誰かの影響を受けなかったうえでの変化を見たい。』みたいなこと。」

なんでわかったんだろう。

「…主旨は合ってます。でもどうして。」
「打ち上げの日に，君の本番の演奏がいつもと違ったことを話したんだ。君は普段から他人の演奏を聴いたうえでの演奏をしていたけど，あの本番の日はいつもと違ったからね。あれがすごくて陸人にいろいろ話したんだ。陸人は君の演奏を認めていないわけではないと思う。ただ初対面で分かった通りあいつは言葉の選び方がとんでもなく下手だ。それに…あいつはやはり高望みしすぎたんだと思う。」
「高望み？」
「あいつはおそらく君の『自分からの変化』をすぐみられると期待したんだろう。でもそれはあいつの期待のしすぎだ。あの変化だって積み上げたものの先にあったものなんだから。少なくとも僕はそう思う。積み上げたものがほとんどない陸人と市村さんの間柄であの変化は起きるわけないと思うよ。」

自分がそんな風に期待されるのは悪い気分ではない。ただ，その期待を裏切ってしまうと分かっているのはなんとなくしんどい。

わたしの表情が変わらなかったのを見ていたのだろう。浅井さんもそれ以上追求はしなかった。

「…陸人には僕からも言っておくよ。ごめんね，市村さん。」

その日はそれでお開きとなった。

期待を裏切ってしまうことはこれから何回もあるのだろう。自分が嫌だと思っていたのは「演奏が変わることで『期待を裏切る』こと」だったのだ。今になってようやくわかった。