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卒論執筆真っ只中

こんばんは!皆さんは卒論執筆を終えましたか?
まだ提出期限前という人も、卒論書かないなんて人もいると思います。
卒論は大学生活の集大成であり、学生最後の課題であるとはっきりしているので、せっかくなら満足のいく出来に仕上げたいと考えています。
そう、考えてはいますし、前々から考えていました。

しかし不思議なもんで、考えても行動が伴わない時ってありますよね。
特に面倒なことだったり、あまりにも規模が大きいとなかなかその一歩が踏み出せない。
それでも今までの人生、焦った時にちゃんと始めればそこそこ満足のいく出来で物事を仕上げることができていました。もしくは、焦って始めて改めて成功が不可能なことに気が付き、次に失敗に衝撃を受けないよう心の準備を整えていました。

では今回は何が違ったかと言いますと、
焦りがなかった
という点であります。

もともと12月は仮提出で、実質1月に提出できれば問題ないことは知っていました。それでも12月の仮提出にはしっかりと提出したい、提出できるよう緩いペースではあるものの、執筆を進めていました。
残り1週間となった時にやっと「これは間に合わねぇな」と理解しましたが、それでも焦りは感じなかった。
そしてそのまま1週間が過ぎ、提出の日。
全く焦らん。というかここは現実か?
というあり得ないレベルに達していて、むしろ悲しい気持ちが込み上げました。

さぁ、ここからが本題です。
なぜ焦りを感じなかったのか。
これについて考察していきましょう。

①「まだ期が熟しておらん」説
→先にも述べたように本提出ではないということからまだ焦る段階にいなかった、という見解です。しかし、12月には提出したいと考えていたわけですから、本来の自分なら焦りを感じていたでしょう。

②「何も考えとらん」説
→そもそも卒論を重要視していなかった、という見解です。これは的外れですね。だって大学生活の集大成ですもの。

③「今日が終わったのか...?」説
→こちらが大本命です。大学に通わず、人との接触も避け、家に篭りきりで会話もしないことで毎日に実感がないからこそ、期限が迫っているという実感もなく、焦りも生じない、という見解です。これだと思います。恥ずかしながら、休日は用事がなければいつまでも寝ていて、かつ後悔もあまりないので、そんな毎日を繰り返すうちに生きている実感すら失っていました。だからこそ12月14日提出日という文字や事実を受けても焦りを感じなかったのだと考えています。

いかがですか?こんな感じで、その論文の目的(ここでは「なぜ卒論が終わらなかったか」考察すること)と背景(今執筆してて改めて考えたから)を説明し、大きな仮説(卒論が終わらなかったのは「焦りを感じなかったから」である)を立てる。
そして小さな主張→根拠→考察(①〜③)を繰り返していけば、ある程度論文として形を成すということがわかりましたね。

こんな感じで卒論を終わらせたい。

※あくまでも一個人の意見であり、価値観は千差万別

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