「おっさんずラブ」という優しい世界で、「恋」について考える


普段、ドラマは欧米のもの(ほぼクライムもの)ばかり観る私が、久しぶりに日本のドラマにハマってしまった。


今話題の「おっさんずラブ」である。


「おっさんずラブ」への熱と、その熱に浮かされた頭で考えた「おっさんずラブ」のテーマである『「人を好きになる」って・・・何!?』について書いていく。


遅くなってしまったことについてはとても反省しております。



「おっさんずラブ」に侵食される日常


「おっさんずラブ」にハマってからというもの、休憩中には手が勝手に検索しているし、リアルタイムで観つつTwitterで荒ぶって大学の同級生(男)には怖がられたけど全く気にしてないし、土曜日までの日数を毎日数えていたし、母親はLINEでわざわざ通知してきたし、毎回観終わったら盛り上がった(母の絵文字スキルが高くて私は解読できなかった)。毎日2・3回は最終回の最後のシーンを観て生きるエネルギーにしている。

人生で2作目の円盤(Blu-rayやDVDのこと)を買いたいと思ったドラマは「おっさんずラブ」だ。ちなみに1作目はドラマ版「ハンニバル」で、我ながらこの落差は凄いと思う。(「ハンニバル」についてはグロテスクなものが大丈夫な方のみ調べてください)



「おっさんずラブ」という優しい世界

「おっさんずラブ」の世界は優しい。「おっさんずラブ」で登場する様々なカップル(あえてこの言葉を使う)は、男性同士だったり、年の差だったりと現実では、厳しい目で見られることを多いだろうカップルだ。「おっさんずラブ」の登場人物たちは誰もそれを非難しないし、揶揄しないし、否定しない。

猛アタックの末に結婚し30年の夫婦生活に突然終止符を打たれた蝶子さんも、幼馴染みへの恋心を相手に同性の恋人ができたことで自覚したちずちゃんも、誰も同性同士の恋愛であることも年の差がある恋愛も否定しない。みんないい人で構成された世界だ。

例えば、6話の牧くんとちずちゃんのシーン。牧くんは(おそらく自分のセクシュアリティ故に)「欠陥だらけ」と自分について言うが、ちずちゃんは牧くんのセクシュアリティを知った上で「完璧」と牧くんについて言う。ちずちゃんは牧くんのセクシュアリティを欠陥だと思っていない。好きな人の恋人の牧くんに対して、それを当然のようにできるちずちゃんって素敵だ。

そんな「おっさんずラブ」の世界は優しい世界なのだ。



なぜ、「おっさんずラブ」という優しい世界で「恋」について考えるのか

「おっさんずラブ」で「恋」について純粋な気持ちで考えられているように、私は感じる。何故こんな純粋に「恋」について考えられるのだろうと、その理由を考えた。

前述のように、「おっさんずラブ」の世界や人々は優しい。誰も同性同士の恋愛や年の差のある恋愛を侮辱なんてしない。それはそのことで変な邪魔が入らないということだ。邪魔なことに気を削がなくていいのだ。だから、みんなそれぞれの恋や愛に真っ直ぐ向き合っている。そんな「おっさんずラブ」の人々を通して、「恋」について考える私もまた真っ直ぐに考えられるのだろう。

「おっさんずラブ」は(周囲曰く)普段ひねくれている人間も「恋」について純粋に考えられるのだ。すごい。



「おっさんずラブ」という優しい世界で「恋」について考える

牧くんのシャワーでの告白とキスシーンを何度も観た。あの「好きだ。」の絞り出している感。ここに既に切なさと「好き」が溢れている。なんなら、虎の巻を見つけたあたりから、既に「好き」は溢れていた。ああ、これ「恋」だ。
もちろん部長の告白も「好き」が溢れている。これも「恋」だ。春田さんが好きだから、きちんと離婚する部長っていい人だなって思う。すごく思う。
ちずちゃんは自分の気持ちの整理のために告白する。前に進むために。これも「恋」のひとつの側面だ。

生活能力のない春田さんとそれぞれ生活した牧くんと部長は、あのダメっぷりを見ても幻滅しないし(仕事中にその片鱗を感じているかもしれないが)、春田さんのことが好きなままだ。愛想を尽かさない。それだけで、2人の春田さんへの愛の深さが分かる。そこまで愛せるってすごいなと思う。牧くんは「もう」と文句を言いつつも、たまに「でもこの人のこと好きだな」とか思ってどこまでも甘やかしていそう。部長は「はるたん可愛い!」とずっと思いつつも、最終回で春田さんが家事を少しはできるようにしている「できる上司」感も出している(どこまでも甘やかしていそうと思っていたけど、そうではないのだなと最終回を観つつ思った)。それぞれ春田さんのダメっぷりを違う形で愛している。

春田さんの幸せの為に考えた末に身を引こうとする牧くんと、春田さんの幸せの為に春田さんの背中を押す部長。自分が恋した相手の幸せの為に行動する2人。最終回の終盤まで周囲に流され続けた春田さんは、部長に背中を押されて、ようやく見つけた幸せに手を伸ばす。せっかく着たタキシードをぐちゃぐちゃにして、顔もぐちゃぐちゃにして、全くかっこよくないのに、なんだか涙が出た。素敵だった。

ああ、恋っていいなあ。好きな人との幸せの為に必死になったり、好きな人の幸せの為に自分が傷つくことが分かってるのに動いてしまう。色んな欲や気持ちが混じっていて、決して綺麗なものではないけれど。何故だろう。すごく素敵なことに感じる。人の思いがそこに満ちているからだろうか。

「おっさんずラブ」は(周囲曰く)普段ひねくれている人間が「恋」っていいなと、ただただ純粋に思えるドラマだ。すごい。



最後に

最終回、優しい世界のみんながそれぞれ幸せそうにしているのを見ると嬉しかった。部長も「いい恋だった」と振り返り、武川さんもどこか晴れやかな表情だった。やっぱりあんなにもいい人たちなのだから幸せだあってほしいと思う。
何より、牧くんと春田さんの2人が幸せそうにいちゃついているのが、よかった。春田さんの普段の子供ぽい雰囲気がいきなり大人のかっこよさが溢れる雰囲気に変わるのは、何度観てもずるい。何度でも惚れ直すだろう、牧くんが。

あと、最終回最後の牧くんからのキスシーン前の牧くんの目が、あまりにも春田さんへの愛おしさに溢れていて、見ているこっちは「あああああああ!!!牧くん、春田さんにそんな目を!!!ありがとう!!!(訳:語彙の消失と各所への感謝)」だった。あの目は本当にずるい。細めてた、笑顔のあの目。もうずるい。疑う隙もなく問答無用で「好き」が伝わってくるあの目。「目は口ほどに物を言う」っては、本当だなと人生で初めて思った。あの目ができる林さん凄い。

「おっさんずラブ」を作った方々、本当に素晴らしい作品をありがとうございます。2人がただ日常の中でいちゃいちゃしている続編をください。大きな事件とかいらないので、お買い物デートしている様子とか、休日家でいちゃついている様子とかください。まず、円盤とオフィシャルブックを楽しみに待っています。





因みに、今でも『「人を好きになる」とは何か?』の結論は出ていない。「おっさんずラブ」は様々なそれらの形を純粋に教えてくれたのだと思う。この問いは、答えのない問いなのだろうけど、私は考え続けようと思う。ある人が『なぜ?どうして?と常に頭の中で繰り返すことで物事の本質が見えて来ます。必ず。』と私に言った。この言葉を信じようと思う。だから、独り問い続ける。

『なぜ人は恋をするのでしょう。なぜ人は人を愛するのでしょう。なぜ人は結婚するのでしょう。「恋」とは、「愛」とは、「結婚」とは、何でしょう。「人を好きになる」とは何でしょう。』


#おっさんずラブ

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