2月の生活(2024)


2月1日(木)

見積もりを作るのが苦手だ。
自分の技量を金額化するって何回やっても難しい。基準点を作ればいいんだけど、作ってはいるんだけど、過去の請求と照らし合わせているんだけど、果たしてこれが適正なのか?ずっと疑問を持ちながら見積もりを作成している。そしてクライアントからは安すぎると言われる。

フリーランスでは無いから多少安くても死にやしませんのでね……と思いつつ、もうそっちが値段決めて!!と言いたくなる瞬間もある。
でもそれで金額積まれてもプレッシャーがあるんだよなあ!
時給換算ベースも乗っけたほうがいいんだろうし、ある程度そこの計算はしてはいるけど、途中でいろいろ変わったり思っていたより作業時間が短いとか長いとかスケジュール通りに回ってないとか、不測の事態を考えると簡単に決められない。
みんな不測の事態対応込で基準の価格設定しているということ?。でもそうしたら今の金額ベースからあがりすぎちゃうし……などと、あーでもないこーでもないで今日1日ほぼ終わってしまった。


2月2日(金)

Base Ball BearのC2はやはり名盤だと思うんですよ。
音楽サブスクをAmazonMusicからAppleMusicに乗り換えて、お気に入りしていた曲などをちまちまと聴きつつ追加している毎日。
ベボベも久しぶりに聴いたけど、やっぱC2は良い。人生で一番、ちゃんと通しで聴いているアルバムなんじゃないか。
ライブってめちゃくちゃ最高なんだという価値観を与えてくれたベボベのギタリストが脱退してしまい、かなり思い入れのある人だったから脱退したのがすごくショックで、そこからグラデーションのように曲を聴くのも少なくなっていったしライブも行かなくなっちゃったんだけど、それももう6年も前の事なのか。引きずりすぎではある。

欲しい新譜が出たらできるだけCDを買うようにはしているけど、良くも悪くもサブスクで気軽に音楽と触れ合えるようになった今、そして今後。当時のようなハマり方はもう無いのかもなと思う。
自分が歳を取ってエネルギーの割り振りが変わったのもあるけれど。やはり渇望と解放の交互浴が人を虜にさせるところもあると思う。
発売日にデータじゃなくて物体としてあるCDを、「手に入れた」という感覚、CDジャケットやブックレットを触った触覚から脳へ刺激、良い音質にありつける瞬間。
ま〜これは諸先輩方のレコードからCD時代だったり、CDからmp3だったり、同じような道を歩んできているだけだども。

飢えからの美味しいご飯は記憶に強く刻まれる。確かに今は飽和時代という事なんだろうな。
こんなこと言ってると懐古主義って言われちゃうやね。自分もサブスクの恩恵を受けているわけで、別に昔の方が良かったと言いたいわけじゃないんだけど。
熱中していた時の楽しさや気持ちよさを思い出して、聴きながら思いふけってしまった。


2月3日(土)

コインランドリーから帰ってきて、ふ〜、とベッドに手をついたら視界がぐるぐるに回転した。
突然のめまい。体調不良は何もなく、さっきまで元気に動いていたのに酩酊スイッチがいきなり押されたかのような視界のまわり具合。なにこれ?!
頭の位置を変えるとぐらぐらするから多分良性発作性頭位めまい症だ。久しぶりに発症した。
昔たまに発症した時は起き上がったりするときにぐらぐらしてたけど、今回のは歩いて頭がちょっと揺らすだけでもふわふわしてちょっと具合悪い。
ずっと手ブレしている動画観ているような気分だ。

あまりにも自分の視点で画面酔い起こしているような状況だったから家で大人しくしていたかったけど、今日は歯医者の予約をしている。しかもインプラントの土台を埋め込む日。
手術みたいなもんだから病院も1時間以上枠をわたしだけにしているだろうし、ドタキャンは心苦しすぎる。画面酔い起こしてる程度だし、己を奮い立たせ歯医者へ行った。

行きの電車で少しうたた寝したら少し手ブレが穏やかになった気がする。もしかしてこれ単純に寝不足なだけ?
無事インプラントの土台も埋め込み、ちょっと元気出てきたので帰りにバレンタインの催事をチラ見する。
ジャン=シャルル・ロシューのフルーツタブレットが完売になっていなくて思わず即買いしてしまった。高いのに。
苺にチョコレートをかけている。ただそれだけなのになんでこんなに美味しいんだろう。いちご飴も同じ美味しさの構造な気がする、食べたこと無いから憶測だけど。
チョコや飴のパリパリ食感と果汁のジューシーさの組合せ。パリパリってすごく大衆向けというか、老若男女に愛される食感なのに、中から果汁という官能さが溢れてくるから、クラスで人気者のあいつが実は……みたいなギャップの喜ばしさみたいなものがある。
あとパリパリの食感ってすごく脳に直で届く気持ちいい食感なのも影響している気がするな。


2月4日(日)

起きたらめまいはほぼ無くなっていた。
インプラントも、事前に人工骨を定着させていたからか痛みも全然無いし、昨日と打って変わって調子ええわい!と思っていたら、朝から雨が降ってて出しっぱなしの洗濯物が全部びしょ濡れです。最悪や。

後輩の……いや母校の?正確には直属の後輩でも母校でもないけど、遠い親戚みたいな立ち位置の学校の卒業作品展を見に行く。
縁があるからここには毎年行っているけど、もう他の卒展には全然行ってないな。コロナ禍で招待制になっていた時期もあったし。
今行っても説教ババアになるか、若き才能への嫉妬で面倒くさいババアになるか、自意識がイカれてしまうか、になってしまうのでやたらと若手の作品は見ないようにしている。
視野を狭めている良くない行動なんだけど……永遠に拗らせているので、目を伏せる事でしかメンタルイカれポイントへの回避方法が無い。
あと20年くらい経って、若い人ががんばってるわいと思える年齢にならないときっと素直な目で見れない。

一瞬でもクリエイティブ系の方面にいくと、センスとかいうよくわからない実体の無い棒で戦う事になって、前線から身を潜めても一回出した棒はもう体内に仕舞えないから死ぬまで棒をさらけ出す運命になる。
この棒がもう日の目を見たくないですって仕舞えないなりにも鳴りを潜められればいいんだけど、たまに自意識過剰に発光しはじめるから手に余る。
一生物なんだろうな多分これは。


2月5日(月)

無くなっていたと思っていためまい、朝起き上がったら復活していた。
もう治ったと思い込んで昨日昼夜薬飲まなかったのがだめだったか。

昼から雪予報だったので、出社してPCを回収しテレワークに切り替える。
コロナ禍をきっかけにいつでもテレワークできるよう、会社のデスクトップPCを全てノートPCにしたわけだけど、コロナ禍前ってこういう時どうしていたんだっけ。気合い?
1回だけ、電車が止まったので雪道を歩いて帰ったのは覚えている。
こういう時ばかりは都内に住んでて良かったなと思う。通勤時間を犠牲にしてでも家賃の安さと広さは魅力か……?と23区外に思いを馳せる事も無くは無いが、こういった天候や震災とかに遭ったとして最悪歩けばなんとかなるという会社と自宅の距離感は捨てきれない。
あとなんだかんだ東京好きだしな。それが一極集中だからよろしくないといえばそれまでだけど、適当に歩けば刺激にエンカウントする街、やめられませんわよ。


2月6日(火)

カール・ゼーリヒの「ローベルト・ヴァルザーとの散策」を読み終えた。散歩の本と聞いていたけど、想像以上の散歩。散歩というよりハイキングの印象に近い。
そもそもローベルト・ヴァルザーはスイスの作家という事もなにも知らないまま読んでたけど、そんな読み方はしない方が良い。
主に詩を書いてきた人のようで、話す言葉言葉すごく情緒があってさすがだな〜と思うところ、自然を愛し、しかし人間の感情や現実についてはシビアでリアリズムに溢れているところが大変よろしと思っていたのだけど、編者と役者のあとがきで筆者のカール・ゼーリヒはローベルトに対してクソデカ感情を持つようになったから内容に偏りというか真偽というか、まあそのへんは留意して……という事を言っていて、笑っちゃったな。

夜は久しぶりに友人の店へ。焼き魚を食べたいんじゃ……。
コンビニのチルド焼き魚も美味しいけれど、皮パリパリ至上主義なので焼き魚は焼き立てが一番。
ブリの塩焼き、身から外してもくたっとならずピンと真っ直ぐなままの皮、最高!!これを食べるためにたまには家で焼き魚やってもいいよな、もう随分自宅で魚を焼いていない。
あとはメンマ、しいたけのボイル、豚タンの出汁煮、ピーマンと肉味噌、イワシのなめろうを食べました。

久しぶりにたくさん喋ったな。
ムーはあまりおしゃべりな方では無いから、自覚無かったけどつられてわたしも自然と口数が控えめになっていってるようだ。
飲み屋に1人で来てるおっちゃんと適当に話しするのが一番興が乗るというか、おっちゃんは話したいだけだし、わたしも相槌の音ゲーが得意なので噛み合ってるな〜と思う。
こういう場でしか活かせない特技。ほんでこれを仕事にすると何かしら責任が生じてしまうから、たまに客として来てるときにするのが一番適当で良い。


2月7日(水)

こないだ出した見積もりの仕事、想像以上に手数というか、主にクライアントとの意思疎通が絶妙にズレている瞬間があってやっぱ余剰に見積もっておけばよかった〜〜!と思うなど。
こういうのも含めて見積もりなんだよな……難しすぎ!
同じ担当者でもすんなり通るパターンと、なんなんですか?ってなるパターンがランダムにやってくる。
今日はクライアントが要項のメールを一纏めにせず、これで情報最後かな〜と思い、作って提出したら入れ違いで追加情報が来て萎えに萎えてしもうた。

夜、SwitchのUNOを友人と通話しながらプレイした。
仕事でちょっと萎えモードだったけど、UNOって戦略ゲーとしても脳死プレイとしても活きるから楽しかったな。
UNOって言うアクションと、お前UNOって言ってない!アクションはデジタルで成立するんか?と思ってたけど、アクションボタンがどちらも絶妙に見落とすサイズと位置にあって、そしてちゃんと忘れるのもデジタルなのにアナログ感あって面白かった。
今回はドローして出せるカード無かったらパス扱いのルールでやったけど、出せるカード出るまでドローし続けるのも無限すぎて、ダラダラやるには最適なゲームだ。
マッチングも途中で抜けてもAIが入れ替わってくれるから適当にやれるのも良い。


2月8日(木)

私だけがやり取りをするようになって大体5年か6年のクライアントから、一番大きい仕事を引き受けたかもしれん。
信頼の積み重ねやね……未だ、はえ〜という気分だが、夏まで忙しくなりそうだ。

若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を読み終えた。
良かったな。生きている時代が同じなだけで、環境も境遇も違いすぎる、ただわたしが一方的に知っているだけなので彼の感情や葛藤などは想像でしかないし、読んでいて共感というようなものがたまに浮かんでは来るのだけれど、環境も職業も違う自分が共感なぞ、言葉にしようとする端から上滑りし、おこがましいなと一言だけが着地する。
単なる一般人の私が何を言ってもおこがましい、ただ良い本だったという感想。
彼はいわゆる卑屈キャラの印象が強いけど、他人の善性や他人の優しさをちゃんと受け止めている様が見えたのが嬉しかった。(この一文の感想すら何様だよと思う自分がいる)。


2月9日(金)

仕事が忙しくなってきてるから1日1日は爆速で過ぎて行くけど、内容は濃かったので雪が降ったのが月曜日だったのが信じられない。もっと前じゃなかった?
ムーと久しぶりに会った気がするけど、火曜日には会ってたか。

去年入社した人が会社を退職した。ずっと遠慮というか恐縮している雰囲気が消えないまま辞めちゃったな。
これは自戒のためにも思うが、人が恐縮している空気をずっと出していると、受け取り手も恐縮の空気になってしまい、いつまで経っても誰にも接触していないジャブを打ち続けている事があるということ。
そういう空気も関係なしにストレートをヒットしまくる人もたまにいるけど、やっぱ適度に他人をナメるというのは大事なんだよな、永田智も言っていた。
M-1の平場で令和ロマンのナメ方めっちゃ上手いな、と思ったのを思い出した。
ナメるというか、やっぱ恐縮のし過ぎ無さ。ノイズが何も無い。相手が遠慮せずにふっかけるから、受け取り手も遠慮しないで、少ないターン数でお互いの芯を掴む。

これがいわゆるコミュニケーション能力というやつなんだろう。
そんでそういうところを上手く操作するのは年長者の役目……なんだろうか?わたしも別に後輩に向かって積極的にストレートを打ってはいなかった。
多分こういうような話をすると上司は、ちゃんと仕事をしてくれるなら何でも良いよと言うだろう。

今週めまい症が落ち着いてきたのにまた戻ってきて牛になっていました。も〜。夕飯、松屋のシュクメルリを食べた。


2月10日(土)

午前中歯医者へ行き、その足でバレンタイン催事のチョコを買う。
友人らとチョコ食べ回を後日行うので、それのために今回購入したのは「花と酒とチョコレート」のプレゼントデーブックと、資生堂パーラーのショコラバリエ2024。どちらもパッケージがかわいかったので。
花と酒とチョコレートに関しては自宅用に小さい箱のものも購入。
あと個人的な布教チョコとして無印のカカオトリュフ塩キャラメルと、KALDIで売っているダークチョコに砕いたプレッツェルと塩が入っているやつを買った。
布教チョコはうますぎて今シーズン店行くたびに買ってしまう。てか塩スイーツが好きすぎるな。

花と酒とチョコレート、購入してから調べてみたら大元はモロゾフだった。
もしかして最近昔なじみある大手王道ブランドが、ガワめっちゃカワヨ新ブランドをリリースするのって流行ってる?わたしが知らなかっただけ?
それこそおなじみMaryがレトロパッケージでパチパチキャンディ入りチョコレート出してるのとか、おっ若者向けSNS向けにがんばってんねえ!キャラものコラボチョコとか出してんねえ!と知っていたけど、今年初めて見かけた、ジャミーラシリーズ!これがとても好みに刺さった。
アラビアンな、エキゾチックなデザインのパッケージでめっちゃかわいかった……そんで先週の時点でほぼほぼ売り切れ、今日は早めの時間に来たからどうだ?と思ったら、ジャミーラシリーズ自体の取り扱いが終わっていた……。

正直、わたしはチョコの良し悪しってよくわかんないのよ。
だって日本のチョコレートって駄菓子からもう口溶けなめらかで美味しいんだもん。基本的に全部おいしい、フレーバーとかアクセントに入れてあるものの違いでしか判断できない。
だから、購入の決め手って見た目が大きく左右されるから、大手がこういった、味はもちろん美味しくて、見た目もジャンジャンにかわいくしましたけど!みたいなシリーズやブランドを打ち出してくれるの、選び甲斐があってめっちゃうれしい!ありがと〜〜〜〜〜!!!


2月11日(日)

昨日しゃぶ葉行った時にしこたまタレを服にはねさせていたので、食器用洗剤で予洗いして夜のうちに干しておいて、今朝他の洗濯物と一緒にコインランドリーに持っていこうと取り込もうとしたら、ハンガーごと無くなっていた。?。
周辺探しても落ちてないし、昨晩は別に風も強くなかったし、盗まれちゃったのかな。別に高いものじゃないから良いけど(良くはない)、1階はやっぱセキュリティ面は危うい。
けど盗むにしてもほんとに?と思う自分もいる。
1階とはいえめっちゃ通りに面してるし、すぐ近くに車も停めてあるから侵入するにもちょっと入りづらいと思うんだよな。逆にその油断から?
洗濯物を夜通し干してるって以前からやってたけど、あえて1枚しか干してない時にやる?それもまた油断なのかしらねえ。

最近キムチにハマっている。
辛いものって一回ハマるともう飽きるまで常に刺激を求め続けてしまうもので、そもそもキムチの前身として食べラーブームがずっと続いている。
食べラーを効率よく摂取したい……キムチが丁度良いかも、というところから最近キムチを食べ続けている。
第一次キムチブームの時はブタキムを食べまくっていたのだけど、その時「ご飯がススムキムチ」は甘すぎてブタキムに合わないと早々にスタメンから外していた。
が、最近キムチをそのまま食べるようになって、よりマイルドさを求めていく中、そのまま食べるならご飯がススムキムチが一番食べやすいんじゃない?と脳裏にささやいてくる人がいた。
確かに。もう一人の自分が言う通り久しぶりに買ってみるか。

結果めっちゃうまくてワロタです。
甘すぎてキムチのアイデンティティが若干揺らいではいるけど、そのまま食べたらかつおの出汁がめっちゃ効いてるし、甘味は旨味やねえと人間の認識に思いを馳せる味。
いやこれキムチじゃないのかもしれない。甘辛な漬物としてめっちゃうまい。今までナメててごめん、ご飯がススムキムチ。
ただそのまま食べるには美味しいけど、食べラーと海苔をかけて食べるにはちょっと甘すぎて食べラーと海苔の意味が無くなっちゃったかも。最適なキムチを探す旅はまだ続きます。


2月12日(月・祝)

最近、イベントとか展示の主催をしていて走り回るような夢をよく見ている気がする。焦り、か……。三連休があけてしまう……。
クリーンな会社なのであまり週明けへの憂鬱さは無い方だけど、デカい急ぎの仕事が急ぎなのにクライアントが全然反応してくれないまま三連休を迎えてしまったので明けるのが不安。
これがわたしだけが割りを食うならまだしも、社内デザイナーにお願いをかけてしまってるから本当に苦しい。
ほんで年度末予算消化のための依頼連打のため社内全体的にも忙しくなってるからみんな余裕が無くなっている。
毎年の事ながら何とかならんのかね、御社!そして御社も!デカい会社ほどこういう依頼が多い。
消化のためだからクライアントのモチベがあるわけでも無し、大きいお金動かしてるけど余らせて、余ったままだと来年度予算もらえないから虚無仕事して、大丈夫なのか?御社!そして御社も!
この世はポイントの失効期限が来るからとりあえずおつりの金額分使っておくか〜みたいに大金が動いている。ちょっと虚しくなるね。

夕飯に焼き鮭ハラスを久しぶりに焼いて食べたけど美味しかった。
スーパーのお弁当とか惣菜でハラスはあるけど、自宅で焼くことの利点は皮がパリッパリになること。
スーパーでもコンビニのチルドでも焼き魚は美味しくなってるけど、皮のパリパリさが……って同じ話を先日しているわ。


2月13日(火)

出社前にメールを確認したら三連休前の返信が来ていたし、スケジュールも猶予取れたのでギリギリ滑り込みセーフで気持ち良い三連休明けを迎えることができた。
しかし、確かに早く返信くれ早くと念じてはいたけど、深夜に返信あるのはおれ心配だよ。
その場しのぎのスピード勝負、わからない事はやりながら考える聞いてみるのシステムで働きすぎて、そして大体それが個人で完結しているから、人にお願いするとき情報が足らなすぎて反省。
最近仕事が忙しすぎて仕事の愚痴反省日記になってしまう。書くと残るからマイナスな事はあまり書きたくない。

最近買って良かったもの。
ビオレUの泡ボディソープはすごい肌スベスベになる。
ただ泡はすぐへたるので全身泡だらけにしようとすると爆速で中身が減っていく。やっぱ液状の方が少量でも泡立つしコスパが良いのかもしれん。
ジェルタイプもあるみたいだし次はこれを買ってみようかな。
あとクリニカPROのラバーヘッド歯ブラシ。これは毛先がラバーの歯ブラシ。
小さいヘッドが好みでクリニカのアドバンテージ歯ブラシを愛用していたが、長時間磨くためか力が強すぎるためか、すぐ毛先が開いてしまうのが悩みだった。
それに比べてラバーヘッドは毛が太くてしっかりしているからか全然ヘタレなくて良い。


2月14日(水)

山内マリコの『一心同体だった』を読み終えた。
小学生から、中高生、大学生、社会人……と、その時その時の彼女らの社会、生活、特別に思っている友人との邂逅と別れ。
冒頭の主人公と主人公の母親との会話で「小学校とか中学校のときの友達とは、ばらばらになっちゃったな」「なんで?」「なんでかなぁ」の「なんで」のバトンを各章次々と繋いでいくような話で、ジャンル的には群像劇なんだろうけどバトンを渡した人の現在や、実はこの人が……的な話が無いのが、振り返らないで走ってる感じがして良いと思っていた。
章が大人になるにつれて、氷の上に立ってるなこれ、氷の下が透けて見えるなあ、まあ女性たちの話だし時代的にも付随してくるもんだからと思っていたら、最後の章でその氷がバリバリと割れて「感情的フェミニズム」の海に落とされてしまった。
そっか〜。
どうしても「感情的フェミニズム」の感情(主観)で話してきたり、感情を強要されたり、他責なところが苦手である。
自分を守るというのは他責にすることじゃないし、自責は自分を傷つける事ではない。

てか山内マリコは『ここは退屈迎えに来て』も数年前に読んだことあったわ。
その時は特に感想などどこかに書いていないから詳しくは覚えていないが、他責ワナビーの話で疲れるなという印象だけ残っている。
そっか〜。わたしには向いてない作家さんだったな。


2月15日(木)

昨日一昨日と暖かい!春?!みたいに言われてて、日差しはあたたかだが空気は冬のままだったので、日中社内にずっといる身からしたらそんなに暖かいか?という感じだったけど、さすがに今日は大変あたたか。朝のエアコンをつけないでも過ごせる。
年度末に向けてずっと残業が続いてはいるが、不思議と精神的な疲れはあまりない。とりあえずその日その日のノルマはほぼクリアしているからか?
先が見えなさ過ぎるとか、目的がわからなすぎるみたいな事があまり起きていないからかも。
夜、また友人らとSwitchのUNOをやった。


2月16日(金)

まあ明日頑張ればいけるか……という残業の残りカスは金曜日に集結し、退勤への道を阻んでくる。今週もよく働いた。
相変わらず精神的にはなんか元気だ。なんだ?何かしらのバフがかかっている。
精神的には元気だけど、肉体的には疲労MAX。肩甲骨まわりが終わってる、あと鎖骨と腕の間の筋肉。
最近明らかに太ってきているしフィットボクシングやりたいんだけど、今は時間がなさ過ぎる!
あと最近週3〜4でムーが家に来てるから、目の前でやるわけにもいかず。恥ずかしいので。
フィットボクシングしてる様って一番人に見せてはならない姿だと思う。汗かくからって下着同然の服装でやっているわたしがそもそも良くないか。


2月17日(土)

靴下を買う旅。
靴下は派手であればあるほどかわいい。どんな服装でも全体の色味さえ気にしておけば、派手な靴下はワンポイントになってかわいいんや。
今わたしはギラギラの靴下が欲しい。前にTabioで買った、ゴールドギンギラな靴下みたいなのが欲しいのだけど、割と控えめなラメ程度のものが多いんだよな。
あと可能であれば3足1,000円台で買いたいという希望もまた旅路を長くしていく。

散歩道中、IKEAのソフトクリームを食べた。
普段アイスを食べたいセンサーが働かない人種なので、ソフトクリーム自体めちゃくちゃ久しぶりに食べたけど、コーンがサクサクでおいしいね。
コンビニのコーンアイスとか稀に食べてたけど、そういえばこういう流通ソフトの大体はクッキー生地のコーンだもんな。
つまりサクサクのコーン、めっちゃ久しぶりだ。
歩きながらソフトクリーム食べてると、すれ違う人々がこの人ソフトクリーム食べてるなあという眼差しをソフトクリームに向けているのがわかって楽しかった。
ソフトクリームのアイコンは印象が強すぎるというか、唯一だし見た目がかわいすぎるよな。アイス部分のくるくるが、フリルみたいでかわいいからなんだと思うんだよ。


2月18日(日)

ブックオフで本を売ったら想像の2倍の価格で査定が出てびっくりうれし。
中でもマイケル・ポーランの『人間は料理をする』が上下巻共に600円。一昨年くらいまで絶版だったからかな〜、わたしが買ったのも古本でそんな状態良いものでは無かったのに。
もしかして惜しい事した?と一瞬思ったけど、大事な事はメモしたし、読み返す事も無さそうだから良いんだこれで。レアリティまで気にし始めたら床が抜けてしまう。
査定がいつもより時間がかかり、新年度に向けて引越など新生活が始まる人たちの存在を感じる。


2月19日(月)

雨よりも、花粉よりも、湿気がやばいが。
なんか最近暖かいし、友人宅に持っていくチョコを冷蔵庫に入れずにいるのやばいかな……一応玄関に置いてはいるんだけど。
冷蔵庫の中と外で温度差を発生させるのはチョコにとってもストレスだろうなと思ったんだよね。
もし今軽く溶けていたとして、今更冷蔵庫に入れるのもあまり良くないだろうし、大丈夫なことをただ祈るだけだ。
と思って天気予報を見たら明日の最高気温23℃?!さすがに冷蔵庫に入れるか。

バッタバッタと仕事をなぎ倒し、今週は早く帰れそうだな?!30分だけ残業して、スーパーへ行って味噌汁の具材を買う。
レジ袋が無料だった時は気にもしていなかったこと。1品2品だけ買った時に袋を使うか使わないか迷うこと。
エコバッグは形状が気に食わないものが多くて持たない派。ちょっとした買い物でも全部レジ袋を購入していたけど、あまりにも小さいレジ袋ストックが増えてきたので最近は袋を使わない選択肢が出てきている。
少し前は買ったものを裸で持って歩くのちょっと恥ずかしいなと思っていたけど、今や裸の牛乳パックや長ネギ片手に堂々と往来を闊歩するようになった。
そもそもの話、セルフレジが増えたから1品2品だけ買うのに抵抗が無くなって、些細な買い物が増えたというのもある気がする。


2月20日(火)

あ〜〜仕事の詰まりが取れた瞬間サボりがちになってしまう自分の理性のゆるみよ。
詰め込みでしか集中できないのか?それともめちゃくちゃに細かくスケジュールを組んだ方が取り組みやすいのだろうか。

贔屓にしてくれているクライアントと打ち合わせついでの雑談で聞いた話。
弊社を選んでくれているのは速さと安さからなんだろうと思っていたのだけど、それもあるけど弊社は話が早いのが良いとのこと。
他の代理店や制作会社に頼むこともあるけど、消費者目線で作られる事が多くて、それも大事なんだけど動かせない社内事情等々……あるからそれを汲んでほしいのだけど、意思疎通がうまくいかず云々など。
言われるがままの事しかできない自分がコンプレックスだけど、そこを褒められる事もある。ありがたいね。

多分クライアントもできることならそうしたいよ!という叫びもあるんだけど、会社と社会はたくさんの人が関わってるからね。どうにもならない社内事情をたくさん抱えて担当者はやって来る。
それを否!という人もいれば、はえ〜大変っすね〜と全部受け流しているわたしもいる。
否を求める会社もあるし、弊社を求めてくれる会社もあるし、この世はうまく回ってるなあ。


2月21日(水)

ジル・ボルト・テイラーの『奇跡の脳』を読み終えた。
脳科学者のジルが脳卒中になってそこから復帰する話。前半は発症してからリハビリの記録。後半は脳卒中になってから得た脳の特性、脳との付き合い方など。
全体的に砕けた文章で読みやすく、そして臨場感に溢れていたので出血が起こり自分の体と意識が乖離していく様は怖くて、母親の愛情深さには泣けてしまいそうだったからこそ、後半は少しスピリチュアルっぽく見える展開になるギャップに少し驚く。

右脳は未来や過去といった時間軸で生きてはおらず、今見えているもの、今聞こえているもの、今触れているものを感じとる働きをしている。
左脳は管理者で、右脳が取得した今の情報を整理し、これまでのデータと照らし合わせてこれからどう行動を起こすか、という動きを瞬時にする。

ジルは脳卒中になるまでは、バリバリ働きまくっていて30代で偉い役職について、研究者として左脳を使いまくっていたから、脳卒中で左脳が機能しなくなり右脳主体となったとき、自分の体の境界線がわからなくなって宇宙と一体化したような気分になる。
それ故に死を恐れなくなり、人や空間に流れるエネルギーの動きがわかったりして、それが深いやすらぎとなってこの感覚を手放したくないと思った。
このあたりが少しスピを感じはじめる。上記の感覚は宗教で言うと「悟り」だったり「神と繋がる」だったり、または薬物使用で得る幸福感でよく聞くラインナップでもあるから。

やすらぎを得ることで、(不要な・考えすぎな)未来への不安や(不要な・考えすぎな)過去への後悔などマイナスな感情と切り離す事ができる。
このやすらぎが現代社会で生きる人にとって必要だ!とジルはやすらぎの素晴らしさを説く。やすらぐためにはどうすればいいのか。
それはただ「今」に注視すること。今何を見ている?何が聞こえてくる?肌に何が触れている?心地良いか?気温は丁度いいか?体が不調を訴えていないか?
やすらぐために今を注視する。

禅だ。
即今、当処、自己。過去や未来や自分はどうにもならない、今この瞬間にいる自分が、今だけを考える。
脳科学者が脳卒中をきっかけに自力で(もしかしたら以前禅や仏教について知っていたかもしれないけど、言及は無かったので自力とする)、遠いアジアの歴史ある考えに到達したのが興味深かった。
そう、遠いんだよ、宗教観が違うのに。本文中にも、西洋の社会は左脳の「する」(doing)機能を右脳の「ある」(being)機能よりずっと高く評価するからこういった右脳マインドは云々〜とあって、確かに、キリスト教とかってそういう印象かもなと思ったんだ。
神は見ています、あなたどうしますか?あなたはこうしなさいという教え。宗派によるし、個人の解釈だけど、仏教は己を見つめなさい、神道はただそこにある、という認識。

そら訪日客に禅(ZEN)が流行ったわけだ!
これから何をするか、何かをしたらどうなったか、なんて毎秒毎秒考えるのに休みを与えて、今の瞬間、五感で感じてみましょうよって、それまで触れる機会が少なかった人からすると新鮮だし、今までと違うアプローチで自分をコントロールする気持ちよさがあるんだろうな。
自己啓発本を読んで清々しい気持ちというか、未来が明るくなるような感覚に近いんだろうかなと思う。
まさか脳科学者の本を読んで宗教観についても得られるとは思ってなかった。面白かった。


2月22日(木)

終わるかわからなかった仕事が無事終わり、いい気分で三連休を迎えられる。
肉体的にはやはり疲労が溜まっていたのか、久しぶりに歯磨きもしないまま、エアコンをつけたまま寝落ちしていた。


2月23日(金・祝)

掃除機が届いた!
一人暮らしの狭い部屋、クイックルワイパーと絨毯の上はガムテのゴミ取りで充分だろと思っていたけど、いい加減細か〜い粒ゴミみたいなのがクイックルワイパーで取れない事、クイックルワイパーとガムテを持ち変えるのがもう面倒だ!
と、掃除機が欲しい時期はずっとあったのだが、デカい掃除機は場所を取るし面積的にも必要ない、でもハンディは長い目で見たら腰を悪くしそうだな。
どうすればいいんだ?と長く悩んでいたのに決着がついた。
アイリスオーヤマのコードレスのアタッチメント付きのやつ。
めっちゃ小さいのにハンディにスティックのアタッチメントもつけて立ちで掃除機かけられるし、アタッチメントと本体をすべてコンパクトに収納して、置いて充電できる。
最高!箱に入ってる時点でめちゃくちゃ小さくて違うハンディ掃除機買ったのかと思っちゃった。


2月24日(土)

豊橋技術科学大学の岡田研究室で研究されている、弱いロボットがかわいい。
ゴミの近くまで寄って、モコモコ言って、人間の手を借りてゴミを捨ててもらうロボとか、ずっとアワワアワワ言ってぷるぷると挙動不審なロボとか。
あえて弱くして人間の力を借りるロボというのは、ここの研究室のものだったかは覚えていないけど昔から存在はあったと思うが、岡田研究室のセンスが良いな〜と思うのは、ロボの声、発声が子供すぎないところ。
絶妙に棒読みと感情的の中間、庇護欲のために幼くしすぎないところ、かわいいとかわいそうの丁度中間だなと思う。(中間からどちらかに偏りすぎると、しゃらくせ〜かわいこぶりやがってよ〜〜と思うわたしみたいな面倒なやつがいる)。
あえて弱くすることで、人間の「仕方ないな〜」と思わせる仕草、単純に弱きものは優しくしないとねという所や、ロボットの助けになっているちょっとした自己肯定感みたいな所を刺激するうまいやり方だなと思っていたので、ムーからこれ小学生の道徳の資料になっていたりするらしいよという話を聞いて、なんで?と一瞬思った。
弱いロボットに優しくしちゃうのは動物の本能みたいなもんだから、道徳とかには関係無いのでは……と思ったら、ロボットには優しくしようね的な話らしい。
なるほどね!それはめっちゃ大事かも。特にこれからの時代。
なぜロボに優しくしなければならないのか?優しくするものに命のあるなしは関係あるのか?命とは何か?ちゃんと道徳のテーマだ。


2月25日(日)

雨の中友人宅へ集まり、各自買ったバレンタインチョコを持ち寄る会が開催された。ブラッシュアップライフを一気見しながら。
ブラッシュアップライフ面白かったな。
噂には聞いていたけど、雑談の解像度が異様に高い。
女友達同士の、仲良いからこその雑な対応とかふざけ具合がやり過ぎでも足らなすぎでも無く絶妙でうますぎる。
これを観た後、友人らと何を話していても帰り道1人で歩いていても、ブラッシュアップライフっぽいな……と俯瞰に思う自分がいて、すごいもん観たなという気持ち。
ブラッシュアップライフ以前とブラッシュアップライフ以後が人生に発生してしまった。
衣装が印象的でとても良かった。
アイテムひとつひとつがかわいいのはもちろん、初めの市役所や薬剤師のお役所仕事している時はキャメルカラー、テレビ関係者の時は仕事は黒服で部屋などプライベート空間は青、研究者の時は青ベースになり、まりりんは黒服で異質感を出し、あーちんとまりりんは寒色、なっちとみーぽんはキャメルのままで色で分断、パイロットの時は2人は赤、最終的には4人キャメルになって一体感。
こういった見方をしてしまうのがもう素直に作品を楽しめなくなってるんかなと思うけど、そういう見方をしてもしなくても楽しめる、自分が気づいていない盛込み要素や伏線もあるだろうし、1本45分の中にどんだけ詰め込んでいるんだよ、詰め込みつつノイズにならないよう調整するのうまいんだよってちょっとゾッとする。
すごいもん観た。


2月26日(月)

さすがにか。さすがに三連休連打で調子出ていない気がする。
仕事が溜まっていると急ぎでもないのに早くやらなきゃという穏やかな焦りが生じている。でも実際のキンキン急ぎの仕事にしかやる気は出ない。難しいね。
なんかぼんやりしたまま1日が終わってしまったような感覚だ。いかん調子を戻さねば。


2月27日(火)

ムーは割と無口な方で、ただ一般的な無口の印象とは違うからムーを知らない人にこの特性を説明するのが少し難しい。
無口といっても何も喋らないというわけではなく、擬音だけで意思疎通を図ってきたり、感情表現は豊かなので何を伝えたいのかというのは行動と態度でなんとなくわかるし、割と愉快な事をする。
わたしもわたしでこの人はそういう人だというのを昔から理解・納得しているので、大体どうでもいいオチも何もない雑談はわたしだけが一方的に喋っているだけな事が多いのだが、最近はささいな事でも反応があることが増えてきた。

しかしやはり本人が疲れていると言語野が働かなくなってしまうのだろうな。
割と遅い時間に帰ってきたムー、わたしの雑談に一切の反応が無いか擬音しか返って来なくなっちゃった。
普段だといつもの事だからとあまり気にはならないのだけど、今日はわたしも疲れちゃってるから心のなかで(も〜〜〜)と牛になる。
言語で伝えても打って響かないタイプっぽいので、牛になっても飲み込むだけ。我慢というより選択。言語コミュニケーションを得意としていない人に言語をぶつけてもそれはエゴな気がしてしまう。
こういうのを人に話すと、いやそもそもその人さあ……という反応になるので困る。
そもそもの人間性は別につつかなくていいのよ、わたしはそれを完全に納得してるし蓼食う虫なのよわたしは。
まあ面倒くさいか面倒くさくないかでいったら面倒くさいタイプではあるんだろう。正攻法のストレートなコミュニケーションというより、攻略や推理のコミュニケーションをしているからな。
人に話すとまずこの人間性にハテナが出現してしまい(わたしも他人の話で聞いたらハテナになっているだろう)そこのハテナを解きほぐす工程が発生するので、人にムーの事を説明するのが難しい。
から宵越さないほんの少しの愚痴を誰かに話す事がちょっと面倒になる。
そして今更こんなささいなコミュニケーションで牛になっているのは、わたし疲れているんだなとパラメーターしている。早く寝よう。


2月28日(水)

スーパー残業マンだからごはん先に食べててとムーに連絡するも、ごはんを作ってわたしが帰ってくるまで待っているパターンがたまにある。22時だぜ、先に食べててもいいのよ……。
わたしは食欲に大変素直な人間なので、逆の立場になった時はお腹が空いたらすぐ先に食べちゃう。なんだったら食べるのを待たせてしまったと相手に恐縮させてしまわないようスタコラサッサと食べる。
だからこそ、ごはんを作ったうえで食べずに帰宅を待っている様は健気な姿に映る。犬すぎるだろう。

綾辻行人の『緋色の囁き〈新装改訂版〉』を読んだ。
綾辻行人を読むのは初めて。御所ほど手に取らなくなってしまうのだが、新装改訂版の装画がタイプすぎたので購入。
ホラー調ミステリだからというのもあるけど、生理の描写がやはり男性だなと思うところがある。
リアリティがどうこうという話というより、見えない根っこの部分で、自分では身体的に起こり得ないからこそ人体への神秘性みたいなものを感じるというか。
あえてなのか滲み出たのかわからないけど、閉鎖空間、令嬢、魔女と、テーマと神秘性が相まってよりホラーに拍車がかかっていたように思う。結構各キャラクターの掘りがあっさりで、それでサクサク読めはするが深入りする感じは無かった。
館シリーズとはテイストが違うらしい。初めての綾辻行人としてはチョイス間違ったかな。


2月29日(木)

残業したとき、21時とかに帰宅して夕飯食べてるのあまり体に優しくない気がしている。昨日も22時に夕飯食べた後、役10時間ぶりの固形物に胃が歓喜して胃液をドバドバ出している感覚があったし。
以前はグミとかチョコとか、保存がきくちょっとしたおやつを常備していたけど、こういうやつはちょっとだけだからと思ってポイポイ次から次へと食べてしまい、デブと虫歯に繋がるから距離をおいていた。
いっそパンとかおにぎりを食べてしまったほうがいいのかなと思い、ランチの帰りにセブンで板チョコパンケーキを購入。本当はちぎりパンが久しぶりに食べたかった。
この板チョコパンケーキ、見た目が良い。
幼稚園児の頃に読んだパンを作る絵本に、板チョコをパンでサンドしているようなものが載っていて、あまりの骨太さ、おれは何にも迎合しねえぜと板チョコが板チョコのままいるのが当時子供ながらに衝撃でよく覚えている。
そして美味しそうだった。その影響でこういうチョコが板のまま鎮座しているものに弱い。
残業確定ではあったから夕方に板チョコパンケーキを食べたが、思ったより早く仕事が片付き1時間程の残業で終業。ただハイカロリーな間食をしただけになってしまった。
あと板チョコパンケーキを初めて食べた時もそうだったけど、食べたあとめちゃくちゃ動悸がして苦しい。血糖値がイカれてしまっているのだろうか。

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