6月の生活(2024)



6月1日(土)

積乱雲とまでは行かないが、厚みと奥行きのあるもくもくとした雲が遠くに見えるようになってきて、夏だなあと思う。

歯医者に行き、一旦通院は完了。
次が半年後の定期検診になってしまうので、インプラントの残りの代金を分割で支払おうとしたら、受付のお姉さんは声のトーンを一段下げて「カードの分割払いは手数料がすごくかかっちゃうから、あまりおすすめしないよ」と言う。
もしカードで支払いたいならエポスカードにするか、直接来て支払ってもらう分にはいつでも良いよとのこと。優しい。
ありがたいが、人の善性を信じすぎじゃないか?!と心配でもある。間があいて行くの忘れちゃうなんて、こと歯医者に至ってはめちゃくちゃ体験しているだろうに、院の利益<客の負担なのはあまりにも優しすぎる歯医者さんだ。
来月また支払いに行く。

本多劇場へ行って劇団柿喰う客の「殺し文句」を観た。
柿喰う客、どんどん出汁が濃く味付けが強くなっていく。ただでさえ毎公演鋭いナイフを切りつけるようなのに、今回はさらにナイフの種類を増やしてきて、チェーンソーで切りつけられるような内容だった。
思想、共産主義、欲望、ジェンダー、精神疾患、下品、正義棒、ギリギリをいじってて笑ってしまう。
観客側がこのエンタメを楽しもうという姿勢で向かっているから成り立っているギリギリの笑いなのかもしれない。

前にどこかのインターネットで、映画などを観て「なんかよくわかんないけど面白かった〜」という人は何なんだ?みたいな意見を見かけたけど、わたしは映像作品にはよくこうなりがちである。
柿喰う客に至ってもそうで、ジェットコースターに乗りながナイフで裂かれパンチでボコボコにされる、そんな演出が気持ちよくてサンドバッグになりたくて観に行っている。


6月2日(日)

昨日は出かける日だったから、天気が悪いのに今日しか洗濯できない悲しさがここにある。
1人分ならまだしも、今やムーがほぼ毎日いるから洗濯物の量が多くなってしまう。風呂上がりタオルをフェイスタオルで日替わりにしているのも影響がある。タオル替えは2日に1回とかにしてみようかなあ。

昼飯にムーが茹でた素麺が、お湯がグツグツじゃなかったからかベタベタのブツブツ千切れになってしまって、我ながらどうかと思うけど普通に泣きそうになり己がナーバス状態になっている事を自覚する。
生理だし雨だしで精神状態が正常じゃない。
急いで素麺を買いなおし茹でなおした。ベタベタ素麺を経て茹でなおした素麺を見ると、透明感があってつるつるぷりぷりしていてきれいだね。
茹で失敗した素麺たちは、フライパンで焼いてもちもち焼きにしました。

今日はずっと家にいるから、溜まっている動画と一昨日買った漫画を読もうと思っていたのに寝ておしまいになった。だらだらとしていると1日が爆速で終わってしまう。
これもまた、ナーバスの一因になっているんですね〜。


6月3日(月)

ナーバスの種はまだ発芽しようと意気込んでいる。
自分の自意識が邪魔すぎる。何者かになれた人、何者かになれなかった人、何者かになれなかった人にもなれていない自分の事を考えている。
マジで30過ぎてまでこんな自意識に囚われたくないよ。誰かに称賛されたい欲望と、クリエイティブ棒を担いで半生生きてきた事が悪魔合体している。全然、満たされてない事はなくあまりにも豊かな人生を歩んでいる自負はあるのに。どうしてもっともっとと渇望してしまうのか、愚かな思考をしている。
0年前の自分が今の自分の暮らしを聞いたら、贅沢言ってんじゃねえボケカスと罵るだろう。

気圧の不安定さを原因としないとやってけない。
気圧なのかなんなのか、今日は目の奥がずっと痛かった。うっすらと頭も痛いし、相変わらず気圧が降下する時より上昇する時の方が不調がくる。
久しぶりにノー残業帰宅、うれしい。


6月4日(火)

画像の切り抜き、パスでぽちぽちするのが好きだ。この先フォトショが進化して、自動選択の性能があがっていっても時間がある限りわたしはパスで切り抜き続けるだろう。新技術を受け入れられないロートルになる予感しかしない。
パスでぽちぽちしていると無心になれるので良い。所謂ZEN……禅というより海外の人が言うZEN体験に近い。
最近広告に出るようなソシャゲを片っ端からインストールして触ってアンインストールしてを繰り返しているのも、無心になりたさからやっているんだろう。このソシャゲ発作はたまに発症する。
仕事が忙しい渦中はアドレナリンが出ているからか、まあ時間が足りないからやりたいことしかやりたくないというのもある、ので発作は出ないんだけど、仕事が落ち着いた段階でこうなるというのは、今になって疲れが出てきているんだろうなと思う。

さっさと寝よう。無心にソシャゲを繰り返したい欲と、本や動画をちゃんと観たい読みたいという欲に引き裂かれそうになってる。
仕事が落ち着いても時間は足りない。


6月5日(水)

仕事終わり、煙草を買いにコンビニに寄ったらめちゃくちゃ声がデカく元気良い店員さんがいた。イメージはアニメに出てくるような八百屋や魚屋さんのおっちゃんで、いつ「へいらっしゃい!」と言うのか期待してしまうような威勢の良さ。
職場の近くにスタジアムがあり、試合がある日はかなり混雑するのもあるのか、たまにこういった活きの良いコンビニ店員さんに遭遇する。それがうれしい。
いわゆる元気がもらえるという事なのだろうか。予期していないタイミングで明け100の挨拶を受けると、拍子抜けすると同時にうっすら被っていたホコリが吹き飛ぶような力がある。ま、いっか、という気持ちにさせてくれる明けの人は、その存在が才能だと思う。
わたしも捻くれて逆張りしている場合では無いよ、せっかく地声もでかいんだし。


6月6日(木)

読んでるブログの書き手が、ブログを本にまとめる際chatGTPに推敲パターンをいくつか出してもらい、そこから抜いたり足したりして整理しているという話をしていて、なるほどな!と思った。
せっかく今年は毎日日記を書いているし、展示ではこの断片を出そうかなとうっすら思っているので試しにchatGTPに飲ませてみたけど、長文の推敲って読み比べるのに時間がかかってちょっと大変だ。
あときれいに推敲されればされるほどわたし自身のテキストの匂いがなくなって、誰の言葉かよくわからなくなっていくので塩梅の調整が必要になる。

昨今クリエイティブにおけるAIとの付き合い方についてなんやかんやの話を耳にするが、わたしは程よく恩恵を頂戴している。
こういった推敲もそうだし、簡単なコピーライトの作成などは要素を与えて作成してもらったのを自分が推敲したり、特に最近感動したのはPhotoshopの生成塗りつぶし機能!
モチーフを追加するのは仕事において事故が怖いのでやらないが、テクスチャを伸ばしたり足したりなど、できないことは無いけど時間がかかる合成だな……というものが一瞬でできる感動。合成筋肉の衰えを感じる。
モチーフを足したりするわけではないからプロンプトは空欄のままエンターを押すのに、やってほしい事をちゃんと汲んで生成してくれるのがテレパシーで意思疎通できているみたいで楽しい。むしろ指示出したほうが上手く行かないまである。
コンテンツに応じた塗りつぶしの時はそうじゃないんだよという成果ばかり出してきたのを見てきたので、余計感動する。いつの間にかこんな賢くなっちゃってなあ。


6月7日(金)

金曜日の夜に寝落ちするまで起きていようと、うつらうつらをおしてまでゲームを続けたり動画を流したりしている様は、あまりにも日中得られなかった充実度・満足度をなんとか満たそうとしている姿すぎて、我ながら惨めで滑稽で虚しくなる。
こんなんだらだら続けるよりさっさと寝て早く起きて活動するほうがよっぽど有意義なのに、今週末もまた座椅子によりかかりながら寝て起きてを無駄に繰り返している。


6月8日(土)

青空の下をテクテク歩きながら、昨日と打って変わって晴れやかな気持ちになっていることに気がつく。
なんだ、元気じゃん。良かった。生理だからナーバスになっていたのかも知れないな。
なんなんだよ。毎月の事ながら、毎度なんなんだよと思う。いくらでも血を排出していいからナーバスにならないでくれ。
蚊と一緒だ。いくらでも血はやるから痒くならないでくれ。

コインランドリーに行ったら、忘れ物などをぞんざいに突っ込まれているケースの中にわたしのタオルが2枚紛れ込んでいることに気がついた。
君たち!
いつから置いていってしまっていたんだ。どおりで最近週末に向けてタオルの在庫がカツカツになっていると思った。
無くした事に気が付かない程度の思い入れというかお気に入り度合ではあるけど、ライブに言った時に買ったものでもうやすやすと手には入らないものではあるので、再会できてうれしい。今後ちゃんと洗濯機を空けたら指差し確認をします。
気づいていないだけで、今生の別れとなってしまった洗濯物が過去いくつもあるのかもしれない。


6月9日(日)

今日は友人らと各々和菓子を持ち寄る会を開催した。
特別和菓子が好きというわけではないので、こんな一度にたくさん和菓子を食べるのはレアな体験である。

午前中にふるや古賀音庵に寄ってごま団子を買う。
胡麻餡などはちょっと苦手だが、これは胡麻パウダーがふんだんにかかっているやつで香りが香ばしく、砂糖や塩がほんのりと効いていてきなこみたいで美味しかった。
日暮里の羽二重団子の焼団子も美味しかった。見た目は醤油のようで、うっすらみたらしの気配もして、しかし甘すぎないのがすごく良い。

女4人、わたし以外みんな結婚済み、自然とみんな旦那へのささやかな愚痴共有会になっていくのがなんか女の集いすぎる〜と思った。
これは冷笑系ですか?でも、あまりにも絵に描いたような奥様方の集いだったと他人事のように思う。

相手の愚痴を聞き、共感、その上で己の実例提示というのが軽い愚痴会である流れだとは思うが、わたしはムーに対しての愚痴がほとんど無いので提出できるものが無い。わたしがムーの事を好きすぎる。
不満が一切合切無いというわけでも無いが、強いて挙げるそれらはムーの特色でもある部分だから、いちいちあげつらうトピックでも無い。
あとそこまで本気で「も〜」と思ってなくても軽く愚痴った途端、本当に不満に思っている感覚になるな、と思ってできるだけ心から愚痴ってしまいたい……と思っている事象以外、外に出さないようにしている。

一旦不満を、思っているだけでなく発言・発信して外に出すと曖昧だった感情に輪郭ができて、良くも悪くもはっきり見えるようになってしまう。
それが癖になると輪郭を作らなくて良いものまで次から次へと感情のオブジェクトを生んでしまって、ポジティブな感情ばかりなら良いけれど、ネガティブな感情はわざわざかたどらなくてもね……などと、結局はわたしから自発的に発信することは無いなと思った。
愚痴の共有による結託を作るために、わざわざ曖昧な感情を負の輪郭にはめ込んだら、後々わたしが苦しくなるだけだ。適当にしていれば良い。


6月10日(月)

帰りの電車が朝のラッシュ並みに混雑しているというのは、何なんだろう。ここの沿線で働いている人たちは、ちゃんと18時19時には退社できているという喜ばしい事ではあるのだろうか。
そらそうだ。朝同じような出社時間に向けて一斉に乗り込むサラリーヒューマンたちが、きちんと定時退社できているなら夜もラッシュが発生する。
朝の気だるさにラッシュが組み込まれるのと、疲れた夜にラッシュが組み込まれるのはどっちがマシなんだろう。

とはいえ、今の路線になってから毎朝毎夜ラッシュに巻き込まれるわけでもないので、たまにやってくるラッシュ体験を楽しんでいるフシがある。1つの箱に人間がぎゅうぎゅう詰めにされる体験はなかなか無い。
強いて挙げるならライブハウスでのモッシュだが、あれは常に動き続けているからみちみち感でいうとラッシュとはまた違う気がする。
ラッシュもモッシュも臭くなければそれでいい。体がzipになろうが、それもサラリーヒューマンの業務の一環です。


6月11日(火)

6月らしく最近道端では紫陽花が咲き誇っているが、紫陽花はいつの間にかバリエーションが豊かになっていることに気づく。
花びらが丸かったりとんがっていたり縮れていたり、一重だったり重なりがあったり集合体の形がまんまるじゃなかったり・・。
特殊な形状の紫陽花はちょっと前は花屋でしか見なかったけど、最近は人の庭とか街路樹とかでも当たり前に生えていてびっくりする。
ただでさえ小さい花の集合体はかわいいのに、更にそれらにたっぷりバリエーションがあるなんていくらでも眺めていて飽きないし、それらがちょっと散歩しただけでよりどりみどり楽しめるんだから、ありがたい話だよ。
紫陽花はずるい。小さい花と大きい花の二面性を持っていて、近づいても遠ざかっても楽しませてくれる。

己の自己顕示欲が強いのは自覚しているが、その中でもひたすらに己をアピールして認められたいというよりは、他人に影響を与えたいという欲求が強いんだなと自覚する。
やっかいすぎ。こんな欲求、他人を巻き込む事が必須になるから自分ごとだけで収まらないし、恩の押し売り屋さんになるのが目に見えている。子供がいたら確実に毒親になっていただろう。
他人に必要とされたいと思う度合いがちょっと強いのか?この欲求をうまく転がして世のため人のため努力できればいいのだが……。
こじらせてしまった冷笑はどうすれば矯正できますか?


6月12日(水)

朝起きた時、デコルテあたりがベタつく季節になってきた。
腕や首はそんなにベタついていないのに、どうしてデコルテだけが寝てる間に汗出しときましたぜ!という顔をしているんだろう。
朝夜気温的にはまだ過ごしやすい涼しさなのに、徐々に湿度が上がって不快指数も上がっているのがわかる。
嫌だ、ここで頭打ちにしてくれ。これ以上暑くならないで。

セブンイレブンに寄った時、コーヒーマシンの前に誰もいないのにマシンの中にカップが入ったままなのが見えて、おや、と思って注視した。
アイス用の氷が入ったカップ、蓋の部分にコーヒーがびちゃびちゃに被って放置されている。
これ、蓋をめくるのを忘れてマシンのスイッチをオンしてしまったんだ。蓋の部分に無情にもコーヒーがばしゃばしゃかかり、しかしどうすることもできなくてただ見つめる事しかできない、そんな哀愁の残像がコーヒーまみれのカップから漂ってくる。
持ち主はどこに行ってしまったんだろう。絶望してそのまま放置してしまったのだろうか。


6月13日(木)

昨日寝る前にスマホを触ったらスマホリングが土台からポロッととれて、深夜にシール剥がしを取り出し土台を背面からぶち剥がす作業が発生した。
これどこで買ったんだっけ。確かに高価ではないが、家電量販店とかで買ったと思うんだけど壊れるの早すぎるよ。まだ2ヶ月くらいしか使ってないはずなのに。

ロバート・コルカーの「統合失調症の一族」を読み終えた。
壮絶すぎる。12人兄弟のうち6人が統合失調症という事もだけど、こんな最近まで統合失調症というか精神病についてはざっくばらんな扱いだった事とか、連鎖で研究がトントンと転がるように進む瞬間がある所とか(実験結果だけを見ているからテンポよく見えてるだけ)、知らないうちに他人と他人が影響し合っていた事が後になってわかるとか、あまりにも出来すぎだろと思ってしまう時がある。
一方その頃・・みたいに視点がギャルヴィン家の外に行く構成も良くて、3時間の映画を観た後のような気分になった。これが現実にあったことなんだ。

自分はマーガレットの気持ちに共感するから、リンジーとジョンが「自分のことに夢中だから」と揶揄というか、突き放すように言ったのが、悲しかった。
傍からみて善行を働いている人でも、助けたいと思った人だけ助けようとするし、そこから溢れた人に対しては冷酷になったりする。
かつて己が冷酷に扱われた事があったとしても、見る視点によっては同じ事を繰り返しているなあと見えてしまう。
別にそれは悪ではない、誰も彼も対等に掬い上げる事は人間には無理なことだから。それに対して恨むことは無くても、冷たくされたなあという思いはずっと残り続ける。


6月14日(金)

会社の近くで盆踊りが開催されていて、退社後ビルの屋上からぐるぐるとまわり踊る民衆を眺めていた。
なんか、すごく良い景色だった。
老若男女、浴衣を着ている人もいれば、仕事終わりに寄ったのかネクタイ絞めたサラリーマンも踊っていて、とても小さい社会がここにあるみたいだなあとか、神様の視点ってこんな感じなのかなあとか、神様と交流を図るために舞がある意味がちょっとわかるなあとかを思う。
天上からちまこく見える人間たちが一緒になって踊ってたら、何かいじらしいもんね。
こうして顔もわからない位置でみていると、表情も見えないから人格の想像もつかず、ただ命だけが踊ってぐるぐる回っているようだった。


6月15日(土)

茄子が安かったので、お昼はムーが作った麻婆茄子を炒飯にかけて食べた。
やっぱり豆腐は湯通ししないと崩れるんだなあという知見は得つつ、市販の素の作り方を見ると特に湯通しの言及は無く、これはどういう差なんだろう。素の餡で切れば豆腐は崩れないのかな。
たらふく昼飯を食べたのでたっぷり昼寝した。今日はシンク掃除をしようと思ってたのに、今週もまた来週に繰り越しです。

夜はひもかわうどんを食べた。美味しい。麺は平たけば平たいほど美味しい。なぜなのか。
舌に触れる面が平たい麺の方が広くて味を強く感じているのか。単純にぴろぴろつるつるしている食感が気持ちいいだけなのか。


6月16日(日)

今日は暑すぎた。今こんな暑くなってんの?平日はデスクワークだし、最近週末は部屋にいることが多いから知らなかった。
仕事で関わったイベント会場の様子を伺いにいったが、屋外なのに日傘を忘れ、今年初の背中を伝う汗を感じた。
ずっとインターネット上でしか顔を会わせていなかった担当者に直接会えて良かった。わたしは直接顔合わすコミュニケーションが得意な老人だから……。

その後友人と喫茶店で延々と喋り、夜は友人らがさらに集合して中華飲みをした。楽しかったけど、暑さにやられたのもあって今日は疲れた。


6月17日(月)

無口なムーは「いつか」に関した問いかけについてウンともスンともは言うけどYESかNOかはっきりついた答えはしない。
「いつか」ここに行ってみたいね。「今度」これを見にいこうね。
ただ何も響いていない訳ではなく、わたしが繰り返す「いつか」や「今度」の事はしっかり覚えていてくれているから、彼の中でピタッとくるタイミングになったら即時行動に移してくれるし、情報を調べてくれるし、「いつか行けたらな〜」「タイミングがあればな〜」などと口にしながら結局行動に起こさないわたしの様な人間に比べたら、口だけの約束をしない、よっぽどよっぽど誠実だと思う。

ただこれは他人に説明をしてもなかなか思うように伝わらない。わたしの説明が下手なだけかもしれないけど。
どうしてもウンともスンともは言うけど明確な答えを出さない、という時点ではっきりしない人間だなという認識になる。
ま〜そうなんだけどそうじゃないというか・・。わたしが何を言っても弁明みたいな庇ってるみたいな見え方になるのも健全じゃない。
もうムーの話をおいそれと他者にしない方がいいのかもしれない。結局真っ直ぐキャッチャーミットに刺さっている気がしないなら、ボールは投げなくてもいいのかもな。


6月18日(火)

雨がすごかった。
最近のランチはVELOCEのホットドッグにハマっている。ハマっているというか再ブーム。ランチは基本VELOCEかWendy'sにしか行っていないので。
ハンバーガーのバンズやサンドイッチばかり食べていると、硬いパンを噛んで滲み出てくる小麦の美味さが沁みる。そしてソーセージがシャウエッセンのようなパリップリッなのも嬉しい。
何年か前にホットドッグのトッピングが何種類もあった頃が懐かしいけど、今はパスタやカレーなどフードメニューがかなり充実したからまたトッピングを増やすのは難しそうだ。

最近、人の怒りというか愚痴に触れる事が多くなって、自分はこういう所ではムカつかないけどこれだけは許せないのか、などと省みる事が多くなってる。
省みる分にはかまやしないが、過去あった本当に許せなかった事を思い出したり、してちょっと嫌なループに入っている。
愚痴、あんまり嫌だ。言っている方も聞いている方も良い気分にはなれない。でも誰か聞いてくれよという感情が湧き出る瞬間もあって、それを制御できない自分にもあーあと思う。
自分がもう一人いたら、マイナスな感情の捌け口にできるのにと思う。それはそれで自分自身の解釈違いを起こすのだろうか?鏡に向かってアイデンティティを問うようなものか。


6月19日(水)

秦正樹の「陰謀論」を読んだ。
う〜んなんか……想定していた陰謀論のカテゴライズが違ったな??そしてちょっとリベラル寄りかなと思うのは、わたしが保守側だからでしょうか。
結局陰謀論は何を信仰しているかなので、データだけでは測れないところがたくさん積み重なっての重症か軽症かなので、データだけでこう!と言われてもキチンと腑には落ちないというか。
陰謀論は知識があろうが無かろうが誰にでも染まる可能性がある?そらそうだろ信仰なんだから。

なぜ、人は荒唐無稽な噂でも信じてしまうのか、これが正しいと信じてしまうのか、という信じるまでの過程を掘り下げないと、傾向の結果だけが並べられてもしっくりこない。
また陰謀論を信じていたり流布している人が悪意を持ってなのか、おめめグルグルなのかで話は変わる。それこそメンタルや肉体の健康状態でも変わる。まあそこまで言ってたらきりが無いということだろうか。
でも例に挙げられているような政治的陰謀論は陰謀論というほど深くなく、どれかといえばフェイクニュースくらいの深さだと思うのは、わたしも陰謀論に染まってるからになりますか?

今日は久しぶりにめちゃくちゃ仕事に集中した。いつでも集中しろ。イヤホンのちからを借りずして集中した。
雲ひとつ無い青空で気持ちが良い1日だった。久しぶりに自炊した。炒めた豚肉にミョウガをまぶして、そうめんに乗っけて食べた。


6月20日(木)

スギ薬局のPB?薬ってPBって呼んで良いのか?Sセレクトマークがついた「ビオファイン」という整腸剤がめちゃくちゃ効く。こんな毎日快便だったこと、人生で一度も無い。
これに甘んじて最近おやつ食べまくってる。
おやつが食べたいっていうかさ、パリパリ食感を求めているのよわたしは。パリパリ食感のものは押しなべて高カロリーのものばかり。普通の食事にもパリパリ食感のものが増えてほしい。最近セブンのパリパリサラダ売ってなくない??
パリパリしたい。場合によってはバリボリしたい。歯ごたえによって揺れる脳を楽しみたい。


6月21日(金)

今週も丁度よく働いた。忙しすぎず、暇すぎず。それでも金曜の夕方ともなると集中力が終わってきている。最近気付いたのはこういう時に心の中でずっとウ〜〜〜〜ウオ〜〜〜〜と唸っているということ。
自分は何かを思考する時ずっと頭の中で独り言を言っているタイプなのだけど、世間には脳内で喋らない人もいるらしい。どゆこと?今日帰りにどこそこ寄ってあれ買お〜とか、あ、最近あの人に連絡取ってないから取ろうかな〜とか、そういうのってじゃあどう考えているの?
どうやらムーも脳内でお喋りしないタイプらしいので、どう考えているの?と聞いても何か天啓が頭に降りるジェスチャーしかしなくてよくわからなかった。
まああなたはそりゃそういうタイプ。LINEは基本スタンプか一文字のみ送られてくるだけだし、会話の半分くらいはウンとかスンとかだけだから、つまり天啓だけでコミュニケーションを取っている。逆にこれを汲み取れている自分を褒めてやりたい。
というかわたしが言葉で考えすぎなので、お互いの中間くらいになりたい。わたしは行動の意味を求めすぎるし、ムーは全てを行動で表しすぎ。


6月22日(土)

洗濯物を干して、昼飯に近所のつけ麺を食べる。つけ麺の意味がわかったきっかけがこってり魚粉つけ麺だったので、わたしは常にそれをつけ麺の親と思っている。
初めて行く店だったので麺量を少なめと伝えるタイミングを見失った。まあ普通量も無理ではないから食べきったけど、お腹パンパンパンパンになってしまったので腹ごなしに散歩。

もう暑い!日傘が無いとだめな季節になっている。暑いしお腹いっぱいだし、ちょっとお腹こなれてきたら喉が渇いたので炭酸を飲んだらまたお腹が苦しくなって、なんで炭酸飲んじゃったの〜〜でも炭酸が飲みたかったのよ〜〜〜と呻きながら帰宅した。速攻で昼寝した。

今日もまたほとんど寝て終わった休日だった。最近ムーが週末に仕事をしているので外出が減っているけど、本来引きこもりでもあるので問題ない。明日は水回りの掃除をするぞ。


6月23日(日)

うちにあるフライパンはもうだめだ。目玉焼きもロクに焼けないなんて。
2つあるフライパンのどちらとも同じ時期から焦げつきはじめ、何度も重曹で落とそうとしたけど全然落ちず、何もかもが張り付くし今日の目玉焼きも根を張ったんかってくらいくっつくし、張り付き防止のためにしいた油のせいか白身がぐつぐつになり、黄身もカチカチになった。

料理がぐちゃぐちゃに失敗するとめちゃくちゃに落ち込む。なんだったら癇癪を起こしそうになる。自分の無能さを眼前に突きつけられたような気持ちになる。
まだ半年しか使ってないフライパンがこうなるかね?先代の、ドンキで買って4年くらい使ったフライパンの方がまだ耐えてたわ。テフロンの劣化はあったけど、目玉焼きがここまで酷い目に合う事はなかったよ。
久しぶりにご飯に目玉焼きと焼きソーセージを載っけてこういうので良いんだよ飯を楽しみたかったのに……。

鼻の穴の中にでっかい吹き出物ができて痛い。痛いしでかすぎて取り込む空気が少なくなっているのもわかるし、ずっと鼻の中に塊がくっついている感覚がある。

今日はシンクと風呂とトイレの掃除を完了した。いつも一度に掃除するから、いつか酸性洗剤と塩素系洗剤が混ざって毒ガスを発生させてしまいそうだなと思っている。


6月24日(月)

もう全然仕事が身に入らなくて、でもダラダラやるとなんかナーバスな気持ちになりそうだったから、自分の身の入らなさを見ないふりしてビシバシと仕事をやっつける。
そのおかげで仕事が早く終わったので早退。友人と夕飯。ふらっと入った豚串屋がきれいめの店構えなのに喫煙可で、フードもドリンクも安くて美味しかった。
価格からするに小ぶりだろう、と予測して最初に一気に注文したが、予測より倍では?くらいのサイズの肉が次から次へと出てきて、お腹がはち切れそうになった。


6月25日(火)

急に暑い!昨日もだったけど、急に湿度がマシマシの日本の夏がやってきている。日曜の雨で梅雨明けした?
今日も早退チャレンジを狙ったが、なんだかんだいろいろ積み重なって定時退社。今週最低2日早退できれば有給1日分消化できるのだが……。


6月26日(水)

最近仕事は詰まってはないけど、空っぽではないのでまあまあ1日の終わるスピードが早い。いつの間にか夕方になっている。
仕事をしていると味が欲しくなる。小腹が空いているわけではないけど、なにか味を感じたい。最近はそういう時、こないだ友人からもらった飴を少しずつ食べてはいるのだが、さすが砂糖の塊、爆速で血糖値があがってさがって1時間後くらいには気絶しそうになっている。効率悪くなっているやんけ。

ムーの仕事が大詰めで、昨日もほとんど寝ていない状態だったから今日の日中はよく寝なねと伝えていたのだが、わたしが帰宅後によく眠れたか尋ねたらほとんど寝てないと言われて強く肩を揺さぶった。
本人曰く制作ハイになってるとのことで、実際全然眠そうじゃないしアドレナリンだかが出まくってるのではあろうが、こんなに制作に集中が続けられるのは、そして自分が気になるところは全て直そうとなるのは、作家気質だなあと思う。
自分は仕事でも自主制作でも早くゴールに辿り着きたいと思いながら制作しているよ。というか如何にゴールを近づけるかという事をずっと考えているよ。めちゃくちゃシステムクリエイティブ然としていて、今の仕事が合っているというか、もしくは今の会社しか就職してないから自然とそういう体になったのかもしれない。


6月27日(木)

昨日の夕飯探し散歩の時に見かけた、すき家のタコライスがずっと心に残っていたので今日の夕飯はそれにした。
昨日見かけておっと思った時に食べればいいのだけれど。なぜか飯を選んでうろうろしている時は決定力も鈍り、後々に「食べたいかもな〜」という余韻だけが残っていく。
給料日も超えたしちょっと贅沢、と思って牛肉の合盛りにした。タコスミートというよりチリビーンズ寄りだったので、肉を増して正解だった。タコスはやっぱ挽き肉がたっぷりある方が好きだな。もしかしてウェンディーズのチリビーンズとタコスのチリビーンズって同じ?
来週もタコス食べ放題行くのに我慢できなかった。


6月28日(金)

急ぎではないけど仕事が残っている状態で、プレミアムフライデーをきめた。
去年の有給繰り越し分が消化しきれていないのでなんとかどうにかと早退で多少削ったが、結局繰り越し分が全て消化できるわけではないので今日無理やり早退する必要は無かったのではないか?

月末だから本屋に寄ろうとしたら大雨。明日にまわそうかと思ったが、プレミアムフライデーで帰るのなら経済を回さなかんということで結局本屋へいった。
今月の新刊は数冊だからいけるかと甘く見ていたが、案の定ついでついでで冊数は増えて3キロくらいの重さになるし、PCも担いで両肩が脱落しそうな中傘をさして帰宅。

週末だし月末だし前期末だし!コスト高な夕飯にするかと思い、荷物を自宅に置いてだらだらとしたあとセブン-イレブンへ。じゃぶじゃぶになった白米が食べたかったので金のビーフシチューを買った。おやつもたくさん買った。シチューをごはんにかけてじゃぶじゃぶにして食べたけど、ごはんに合うシチューってビーフシチューじゃなくてホワイトシチューだよな。
何をやっているんだわたしは?となる事が多い1日だった。疲れてる?


6月29日(土)

ムーの仕事が落ち着いたので、久しぶりに週末は散歩をした。
街中にいるとき、突然雷鳴のようなバリバリとした音が鳴り響き、何事かと思って空を仰いだら5機くらい戦闘機が弧を描いて飛んで行った。ブルーインパルス?!
どうやら川崎市のイベントで飛んでいたらしい。たまたま見られるなんてラッキーだ。
戦時中、空襲が来たときも雷鳴のような戦闘機の音が鳴り響いていたのだろうか。音が近くて、一瞬飛行機が墜落してくるのかと思って、ブルーインパルスをまだ目視していない間、このまま死ぬのかもなあと漠然と思う瞬間があった。

久しぶりにムーと散歩をすると、視野が同じというか見ているものが同じで、楽しさを再認識する。街並み、すれ違う人、犬。わたしがア、と思った瞬間ムーがそれに言及している。
空腹のあまり夕方頃に帰宅。散歩が久しぶりだからか外が暑いからか、いつもより早く疲れが到来している気がする。
まだ空が明るいうちから夕飯をスタートしたので今日はゆっくり夜を過ごせるなと思ったが、久しぶり散歩の疲れも相まってなのか2人してアド街を見終わるのを待たず寝落ちしていた。


6月30日(日)

ルルメリーのスマホショルダーが月の頭に届いており、しかしこれはほんとにスマホしか入らないのでキャッシュレス化されず喫煙者で荷物の多いわたしはこのショルダーだけでは生活できないため、丁度いい、財布と煙草を放り込める程度の小さいハンドバッグをずっと探していた。

インターネットでバッグを検索すると、やれレザー(本革)だ、やれレザー(合皮)だで、レザーにはあんまりそそられないわたしの検索意欲を削いでいく。
一番の理想はキャンバス地で真四角の、くり抜きハンドルのやつが良かったんだけど、見つかるのはどうしても不要なプリントされているものばかりになってしまう。あとはサイズが大きすぎるか。
昨日、ブルーブルーエでカゴバッグを見かけたときに目の前が開けた。カゴがあったか!
そう言われてみるとカゴが一番カジュアルさときれいめさのバランスが取れている。正解はカゴバッグだったのか!
その場でいろんなカゴバッグを調べて、無印にあるらしい、良い感じのバッグが店舗在庫残りわずかだったので、今日買いに行った。良かった、何かに妥協してあんまり愛着の湧かないバッグに手を出さなくて。正解を買えたのがうれしい。

白山神社へ行って歯のお守りも購入した。生理中だったのであまり境内に入るのはよろしくないかな〜と思いつつ、今日を逃したらまたズルズルと行かなくなってしまいそうだったので失礼して。それもあるのか(それもあるのか?)詣でる時も全然言葉が出てこず住所すらちゃんと言えてなくて、きちんと挨拶できなかった。
なんか今日はそういう相性だったのかもしれん。(オカルト)

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