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やじろべえ日記 No45 「ずれ」

私は野良のキーボード弾きだ。今日はセッション仲間の浅井さん,伏見さんと練習する予定だったが,伏見さんが体調不良のためお休みすることになった。

「伏見さん,大丈夫ですかね?」
「まあ中学生って色々今大変な時期だろう。たしか伏見さんもうすぐ受験生じゃなかったっけ?」
いわれてみればそうなのだ。伏見さんは我々大人と普通に接しているのでたまに忘れそうになるのだが正真正銘の中学生。
大人とはわけが違うあれやこれやに日々悩まされているのだ。たぶん。
ただ,今悩んでいるのは大人でも理解できる代物だろう。

「やっぱり悩んでしまっているんですかね…」
「多分ねえ。まあただでさえ多感な時期だし。今はそっとしておこう。」
「…」

公園で浅井さんと話していた。伏見さんが言うには,私の演奏の良さがわからなくなっている。魅力が引き出せなくなっている。確か昨日浅井さんが話してくれた主旨はこれだったはずだ。
私としてはちっともそんなこと思っていないのだが。むしろ他人になかなか合わせられず演奏の良さを認めてもらえなかったところに自分を認めてくれた最初の二人なのだ。彼らが私の良さをつぶしているとはどうしても思えない。

「…僕らの言っていることに納得いってないという感じかな。」
「ええ。まあ。」
「なんだったらやってみる?どちらが正しいかわかるかもしれない。」

そんな感じで浅井さんと二人でセッションをすることにした。
「思えば2人でやるの,あの本番以来ですね。」
「あれから10日以上たってるからね。勘が鈍っている気がするな。」

まずは浅井さんがソロで入る。そこに重ねていく。浅井さん,今日はスローペースだ。そこに徐々に重ねていく。
浅井さんは今日はバラードの気分なのだろう。ゆったりしっとりと歌い上げ,彼の思いは頂点へ向かう。そこに私も同伴する。あくまで霧のように,あたりを覆う空気のように。

やがて彼の足音が消えたら,私も静かに幕を下ろすこととした。

「やっぱりね。」
「はい?」
「市村さん,陸人と会ってから変わったよ。彼の影響は間違いなく受けている。」
「…どういうことですか?」
「変化のスピードがえぐいってことだよ。君自覚ないと思うけどさ,あのステージの日からさらに上達している。」
「…そうなんですか?」
「陸人とセッションしたとき何も感じなかった?自分の変化に?」
「…明確に感じたのはあのアルペジオをやった時です。」
「そうか。確かに今までの君だったらあそこで弱弱しいアルペジオ弾かなかっただろうね。陸人に合わせてただろうからね。」
「はい…ただそれ以外はいつも通りです。」
「いや違うね。」
「え?」
「いつも通りじゃないよ。いつも通りの君だったら…容赦ないセッションなんてやらないだろ。それもあって2回目の人間と。」

確かにそうだ。あれは自分もいろいろ悩んだ結果だから決して後悔はしていない。ただ確かにあれは普段の私ではないだろう。

「もしかして私,お二人とうまく合わせられてなかった…いやもしかしてじゃない。たぶんそうですね。」
「うん。ただ重ねて言うけれどこれは君が悪いわけではない。君の進化速度が速かったんだ。」

なんか最近こんなのばっかりだ。どうして私は周りに合わせられないのだろうか。

「周りと合わないことは決して悪いことではないよ。それに君はいざセッションとなると基本的には人にしっかり合わせられる。ただ,今は僕等がいたらないみたいだ。伏見さんが復活するまでは個人練習にしよう。」

そういって,私と浅井さんは別れた。

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