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「書くこと」でできること

先日,書くことを通じて何と向き合いたいかを考えていた。

あちこちで再三話している通り,「実在する欲求」に向き合いたいのは事実だ。
さて,今日はその「実在する欲求」について考えてみたい。

虫の居所

ここ最近ずっと,虫の居所が悪い。理由は体調不良なのだが,ちょっとしたきっかけで悲しくなったりイライラしてしまったりする。現実世界であれば相手にしたくないであろう人間に自分がなってしまっている。その事実を受け入れざるを得ない一週間だった。

虫の居所が悪い時は変なミスもしてしまいがちだし,いつもであれば気にならない周りのノイズが気になって仕方なくなる。

このような時,好きなものを食べたらいい,好きなことをしたらいいとよく言われる。そして自分もそれを字面ではわかっている。

しかし字面で分かっているということは本当の意味では理解していないということだ。

孤独を愛したくなる瞬間

経験がある方もいるだろうが,機嫌が悪いと何をしても気に入らなくなってしまう。
おいしいものを食べようが,いっぱい寝ようが,好きな本を読もうが,推しの音楽を聴こうが,何しようがどうにもならない。もちろん嫌いなものは受け付けられない。ほかの人に話しかけられても上の空で返事してしまう。

筆者は基本的に,自分の機嫌は自分以外どうにもできないと考えてしまう人である。このような時は人と離れて何かをしたくなってしまう。孤独で黙々とできる作業。例えば記事閲覧。例えば…執筆。

こう考えると,文章を書くことや出来上がった文章は虫の居所が悪いという”負の欲望”に寄り添えるツールなのではないか。
現に,今まさに自分が虫の居所が悪く何かを吐き出そうと必死になって書いている。機嫌が悪い時に読むと落ち着くものは何かないかと考えたが,やはり機嫌が悪い時はインプットよりアウトプットがいいだろう。

アウトプット

インプットよりアウトプットのほうが,機嫌の悪い時のいい解消方法になる。そう考えたきっかけがこのツイートである。

たしかに音楽も発散の一つだ。だが音楽や楽器はできる人が限られる。ちなみに自分の場合音楽は多少触った程度。詳しくはこちらをご覧あれ。

昨今の事情から自粛要請,外出抑止もあり,虫の居所が悪くなっている人は多いだろう。そうなるとやはりこのような時にできるのは発散である。
書くことで,自分の中の腹の虫を抑え込むことができれば。あるいはそれがうまくいかない人ができるきっかけを作る文章を書けたら…
すこしは昨今の欲望を満たせる,求められる文章になるのではないだろうか。そう考えてしまうのだ。

向き合いたい「欲望」

基本的に何かを書くとき,読み手の欲望を満たさなければ読まれない。そしてその文章は忘れられる。忘れ去られたい文章を書く人間はそうそういないだろう。
だが,欲望を「かなえる」だけが読まれるのに必要な要素なのか。

今日出会った単語,「アウトプット」「発散」から,「この文章を読んでこんなアクションをしたくなった。」という行動につなげられる文章が書ければよりその文章の存在意義が上がると考えた。

そういう結論に至った。

相手にアクションを起こしてもらえる文章。
それを書ければ。もしかしたら自分は「書くことに向き合う人」に近づけるかもしれない。

今日はこの辺で。

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