4月の生活(2024)


4月1日(月)

月曜日で新学期で1日だ。
新入社員たちがいるのか、リモートワークの人にも出社要請が出ているのか、電車が混んでいる。
弊社にも新入社員が1人入り、システム周りの説明をしたけど毎度わたしの説明って一方的に喋ってるだけで駆け足になってしまう。何かマニュアルでも作ったほうが良いのかもな。
作るか、マニュアル!そんな毎年毎年新入社員が入るわけではないけども!マニュアルを作ったとてそれをなぞるように説明するだけになって結局一方的駆け足になる気しかしないけど。
でも見返すアイテムってあった方がいいよな。

こないだ無印良品で買ったタオル生地のパジャマ、かわいくて着るたびうれしい。
野暮ったさを取っ払ったホテル着みたいで、それでいて見た目がちゃんとパジャマ然としているのが良い。
ただあまりにもパジャマでっせというパジャマなので、休日のコンビニなどちょっと出たいという時が困る。
この世には部屋着と寝巻きを分けてちゃんと着替えている人がいるらしいけど、本当ですか?1日が60時間くらい無いと日に3回4回着替える気力無いかもな。
タオル生地の服初めて着たけど着心地が良いし、質感も何か健康的というか生活的というか、有機という感じがして好ましい。タオル生地のTシャツとかポロシャツとか欲しいな。
最近服全然買っていないので服買いたい欲がふつふつと。


4月2日(火)

自分自身は平穏だけど、自分の身の回りや遠い身の回りがごたりごたりとしていて眉間に皺が入らない程度に眉に力が入っている。
この世は偏見で満ちている。が、それは仕方が無い、生きていく中で他人の傾向と対策を知り、ある程度ラベリングをして対処していくのが人間だから。
だからこそ、意識的に偏りすぎている見方をしてるかしていないか、偏見を武器にしたりされたりしていないか、都度振り返る事が大事なんだと思います。自戒。

暖かくなったのもあり汗疱が活性化して来たので、皮膚科へ行ってステロイドを処方してもらう。
昔は春夏にしか出なかったのに、今は秋冬もうっすらと発症しているのは加齢なのか、蓄積ダメージなのか。
銀歯による金属アレルギーによって汗疱ができる説があるけど、信憑性はどれくらいなんだろう。でもそうだったとしても、わたしの口腔は銀歯やブリッジやインプラントで構成されているので、もう歯を全てぶち抜くしかなくなってしまう。

今日はほぼ定時あがりだったし、ゆっくり過ごそうと思っていたけど、なんとなく手に取るスマホで負のパブサを重ねてしまいそうな日だったのでフィットボクシングをして邪念を払いました。

4月3日(水)

社長の子供がもう今年度から中学3年生だというのに驚き慄いた。こないだ中学入学してなかった?
赤子から幼稚園生、幼稚園生から小学生と幼子の時代を「こんな小さかったのにね〜」と述べるのは簡単だけど、中学入学から卒業までは(卒業はまだ先だけど)あまりにも人間が社会に繰り出していく過程すぎて、人ひとりの人生……と思って二の句が継げなくなってしまった。
この2年間わたしは何をしていたろう。今の家に引っ越して、ムーとたまに会うようになったくらいか。ちゃんと変化ある人生送ってるよ、良かった。

夜友人と中華ごはん。ザーサイ、えびせん、棒餃子、酢豚、豚バラにんにくダレ×2、五目あんかけおこげ。
わたしは中華では酢豚が一番好きかもしれない、必ず頼んでいる。豚肉がぶりぶり食感になっているのが楽しくて好きだ。
昨日のごたりごたりを友人と即日共有できて良かった。なぜ人は話すと手持ちの荷物が軽くなるような、胸のつかえが取れるような気持ちになるんだ。
話すと、というか共感してもらえると、か。
共感してもらえると仲間意識が芽生えたり強固になるし、マイナスなことを共感してもらえたときは、許されたというような感情になることもある。あまりにも社会的動物すぎる。
頭ではわかっていても、湧き上がる感情は自分では操作できない。刷り込みというかDNAというか、脳が先か心が先か、命が先か自意識が先か。
人間の複雑で煩雑な感情。複雑で煩雑な感情だからこその人間か。AIが人間を人間らしくコピーなんてできるのか?まだまだ難しい気がしている。

4月4日(木)

会社があるビルがメンテナンスのため午前中断水。電話番等あるのでわたしは出社した。
朝自宅で2回、出社前会社近くの喫茶店でコーヒーを飲んだあと1回トイレに行ったけど、10時半くらいにはもう膀胱の事が気になって仕事に集中できなかった。
それだけでなく、今日は1日眠いしぼんやりしてて全然仕事にならなかったのは寝不足か、PMSか。
毎日6時間以上寝るの無理だよ。やりたいことが多すぎる。

新入社員がいるのでいろいろと説明する機会が増えているのだが、やはりわたしは説明するのが下手くそだな。というか、喋ること自体が下手くそになっている気がする。前からこんなんだったっけ?
どうも要点を押さえたり、きちんとした結論がわからないままだらだらと過程を話し、話しながらあれもこれもと気になって方向性があっちゃこっちゃ行き、自分で話しながら何を話したかったんだっけ……となるのが最近多すぎる。仕事でも仕事以外でも。話す筋肉が衰えてるんだこれ。
理由があるとするならば。もう自分の周りにいてくれてる友人やムーは付き合いが長いから、パッションだけで喋っても成り立つ関係性だしわたしが頭を働かせずに垂れ流した会話をしても聞いてくれている人たちだから、それに甘えてきてしまっているからなんだろう、理由をこじつけるとするならば。
筋トレしなくてはだ、トークも身体も。

4月5日(金)

仕事において自分は短距離走型だなと思うのは、いきなり集中が切れてスイッチがオフになる感覚が仕事中多いことから自称しているのだが、最近はオフの前段階に飽きのターンが入っているなということがわかってきた。
小さいボールを次から次へと打ち返すのはPCの画面もころころ変わるし、集中と集中オフのインターバルがあってやりやすい。
中距離〜長距離系の仕事は必然的に同じ画面を見続けている事が多くなり、だんだんと、もうこの画面見てるの飽きた!と心の中の駄々っ子が暴れ始める。
飽きたタイミングで別の仕事をねじ込み、仕事の合間に仕事をやるなどというまるでできる人間みたいになっている瞬間があるけど、ほんとは1本1本まとめて終わらせたい。タスクの消化ボタンを押してしていくのが一番気持ちいいんだから。

退勤後、紀伊國屋書店でいろいろと買う。
ダンジョン飯が平置きされている所で1人のサラリーマンが表紙をじっと見ているから、(買え……!良いぞ……!買え……!)とこっそり念じていたら、1巻を手に取り、2巻を手に取り、あれよあれよ言う間に全14巻をまとめて抱えたので、その姿に痺れました。
結構な量だぜ、買おうと決めているんだったらAmazonとか通販で買ったほうが自宅に届いて楽だし、全部新品で買ったらまあまあな値段になるから古本屋で買っちゃおうとかそういった選択肢もあっただろうに、実店舗で一気に買い揃えるその姿勢、最高だぜ。
いい週末を送ってください、ダンジョン飯があればいい週末を送れるはずです。


4月6日(土)

どうも今日はやたらと眠い1日だった。
春だからなのか疲れなのかPMSか、10時すぎまで寝て朝ご飯、そのあとまた眠くなって寝て昼過ぎに起きて昼ご飯と、久しぶりに自宅でゆっくりした。
夜は南池袋公園で友人らと花見をした。
この公園はいつも混んでいるしワンチャン座る場所が無いことありえるな……と怯えていたが、公園には桜がてんてんとあるだけだったので、わざわざここで花見をしたいという人は少ないのか芝生エリアはすいていて良かった。
花見なんて、みんなで集まる口実なんだから遠巻きに桜が見れていればいいんだよ。
久しぶりに地べたにレジャーシート敷いて飲み食いした、というか花見らしい花見をしたのもコロナ禍前以来だなあ。

やたらと体が最近痒いのは花粉の影響でしょうか。
足が痒くてボツボツできているし、今日は手の甲もボツボツしていた。症状見る限り昨今話題のトコジラミでは無いだろうけど、原因が明確にわからず痒くてボツボツなのはほどほどに不快。タッパーの溝に米粒が詰まるくらいの不快。


4月7日(日)

いい天気だ。ちゃんと晴れて花見日和。早起きしようと思ってはいたけれど、今日も10時くらいまで寝ていたので朝ご飯を抜いてから洗濯をして、昼ご飯。
近所の川沿いを歩き、ぽつんぽつんとある桜のスポットを確認する。
川沿いには時々、広場というには狭い、ベンチが1つ2つだけあるようなポケットがあり、大体そこに桜が植わっている。
近所の人らが散歩ついでにそこのポケットで桜を眺めていたり、井戸端会議が始まったり、子供たちがシャボン玉を飛ばしたりしている。
気候があたたかで、鳥が鳴いていて、平らかな景色。

ずらずらと歩いて新宿付近に着く。
新宿中央公園を覗いてみたら、芝生エリアは花見客で混んではいたけどまだ異様な混み方はしていなかった。
アルコールも持ち込みOKなのにトイレも喫煙所も長蛇の列になっていないし、代々木公園に比べて治安が危うげになっている雰囲気がしていないのは、やっぱ人が集まるとその街その街の特徴が強調されるということなのかしらん。
新宿中央公園は新宿駅から遠くてほぼオフィス街なのが理由か。

ついでに新宿御苑もチラ見するか〜、こっちはアルコール持ち込み禁止だし入場料かかるし、いつもの土日よりちょっと混んでるくらいやろうと思ったら代々木公園くらいの混み具合がもう門前に詰まっていて絶句。
あっ、結構、みんな花見ってちゃんと花見しに来ているんだ。
新宿門は混むから大木戸門から入れば楽勝よ〜と思っていたのに、新宿門すぐから大木戸門に入る人たちの列ができているのよ。
まさかこんなみんなちゃんと花見するとは思っていなくて舐めていました、ごめんなさい。
新宿御苑のために新宿に来ていたら並んだけど、ついでついでだから、身体も疲れていたので今年は諦めます。
いやしかしだね、みんな偉いと思う。花見でもごはん屋さんでもアトラクションでもアクティビティでも、ちゃんと並ぶ人たち、並ぼうと思うその胆力、めちゃくちゃ尊敬するしちゃんと誇ったほうが良い。
わたしもムーも行列が苦手で、見かけるとすぐバックステップしてしまうので、並び疲れを予測し回避してはいるけども、それはつまり並んだかいがあったな〜!疲れたけど行って良かったな〜!などといういろんな可能性のカケラを全部落とし続けているということでもある。
だからやはり待てるというのは才能だし、期待へ向けた行動を起こせるということなので、行列並べる人はすごい。ほんとうに。


4月8日(月)

ここのところ、月曜日は元気が無い気がする。
インターンみたいなやつの、初日の人がほぼ毎週来ていて、ほぼ毎週同じ説明をして、ほぼ毎週同じ事をやっているのにどうして己はこんな説明が苦手なんだろうと思っているからか?
相手は緊張しているだろうからそらそうだろなんだけど、相槌等が鈍くわたしが話している事がちゃんと届いているのか分かりづらいのが精神的ダメージになっている気がする。
その緊張をほぐすとこからわたしの仕事なんだろうけど。そうなのか?わかりません。
つきっきりのサポートは得意なんだけど(現場補助など)、程よい距離感と良い塩梅のサポートは苦手すぎる。めっちゃ見るかめっちゃ見ないしかできない。
めっちゃ見るを選択すると、自分はお局様の才能あるなと思うほどめっちゃ見るをしてしまうので、それも良くない。
別にわたしに限らずみんなそうか。その良い塩梅になるチューニングを如何にして合わせようとするのが人間社会なんだよな。

例年の事を覚えていないだけで四季はちゃんとある!だから最近の気候はちょっと暖かめの春、と自分に言い聞かせていたけど、さすがにちょっと初夏かも。というか湿気がすごすぎて、室内干ししていた小物がかび臭くなっていた。
ふわふわのシーツを剥がし、今週末洗濯しよう。
ほんとは年中無休でふわふわに包まれていたいのだけど、ふわふわを汗でびしょびしょにするわけにはいかない。

夕飯はムーが作った、素を使ってない麻婆豆腐を食べた。美味しい。
暑いので扇風機をつけて寝る。


4月9日(火)

もう大変暖かなのはよくわかったぜ!と、薄着にした途端、涼しすぎるんだ。ふわふわシーツを剥がすのは尚早だったか?
我々は、今日の服はちょっと暑かったな……寒かったな……を死ぬまで繰り返す。それはもう春秋の行事だろう。

仕事終わり間際、腰痛を感じ下腹部もじんわりと痛くなる。肌も最近調子悪かったのがもちもちになってきているので、これは生理が来ます。毎回こんな風にスタートがわかりやすければ良いのに。
前回は生理終わったあとに謎の生理痛みたいな腹痛が長く続いていたのもあり、もう腹が痛くなるターンが来たのかよ、と自分の腹痛頻度の高さに少し笑えてくる。
自分の身体の事なのに自分で操作できないのがずっともどかしい。毎月来るものなのに症状は安定していなかったり、生理痛に限らずどんな体調不良だって気をつけていてもいなくても最終は運だったりするところ、ローグライクゲームみたい。
やりがいと理不尽の共存。

穏やかながらPMSも来ていたので、風呂に入りながら突然将来に向けての漠然とした不安に襲われてしまった。
いつまでこの仕事ができるのだろう、転職したとて業種は?わたしがやりたい事って何?今より収入が落ちてもなんとかなるの?収入が落ちないようにするためには今と同じ業種で進むしかない?でもわたしはこの業界に長くいたいわけじゃない。
なんて、ずらずらと考えても意味ないのはわかっている。今のわたしの人生だって、たった3年前の自分からしたら予想もしていなかった人生になっているんだから、先を見据えようとしないでコツコツと目の前の事を片付けることに集中すべし。

近所の地域猫が最近触って欲しくないようだ。
以前まではこちらがしゃがんで撫でる体制に入れば、向こうからてけてけとやってきて、指の匂いをかがせたらその手で撫でろと言わんばかりにスリスリしてきていた子だったから、かなりさみしい。
今は目が合ってもしゃがむとピュッといなくなってしまう。


4月10日(水)

寒いかも……と思ってヒートテック股引を履こうとしたが、洋服棚から見つけられず履けなかった。寒い。
ヒートテックって自己圧縮能力が強すぎて、一旦しまうとどこかに紛れて行方不明になるのなんとかならんのか。わたしのしまい方が雑なだけか。
下着類って畳んだところでくちゃくちゃになるから適当に突っ込んで棚の中が下着の海になっているのを収納としているのがだめか。
小分け仕切りを入れたとしても仕切りの数が足らなくて無理になったから今の方式なんだけど、みんな下着の収納ってどうしているんだ。

仕事中、気が散った時にネサフしないよう虚無を見続ける訓練。
片耳イヤホンでYouTubeか音楽を聞いているので、それに意識を集中する。ネサフした瞬間時間が爆速に死んでいくからすぐネサフに手を奪われないよう癖をつけないと。
もしかしてネサフって死語?


4月11日(木)

ねこがたくさんいる団地エリアに住んでいる人の家に遊びに行き、最高の団地じゃんと思っていたら、その人の部屋は汚すぎてGがめちゃくちゃ湧いてて最悪!となる夢を見た。
会社の後輩も一緒にいて、わたしはGに怯えて落ち着けないのに後輩はどっかりと腰を据えていた。
という夢を見たんだよと出社した時後輩に話したら、G怖くないんで当たってますねと言われた。

ムーが夜買ってきたアルコールが、「友達がやってるカフェ・バー」コラボのラムコーク缶で、缶には「コーラ好きのりょうたが最近推してるやつ」と商品名?コピー?が書かれていた。
ヴッ……。缶を回し見すると、サイトにアクセスするQRコードに「こういうのアクセスするのだるいけど見てみてね!」的な事が書かれている。抜かりないな。
こういう商品名が長いとか説明的すぎる商品名とか、もう長らく流行り続けている。たまにだるすぎるだろというものにブチ当たるけど、このだるいな〜という感情はどこから起因しているんだろう。
知らんがなという感情だろうか。急に肩組んでくるけどお前誰だよという感覚。もしくはメーカーだけで盛り上がっていて、わたしは取り残されているように感じている?
つまり身内ノリか。

その身内ノリが自然発生でも意図的に作られたものとしても、どうしてもふるいになるし、ふるいにかけられた!つまり除外された、という感覚になってヴ……となっているのか?
そうだとしたらめちゃくちゃ社会的動物の感覚すぎて笑えてくる。自分が身内側にいる時の身内ノリは好きだし何が悪いんだよとか思ってしまうのも思い当たるのがまた笑える。
一方的に対象外ですとラベル貼られてムッとなり、だるいに繋がっているのかもしれない。
今のターゲティングって広く浅くより狭く深くを狙い撃ちしてる感じなんだろうな、皆が自分に合わせた情報を摂取できるようになったから。

「友達がやってるカフェ・バー」は前にテレビか何かで見たけど、健全なコンカフェなんだなあと思っている。
健全だけど、スタッフがいてちょっと味のあるコミュニケーションができるわけだから、大なり小なり執着が生まれて客はその執着心をどう飼い馴らせるかが勝負だと思っている。
健全不健全は置いておいて、メイド喫茶から執事喫茶から、今はこういう友達キャラだったり妹キャラだったり、異世界だったりキョンシーだったりと細分化がずっとはげしくなりながらコンセプト系飲食店が流行っている。
オタク文化の影響もあるだろうけど、みんな自分とは別の何者かになりたい変身願望みたいなのもあるのかな、店員側も客側も。


4月12日(金)

ノエル・キャロルの『ホラーの哲学』を読み終えた。
わかんね〜〜〜!!!難しすぎる。文章がわからないのか、内容がわからないのかわからないほどわからなすぎて中身が全然入ってこなかった。
哲学書というのもあるのか?哲学がわからなすぎるという可能性もある。そういえばちゃんとした哲学書って今まで読んだことが無いのかも。

そもそもの所、なぜ人間はフィクションを楽しめるのかという事とか、なぜ恐怖を感じるのにホラーを求める嗜好者がいるのかとか、脳科学者を携えて読みたい箇所がたくさんあった。
それはわたしが先述の理由は脳科学をベースとした自分の中の理屈があるからなんだけど。哲学書読んでいるのに科学者を引き連れようとするのはなんかマナー違反な気がする。
自分の中で得た解釈が2つ。1つは、いわゆるホラーというカテゴリはモンスター的なものがいて、😱というもの。
日本ホラーと空気感が違うというのはずっと思っていたことだけど、日本のホラーは恐怖という意味のホラーというより、不安という意味のホラーなんだなということ。😨という感じ。
ノエル・キャロルはそれを「不安の物語(テイルズオブドレット)」と定義して、これはホラーとはまた別の括りじゃないかと言っている。
もう1つは、ホラーを摂取する快感は、情報の開示を受け取る気持ちよさなのではという話。これはめちゃくちゃわかる。でもこれはサスペンスやSFにも言えることだよな〜と思いつつ。そこへのフォローがあったかも無いかもしれないが、多分読み落としてる。
わからなすぎて目を滑らせながら読んでいた。


4月13日(土)

今日は偉いぞ、9時前には起きて、シンクと風呂を洗い、洗濯物を干し、散歩をした。ムーはご飯を作り、わたしは掃除機をかけた。
なんで生活をしているだけでこんな汚れるんだ家というものは。トイレ掃除はまた今度。

散歩をしてたどり着いた新宿中央公園で、大江戸錦鯉祭りなるものが開催されていた。直径2mくらいのプールがたくさん陳列され、そのなかで錦鯉が悠々と泳いでいる。脳裏で森見登美彦の世界観が点滅する。
錦鯉の品評会と展示、明日はオークションなどもやるらしい。
受賞している鯉はプールに賞状がつけられていて、すごい大きいのもいればよく公園の池で見るくらいのサイズだったり、柄もいろいろあり評価の基準が全然わからなかったので、帰宅してから錦鯉の事を調べた。

とにかくデカいのは最高らしい(小さいけど今後の成長に期待が持てるとかそれをカバーするほど柄が良すぎるとかで賞をもらうこともあるっぽい)。デカくて肉付きが良くてきれいな紡錘型になっているものが良い。柄は明瞭で、前後左右のバランスが良いもの。
と、基準の知識を得たうえで錦鯉を見てみても素人の目なので解像度は低く、違いが当然わからない。
今海外からの熱がすごいらしい。ここ10年で錦鯉の輸出額は3倍くらい伸びて去年は66億まで行っているとのこと。すごい。
錦鯉のバイヤーや、錦鯉マニアが品評会やオークションのためだけに来日したり、推しの養鯉場があってそこで買い付けたり、オーナーとして出資して養鯉場に育ててもらったりしているんだって。ちょっと競走馬みたいじゃん。
オークションの様子の動画を見たけど、オークションというかちゃんと競売だった。
進行の人は金額の書かれた板をバンバンと打ち鳴らし、早口で捲し立てる。それに海外の人が手を挙げ指を指し示し金額を乗せていく様が圧巻だった。
日本語の進行なのに、わたしは進行の人が何を言っているのかほとんどわからない。

今年のでかい品評会で優勝した養鯉場の人は、錦鯉は手をかければ手をかけただけ見た目に出るから甲斐があるという話をしていた。
柄の種類もたくさんあるし、柄の名前もかっこいいし(大正三色、緋写り、九紋竜、山吹黄金など)、柄が一番きれいに出るのは10年経ってからという人もいるし、1つとして同じ柄は無いわけだし、これは確かにマニアになる要素がめちゃくちゃある。
全然知らない世界ですごいお金が動いてるんだなあ。散歩ついでに、身近だけど知らなかった文化を知れたので今日は良い日だ。


4月14日(日)

今日は9時過ぎに起床。朝は久しぶりにデニッシュを食べた。
美味しい、トーストしたデニッシュはとても美味しい。バターの香りと、生地がリボンみたいにほどけてしっとりしているのが美味しい。うっすらと胃はもたれる。

下着類をオキシ漬けしてから洗濯。2日連続洗濯。えらいよ。冬用の敷きパッドも洗濯した。
夏用のボックスシーツが余分に2枚あるんだけど、なぜ?
去年限界だった汗吸いパッドとタオル地のボックスシーツは処分したのは覚えている。限界じゃない既存のリネンのボックスシーツがあるのに、なぜ去年追加でシーツ買ってるんだろう。買うべきは汗吸いパッドなはず。

今日は川沿いと、川沿いにある大きい公園を散歩した。
いい感じに暑く、風が気持ちよく、新緑越しの光は黄色くて、花壇は大きい花も小さい花も満開で、桜吹雪がずっと舞っている。
目が覚めて見た景色がこうだったら、死んだと勘違いしてしまうかもね、とムー。良い感じの景色に到達するたび、「これは死んだ」「これはまだ死には至らない」などと死後の景色への認識を擦り合わせる。
途中、公園の原っぱのうえで高校生くらいの女の子3人が、正座した膝を突き合わせてアコースティックギターを鳴らし合っていた。

曲の練習をしていたんだろうと思うのだけど、この桜吹雪と新緑の光のなかに控えめな音量で流れてくる音色が合わさって、ほんとうに死んだときには絶景とか完璧な音楽とかじゃなくて、こういった日常生活の中の光と花の景色と、ささやかでつたない楽器の音色であればいいのに。今この周辺でここが一番完成された景色かもと思って泣きそうになる。
わたしが画家だったらこれを描いていただろうと思う、あまりにも貴い景色だった。


4月15日(月)

ここ4、5年で明確に女言葉で話す事が多くなっているのは自覚していて、それは居酒屋で出会う人生の諸先輩方と話す時に、女言葉だとうまくいなせたり、距離感を離したり近づけたり会話のピボットをしやすかったりするからそれらが身についたと思っていたのだけど。
久しぶりに仕事中安住アナの日曜天国聞いて、そもそものルーツはここだったのかもと思う。安住アナはたまに女言葉を使うし、中澤アナの相槌のしなやかさやもそう。

初めて日曜天国を聞いたその昔、たまたまその時傾聴についての本を読んでいたのもあって、2人の傾聴力というかリスナーの話を一旦受け止める器や相槌や共感の幅がすごく広くてスゲーッ、と思ったのだよな。一旦預かってから急にぶん投げたりするのがまた痛快でもあったりするんだけど。
自分はすぐ突っ込んたりマジレスしてしまったりするから、こうありたいと思ったのもあり、話し言葉については無意識に2人から影響を受けていたのかもしれない。

冷凍庫にはnoshがパンパンに詰まっているのに、猛烈にスーパーのシャケ弁が食べたくなり買ってしまった。
お弁当売場にはシャケ弁の隣にグリンピースご飯が詰まっている弁当があり、春らしい色彩に目を奪われた。グリンピースが青々と、それに伴い白米がより白く輝いていて美味しそうだ……でもわたしはグリンピースがあまり好きじゃないので買わなかった。
美味しそうな見た目なのに美味しく食べられない事がわかっているのは悲しい。美味しく食べられるものは多ければ多いほど良い、その分幸せが増えるんだから。
汁物は自炊した、生ワカメと豆腐とあぶらげの味噌汁。


4月16日(火)

春の強風は気持ちが良い。生温く柔らかい風にあおられたくて、わざとたぼついたトップスと、プリーツの多いスカートを履く。
もうヒートテック股引もタイツも必要ないから、生脚で風を感じられるのがうれしい。
脚ですら半年ぶりに外気に触れるのがうれしいんだから、もしかしたら春で暖かくて風が強い日に、全裸で外に出られたら最高の気分になってしまうのかもしれない。
露出狂が春に多発する理由がこれなのかもしや。

許されないけど、これをやってしまったらどうなっちゃうんだろうねって考えちゃうのに何か名前が付いているんだっけ。
調べたらカリギュラ効果という名前だった。"他者から行為などを強く禁止されると、かえって欲求が高まる心理現象"。
わたしの場合は欲求というか興味関心という方に振っているからこれが同じ現象になるかはわからないけれど。人混みの階段で急に立ち止まるとか、信号待ちで隣の人をどつくとか、他人に負を付与することもたまに考えてしまう。
これらは負だし心地悪いイメージのものだけど、春に全裸で外に出たら「気持ちが良いかもなあ」という心地よさへのポジティブなイメージは、負の付与イメージより少し怖いところがある。
酩酊や朦朧したときに、心地よさを求めてやってしまうかもしれないというのが完全に否定できなくなってしまうから。


4月17日(水)

テクタイル(共著)『触楽入門』を読んだ。五感のうちの触覚についての本。
盲点だったり匂いの慣れだったり味覚の鍛錬だったり音の取捨選択だったり、得る情報から脳がどれを採用してどれを不採用にするのか、無い情報をあるようにみせるのかとかは今までの体験や読んだ本の知識から知っていたけど、五感のうち一番情報の整理が膨大かつささやかな、縁の下の力持ちみたいな存在なのが触覚なのかもなと思った。
触覚を意識してみてと言われて、今手に触れているものや体を纏っている服の素材だったり体の置き場所だったりに意識を向けることはできる。ただその触覚の意識って多分かなりわかりやすい部類だから意識して、と言われてすぐ意識を向ける事が出来る。
触覚が無くなると風や空気の流れも感じられなくなり、自分のボディパーツ、もしくは自分自身がここにあるという認識が難しくなるという話が、驚きと納得だった。
わたしは風が吹いていなければ空気の流れはわからないし、意識を向けようと思っても(体感)無風状態の空気の流れは感じるとる事ができない。でもそれはわたし自身がわかっていないだけで肌と脳は空気の流れはわかっていて、自分の肉体がここにあるというのを認識している。
こないだ読んだジルボルトテイラーの『奇跡の脳』にあった、「脳卒中で左脳が機能しなくなり右脳主体となったとき、自分の体の境界線がわからなくなって宇宙と一体化したような気分になる」というのは、脳が肌の感覚を処理できなくなって一時的に肌の触覚が麻痺状態となり空気の流れがわからず、外と肉体の境界線がわからなくなったということ?
つまりドラッグとかで肉体との境界線が無くなるというような、逆に過敏になるというような体験談は、脳の触覚ボリューム調整がめちゃくちゃになっているからということ?

MacBookのトラックパッドのクリックの触感、あれはボタンを押したときの振動を再生しているだけで実はパッドは押し下がってないんだよという話にびっくりした。
ムーにこの話をしたら、iPhoneのホームボタンもそうだよと物理ボタンがあるiPhoneを触らせてくれたけど、これは何かボタンというより板全体が押し込まれているという感覚がある。
Androidは物理ボタンはもう無く、モニター上のボタンを押して振動はあるけど押し込んでいるという感覚は全くない。やはりここにボタン・パッドがあるよという視覚認識も大事なんだろうか。
iPhoneは果たしてボタンの押し込む感覚なのか?という感じではあるけど、トラックパッドは本当にその押している指の一点が沈む感覚がある。技術もすごいし、そう感じ取る脳もすごい。


4月18日(木)

健康診断でした。体重が2キロ増えてましたわ。ガハハ。3年前に1年かけて落とした5キロが戻ってまいりました。
今日はやたらと光が眩しく感じられ、無性の苛立ちがあり、何やらスッキリとしない気分だったのは健診のために朝食を食べなかったからだろうか。
でも帰宅して風呂に入っている時も漠然とした不安に襲われていたから関係無いのかもな。
単純に睡眠不足なだけかも知れないので今日こそ早く寝ます。

お互い日本語を喋っているのにどうも意味が噛み合ってる感じがしないというコミュニケーションがたまに発生する人がいて、今日みたいな調子悪いときはすごくイラついてしまうし、無駄な確認作業が多くてもう勘弁してくれ!!と思うんだけど、この人はわたしが作ったものに関してめっちゃ好評価してくれるし、社内社外の反応も逐一教えてくれるので、フン……ま、悪い気分じゃないわね……と手のひらクルクルしてしまう。
学生の頃の先生が、あなたは人情の人だねと評してくれた事を思い出す。
自分のスキルのためにとか社会とかの大きいスケールのためにとか、そういったものに対して熱意は全然高まらないんだけど、この人のためにやりたいとか、喜んだ顔が見えるからやるとか、そういうのが原動力になりがちである。
ただ、「人のため、笑顔のため」が広域だったらサービス業に向いているんだろうけど、「人のため」の範囲は全然狭いし何回かやり取りがあって情がある人にしかこの原動力が作動しないので、サービス業をやってもうまく噛み合わない気がしています。
この誰かのための範囲が広域化するのが政治なのか。誰かのための範囲が狭くても、ひとりひとりが行動して小さい輪が伝播して大きい輪に見えていくのが社会なのか。


4月19日(金)

小手鞠るいの『望月青果店』を読んだ。
最近現実の本ばかり読んでいたのでフィクションが読みたくなり、だいぶん昔に買ったままにしていたこれを読んだのだけど、あまりにも情念……!!の話で久しぶりにフィクションを読むにしてはいきなりパンチが強くて少し食らってしまった。
鈴子の未練がすごく嫌だった。これを未練たらしいと思うのは情緒が無いだろうか。気持ち悪いなとさえ思う。理解のできなさからの嫌悪というより、自分が共感できそうになってしまうのが嫌だった。
鈴子と隆史の関係性は、一歩違っていたらわたしにも見える未来だったなと思うからこそ、共感したくない。みじめだから。
家族間に関しては同情する。どれだけ距離を離そうが、誰かが死のうが、血を分けた親と子というカテゴリは己と切り離す事ができない。諦めにも似た許し、もしくは受諾。
血の繋がりは恐ろしくて、呪いみたいなもんだよ。


4月20日(土)

明日と比べて今日の方が天気がいいけど、午前中から歯医者に行くため洗濯物が干せない。
今日の治療はインプラントのネジを土台にねじこむやつだった。
支払いは都度、特に分割せずというやり方で行きますと伝えてはいるのだが、未だ分割でも全然良いよと勧められてくる。
やさしいな〜と思っていたけど、もしかして病院的に分割で支払われた方がいいのか?でも分割手数料とかかかってないし、一括のほうが病院的に良いだろうと思っているのだが……。
多分めちゃくちゃ気を遣ってくれているんだろう。

治療後、散歩をしながら今週末退職する、10年近く付き合いのあった後輩への餞別を探す。
餞別って難しい。会社の付き合いだから残るものはあげづらい。ハンカチとか良いタオルとかも考えたけど、使うたび会社の人間をあまり思い出させたくは無いからなあ。
そうなると食べ物だが、仕事柄食べ物に触れる事が多かったので変なものは迂闊にあげられない。善し悪しがお互いわかってしまうので。
渋谷にたどり着いたのでヒカリエなど寄ってみたがピンとこず、新宿まで足を伸ばし伊勢丹を覗く。
そしたらめちゃくちゃかわいい茶葉セットがあったので即決し、そしたらもう丁度いいお茶請けがセットでしょ!と小さいお菓子も買った。
何時間もぐるぐるしていたのに伊勢丹に寄った瞬間全てが解決した。やはり伊勢丹は強い。

目星がついていない時は一旦「良いデパート」という極に振ってから絞り込むのが、ギフトにおけるtipsなのかもしれない。
伊勢丹に寄ったついでに仙太郎で柏餅とおはぎと水無月を買い、それらを夕飯とした。
餡子に思い入れがないので粒餡でもこし餡でもどちらでも〜とこの人生思って来たが、こし餡の方が喉越しが良くて好きかもなあ。


4月21日(日)

ムー、空前の和菓子ブーム。近所の和菓子屋でどら焼きや大福などを買って食べる。
今日は久しぶりにのんびりした週末だった。洗濯物を干し、昼寝を何度もし、スプラをした。和菓子をおやつの時間にたくさん食べたからお腹がすくタイミングも変になり、夕飯も適当に済ませた。お茶漬けを食べた。お茶漬けの緑の粒、何者?美味しすぎる。


4月22日(月)

新年度からの通勤列車の混みよう、落ち着くタイミングはいつか来るのかしら。朝のラッシュはまだ理解ができるが、夜も朝のラッシュ並みにミチミチになるのは解せない。この春から海外旅行者が増えている気がする。

旅行、羨ましいな〜!
ずいぶんと旅行らしい旅行をしていないが、計画を立てるのが苦手なので然るべき結果ではある。
旅行先を決めて、宿泊施設を予約して、交通手段を考え手配して、行きたい場所とそのルート等々、考えなければならない事は無限にあるし、それを組んでいる旅行者たちは本当にすごいことをやっている。
だから親とかに旅行をプレゼントするのがよくあるプランなんだ。そら嬉しいわ。
行き当たりばったりの旅もいいけどね、そうするとちゃんと何もしなくなってそれも惜しいと思っちゃうんだ。
めんどくせーやつだなこいつ。人混みも苦手とか言うしよ〜、旅行に連れて行きたくないタイプすぎる。

将来何かが起こって、学生にメッセージを送る事を求められた場合、貧乏旅行でも行きまくれと言いたい。
働き始めたら比較的すいている平日に休みはなかなか取れないし、平日休みでも土日休みでも友達と予定を合わせて旅行なんて早々できなくなる。
とはいえ自分が学生の時に旅行行きまくれと言われても、まあ行かんだろうな。
体感しないとその惜しさはわからない。人生一周しか無いとすると後悔することが山程あって足りないよ。


4月23日(火)

朝駅に向かう道すがら、路肩に鳩の死骸が落ちていてびっくりしてサイドステップを踏んだ。
あまり動物の死骸に遭遇する機会が無いので、ちゃんと落ち込むというか不安になるというか、墨汁を1滴垂らしたようなうっすらとした不穏に覆われる。電車に乗ってからもしばらく心臓がドキドキしていた。

夜、居酒屋で夕飯。
自然薯の磯辺揚げが山芋揚げみたいな感じかとおもったら、擦った自然薯を海苔でくるんだものだった。自然薯だからそらそうか。
その海苔でくるまれた自然薯のビジュアルを見て、そういえば実家で稀に出てたやつだこれ、と懐かしい気持ちになった。
母親はわたしが中学生くらいになるまで主婦で料理をたくさんしてきたのと、父親が酒飲みなのもあって、居酒屋に行くとたまにおふくろの味に遭遇する。
好きだけど、自宅で作るにはめんどくさいな〜くらいの手間のメニューのやつ。スライスチーズと海苔を交互にサンドしたやつとか。あぶらげに納豆いれて焼いたやつとか。ナマコ酢とか大好きだったけど、自宅で食べることあるかよと今になると思う。
うどんやそばの日には天ぷらも揚がるし、わたしが小さい頃は梅干しも漬けてたし、七輪で魚を焼くこともあったし、刺身は絶対何種も盛り合わせにしていたし(それは兄弟が多いからかも)、すごいことをやっていたようちの母親は。
食育……という自覚では無かったろうけど、いろんなものを食べさせてくれたことにはとても感謝している。


4月24日(水)

勤続年数9年、初めてGWの間の平日を有給とれないのかもしれない。休んだとて、遠くまで遊びに行かないからいいんだけどさ。
忙しいのはありがたく、しかし取引先との会話が成り立っているようで成り立っていないというか、同じ言語で話してるのに若干キャッチボールが成り立ってない感覚がずっと何ヶ月も付随し続けているのが少しばかりストレスでもある。
わたしの認識がおかしいのかしら?でも仕事上の意思疎通でデコボコ道を歩んでいるのはこの人と話している時だけではある。
こういった時に、自分の特性チャンネルを知っていればある程度対処法を導き出せるのかもしれないからメンタルクリニックに行ってみたさはあるのだが、特に生活になんら困ってはいないんですけど特性を知りたいので受診しました!みたいな、心理テストみたいなノリで伺うのは少し気が引けて、行きたいクリニックの目星もつけられていない。
というか、クリニックもどういう基準で選んでいいのかわからない。Google口コミとか見ても、病院、特にメンクリの口コミほど解釈が難しいなということがあるので……。


4月25日(木)

今村昌弘の『屍人荘の殺人』を読み終えた。
えっ、死ぬんかい。えっゾンビかい。序盤で2重の出鼻くじかれがあったが、最後まで読ませる強さがあった。
ホラーと本格ミステリ融合ものは初めて読んだなあ。いかんせんわたしが本格ミステリの、情景をイメージしながら間取りをイメージしながらトリックを擦り合わせながら、というのを想像するのが苦手なのでこの作品の凄味は多分そこまでよくわかってないと思うんだけど、伏線のきっかけはここでっせというのが不自然無くわかりやすく、匂わせすぎず、しかしいきなりかっさらっていくのが気持ち良かった。

なぜ映画化の明智さんはリムレス眼鏡をかけていないんですか?映画のような眼鏡だと、洒落っ気ありすぎだ。おおよそ演じた中村倫也がリムレス似合わないからとかなんだろうけど……。
比留子の髪が肩にかからない長さも何なんだ。その短さじゃ髪を刷毛みたいにいじるモーションやりづらいだろう。
挟まっていた栞に印刷されていた、映画のビジュアルに違和感があり他の映画化のキャラクターを見てみたが、管野さんは執事になっているし、高木さんと出目は大学と関係ない人になってるし、静原もフェス参加者になっていた。予告動画を観てみたら結構コミカルな雰囲気になっていたのにも釈然としない気持ち。
いや、仕方がないのはわかる。商業だから。いろんな大人の事情と、だらけさせないためや時間に収めるための演出等が必要で、ある程度の改変は致し方無いんだろう。ちょっとわたしが原作至上主義すぎるだけです。
めちゃくちゃファンな作品に拗らせるならまだしも、へ〜面白かったね〜くらいの作品でも減点式の間違い探しのように違うところを発見すると些か火がついてしまう。
嫌な消費者すぎる、こんな人間にメディアミックスを見せてはいけません。サンは映画館で、私は書店で暮らそう。


4月26日(金)

長年一緒に働いてきた後輩が退職、今日最終出社日だったので会社の人たちみんなで夕飯とした。
会社の人たちと飲むのは楽しいのだけど、上司も後輩もできる人たちばかりなので帰り道は酔いも相まって悲しくなる。
仕事における、自分自身の価値を見いだせない。ただ在籍年数を重ねてるだけの人間にしか見えない。
やりたいことが何も無い、意欲関心が低すぎる。業界が向いてなさすぎるけど、これしかできないんだ。
誰かに聞いて欲しい気もするけど、聞いてもらったとて何も解決はしない。こんなの自分自身がどうにかするしかない問題すぎて、ああやだやだ。この土俵を選んだのは自分だ。


4月27日(土)

ほんとは昼まで寝ていたい。栄養バランスを気にしないでだらだらと食事をしたい。掃除も片付けもしたくない。
GW入った途端夜の25時には眠くなっている。夜ふかしさせてよ。平日は26時になっても眠気の欠片もないのに。
布団に入ってローグライクゲームをだらだらとやっていると眠くなるので入眠剤としていつもやっているのだけど、最近はゲームを終了させる暇なく気絶するように入眠しているので朝までリザルト画面が点きっぱなしで、充電でスマホがアチアチになり、急激にバッテリーの寿命を減らし続けている。

バーミヤンで台湾フェアの牛肉麺を食べた。
牛肉麺初めて食べたけどめちゃくちゃ美味しい。覚えのある牛の旨味と肉のホロホロ、脂身のやわやわさ、これビーフシチューだ。
ビーフシチューって本当に牛の味がしてるんだ。
メロンソーダも実はメロンの味がしているし、なんかよくわからんけどそういう味、と認識しているものが実はちゃんと素材の味がしているの、何も知らないで与えられているものだけを何も考えずに摂取しているモブの民衆って感じがして良いね。


4月28日(日)

当たり前のように今日は暑いな〜、夏がやってきているな〜と思っているが、まだ4月なんだよ。
ムーが作る、炒めた牛肉の上に刻んだネギやら青唐辛子やら薬味やらをぶっかけた料理が好きなのだが、これをリクエストしてしまうとムーが30分くらいみじん切り編に突入してしまうので気が引けてしまう。今年の誕生日プレゼントはぶんぶんチョッパーにしよう。

インターネットにて。
子供がもらったお年玉を子供に渡さず、決まったお小遣いは無く欲しいものがあったら申告制という家庭のルールに対して虐待では?という意見がいくつかついているのを見かけた。
わたしも小〜中学生の時は同じような境遇だったので、「申告制と言ったって、親に素直に言えるとは限らない」「言ったとて、買ってもらったとて腐す発言がセットにされたら申告するのも嫌になる」といった知らない人の意見が嬉しかった。
昔のことだから今更大声で虐待でした!!なんて言わないが、成長に伴い自分自身で宥めたり疲れさせたりして爆発しないようにいなし続けていた幼少期の暴れ心が、それは良くないよと言ってくれる人がこの世にはたくさんいるんだというのが見えた事によって少し落ち着かせられた気がする。自分の力では届かなかった隅の方の埃も取ってもらえた、みたいな。意図せずカウンセリングしてもらったという事か?

昔の、子供には我慢させとけ一辺倒から、子供同士のコミュニティのために必要なものがあるんだから何でもかんでもは良くないけど与えられるものは与えないと、になっているのはすごく良い世の中になったなと思う。それだけで自尊心と自己肯定感が育つ土壌が耕されるか耕されないか変わってくると思うので。
子供の頃に制限されたものは、大人になってから歯止めが効かなくなるくらいハマるという言説をみかけるたび、わたしの脳内で光るのは「金」という一文字だ。


4月29日(月・祝)

飯、今何食べたいかという議題にいつも答えが明確に出せない。
正直何でも良いではあるのだが、ムーに問われ毎度々々何でも良いは全てが良くなくなるきっかけなので本当に毎日付き纏う難問である。が、最近休日の朝ご飯の最適解を見つけた。
朝起きたらまずパン屋に行って1つだけ買ったパンを食べながら散歩をし、その日の買い物などを済ませ、帰ってきたら昼飯を食べるという流れ。
今日はそれで帰ってきたらエアコンの掃除と珪藻土マットをヤスリ掛けた。完璧な休日だ。
ただ1つ懸念点があるとすれば、わたしが起きるのが遅いので一通りやることやって昼飯食べ終わって一息ついたらもう14時とかになっているという所。

午後の散歩にて、すごく大きい霊園にたどり着く。
墓地や霊園は空気が落ち着いていて、空が開けていて、時間がゆっくり流れている感じがして好きなんだけど、ここの霊園は程よく整いすぎていなくて緑が多くて、かなり好きな雰囲気の霊園だった。
こういう霊園を整備する仕事してみたいかもな……。ほんとうに?わからん。今の待遇の良い仕事を辞めてまで?わからない。なんだろ、あんまり人と関わらない仕事がしたくなっているのかもしれない。
ここの霊園の求人出ていたから見てみたけど普通免許必須で無免許のわたしは対象外だった。植物と関わるなら霊園にこだわらず造園?と思ったけど、造園だったらなおさら普通免許必須でしょう。
仕事を辞めるかどうかとかやりたい仕事かどうかとか関係なく、まずは免許取得をすべきなのかもしれない。


4月30日(火)

出社。どんよりとした天気も相まって、ムンとした気分の1日。PMSだ。
何を言っているのかわかるようでわからない取引先、いよいよお主は何を言っているじゃ?となったので上司に共有。やはり何を言っているのかよくわからないようだ。
別に珍しい事ではなく、世間には一定数いるのでエンカウントもするだろう。できることといえばその気配にいち早く気づいて、手綱をかけて引いていく事なんだろうけど。これで伝わらないならおれはどうしたらいい、を、ずっと繰り返している。
同じ日本語のようでうっすらと意味合いが違う言葉で我々はコミュニケーションしていて、ベン図のように共通部分が大きければツーカー(死語)に、共通部分が小さいのに仕事や家庭等で接さざるを得ない場合はただハテナの繰り返しで擦り減っていく。

わからなさの怒り、愚痴を共有できたしやっぱりそうだよねと思うところの安心・安堵、共感してもらえたことの嬉しさからアドレナリンが出ていたのか、いつもより活動的になっていたような気がする。
もういい!全部わたしがやる!という状態。つまり常に怒りの状態が傍らにあったらバリバリ仕事できるのでは?
そして死が近づいていく。

昨日エアコンを試運転した時はなんの臭いもしなかったのに、今日つけたら猛烈にカビ臭いの何よ。かなしいよ。


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