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歌われない人々を,減らしてはいけない

最近周りでこのドラマが話題になっている。

「アンサングシンデレラ」

職業のせいもあるのだろうが,twitterでもリアルでも自分の周りで話題になっている。
自分はSNS中毒気味,完全ネット中毒のひきこもりである。そのためリアルとtwitterの世界を行き来する日々を送っている。そんな生活を送っているとリアルとtwitterの世界が分裂していると感じることが多い。そのためリアルとtwitterが連動しているこの状況はかなり珍しい。

このドラマで薬剤師の注目度が上がればなあと様々なところでささやかれている。特に普段職業で苦労しているのにも関わらず,国からはもっと仕事をしろと言われている当事者の人々は理解されることを願っているだろう。

そんな状況において,あえて職業の大変さには触れず,そのタイトルに着目した自分はなかなか変わりものだと思う。

unsung

unsungとは「詩歌にうたわれ(てい)ない、詩歌によってほめたたえられない」という意味である。(Weblio辞典より)

まあ讃えられるにはそれだけの理由がある。成績で1番を取った,スポーツの大会で1位をとった,素晴らしい演技やパフォーマンスをした,より多くの人の命を目に見える形で救った…さまざまである。
自分にはできない圧倒的な偉業,真似できない貢献,そのようなものへの賛辞が「讃えられる」ということであろう。讃えられる人間にはそれだけの理由があるし,讃えられる人間の価値はとても大きいことは認めざるを得ない。

ところが最近になって思うことがある。

「讃えられる人間」が素晴らしい存在なのはわかった。だが逆は?「讃えられない人間」は価値がないのか?

一見筋が通っているようにみえるこの説明。ところが全く筋は通ってない。と思ってしまう。
さてここからは完全に持論タイムになってしまう。でも大事なことだと思うので書き留めておく。

注目や人気が重要視される世界

最近,仕事をしていて思うことがある。
「注目される人間」にどんどん仕事が偏っていることである。
これ自体はある程度しかたがない。資本主義の原理にも通じるところがあるのだろう。人間は平等ではない。ある程度力量や性格に差がある以上,注目度が偏るのも仕方がない。だが最近この潮流を見て思うことがある。
「注目される人間だけが評価されることは果たしていいことなのか?」
ということだ。

自分は会社勤めをしている。自分のいる業界では昨今,より人に対する業務に重きを置こうという潮流がある。
それ自体は否定しない。時代は機械や技術革新が進んでいる時代だ。自分は者と人とを扱う業界にいるのだが,モノについては次々と出てくる機械で何とかすればいいという論調については特に違和感は抱かない。
だがその注目を受けている人が仕事をできるようになるために必要な道具や設備は?お金の管理は?誰がしているのだろうか?またその人が集中できるように他の仕事を請け負っている人は?サポートしている人は?

金銭管理も事務作業も全部一人でしているフリーランスの方もいるだろう。素晴らしい,尊敬に値するものだと思う。

だが,自分を含めて大半は誰かほかの人の仕事の結果仕事ができている可能性が高い。お金の計算をしてくれる人,設備を作り,メンテナンスしてくれる人,応対している間に機械を回す人,本当に様々な人のおかげで自分の仕事が成り立っている。自分を支えている人,自分も含めてなかなか世の中では評価されにくいのも現状だが,それらの人々がいないと自分たちは生きていけないのも事実だ。

特にお金については管理がものすごく大変であることを簿記試験で知った。

これらの人々は「歌われない」ことが多い。利益と直結している人々でないので当然かもしれない。だが,「歌われない」人々を「歌われない」ままにするのは果たしていいのだろうか?

表舞台だけの世界

先ほど話した疑問は舞台にたとえるとわかりやすそうだ。

舞台や芸術ができるためにはもちろん役者さんと監督さんが必要だが,ほかにも大勢の人が必要だ。例えば大道具さんや小道具さん,メイク担当の方,小道具を作る美術専門の方,照明を担当する方,脚本を書く方,演出を考える方,衣服や衣装を考える方,BGMや効果音を考える方,ほかにも様々な方の協力がなければ作品は生まれない。

ここまでは大方の人が分かっていることだろう。

ところが最近の潮流を見るとそれだけの舞台を作り上げても評価され,お金をもらえるのは役者さんと監督さんという「表舞台の人」だけという場面が多いように感じるのだ。
もちろんそれは悪いことではない。キャストさんや監督さんはとても大変である。ド素人なので表現は悪いかもしれないがある意味それは職業の性格もあるので仕方がない。
ところがそれが「お金の分配にかかわる」のであれば話は変わってくる。

例えば注目されていないのであればそこは削ってもいいよね!ということで照明さんへ払うお金を減らす,メイクさんに使うお金を減らす…そうして気が付いたらどんどん質の悪い舞台になっていた…という事態が芸能ではない分野でも起こっているように感じるのだ。

自分の業界でも対人業務以外をする人に重きを置きたがらない潮流が出ている。時代の流れだから仕方ないとは思う。とはいえ表舞台で活躍する人だけが残った世界で発展があるのだろうか?

偏りの末路

職業に貴賎なしとはよく言っているものだが,今は先ほど話した「表舞台の人間」にしかお金がいきわたるようになっていると思えてならないのだ。職業によってお金のいきわたり方が偏っているように思えてならない。

そしてそこにしかお金がいきわたらなければ,当然他の「歌われない」仕事は消滅する。やる人がいなくなるから。たとえそれが必要な仕事だったとしても。

機械で代替するという形で解決するものであればそれでも問題ないだろう。ただ,機械で代替できないものであれば?あるいは技術的に可能であっても経済的にいきわたっていなければ?

結果的に似たような仕事をする人しか残っていない社会は,やがて発展から遠のいていく。そう想像してしまうのだ。完全に持論だが,構成員が同じようなことしかできない社会は発展しないと考える。

今叫ばれている多様性。それが経済面を理由に損なわれてしまえば社会はきっと豊かでなくなってしまう。そうすれば子育てもより困難になる。生きていくことも困難になるだろう。

必要な仕事であればきちんとそこにお金がいきわたるようにしなければならないことは,昨今の海外の事情や国内の事情からもお分かりいただける方も多いだろう。

今こそ必要な仕事をしている方をきちんと「歌うこと」が必要だろう。このドラマは「歌われない」人々を讃歌の渦へと引き寄せてくれるだろうか?

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See May Jack
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