5月の生活(2024)


5月1日(水)

友人の誕生日祝いも兼ねて昼過ぎから会う約束をしていたのだが、電車に乗って気がついた。誕生日プレゼントを持って来るのを忘れたという事を。
またやった。よりにもよって誕生日プレゼント忘れてくるのを過去にも何度もやっている。
今日は雨で荷物に傘が追加されているのが敗因のひとつだと思われます。

待ち合わせの喫茶店で1時間半ほど喋り、ショッピングビルをうろうろし、夕飯は焼肉を食べ、その後も喫茶店で1時間ほど喋り合った。
久しぶりに会ったとかいう仲でもないのにいくらでも話せるな。
お喋りが好きだ。夜通し飲める体力があったその昔、カラオケに流れ込む下りが好きじゃなかった。お喋りできなくなるから。
カラオケ行くなら磯丸水産で朝までお喋りしていようよ。


5月2日(木)

文字ベースでやり取りがうまく行かない時、オンラインでも顔突き合わせて打ち合わせするとうまく行く!!!
わたしにとってのTIPS、さっさと直接打ち合わせすればよかった。
なぜ文字だけだと意図を誤読することが多いのか。反省です。


5月3日(金・祝)

4連休だ!特に予定は何も無い。
ミョウガと大葉って美味すぎだよなあ。うどんや素麺など麺類との相性は当然、しょっぱく炒めた肉の上にまぶしても大変美味しいご飯のおかず。
肉たちのこってりとした味に、ミョウガと大葉が爽やかな風を吹かせてくれる。無限に食べられちゃうな。
あとこれって麺料理の具だけ食べてるみたいな事なのかな。

ひなたは暑いけど空気は涼やかで日陰は気持ちいい。一番春の気候かも。ちょっと前は少し暑すぎだった。
なんか今年の夏は暑さがやばくなるってどこかで言われていて先行き不安ではあるけども、暖かくなって、それから暑くなって、洗濯物が乾きまくるからそれだけは最高よ!
もう夜に洗濯物を取り込んで、これは夜風で冷えて冷たいのか濡れてて冷たいのか、手を当て洗濯物たちの声を探ろうとしなくても大丈夫になるんだ。
それだけ、夏の良いところは。洗濯物が早く乾く。あと日が長い所。それだけです。

今日も歩数で見ると2,5万歩くらいのまあまあな散歩距離だったが、途中電車に乗ったり公園で柏餅食べたりして座る時間を挟みつつあったからか、同程度の歩数をぶっ続けで歩いたときより全然疲れていなかった。
都度都度休憩を挟めばもっと歩けるのかな。ただあまり達成感がない。


5月4日(土・祝)

もうあち〜のでカーテンも夏物に替えました。風が心地よいので、食後うとうとしてしまうのが危うい。
うとうとに身を任せて、家で休むのも大事だとわかっていても、早めに外出して何かをこなしてしまいたくなる。

今日は神楽坂〜飯田橋周辺を散歩。このあたりはほとんど行かないので新鮮な気持ち。
神楽坂はハイソな空気感があって良い。路面店がたくさんあって観光地の大通りっぽい雰囲気があるのに、そこまで混雑していないのがちょっと旅情を感じる景色だった。
神楽坂の脇道入れば本物の人しか入れないような小さいお店が立ち並び、飯田橋方面に行けば大学生向けのジャンクなお店が増えてきて、領地をせめぎ合っているわけではなくうまく雰囲気がグラデーションで変わっていくところが良いですね。

今まで近くを通った事はあったけど、実際中まで行ったことがなかったので靖国神社に参拝した。靖国通りをずっと下り、第一鳥居から入りまた登っていく。
この第一鳥居の大きさが圧巻なのもあるけど、入口からは登り坂になって目の前には鳥居と空と木々しか見えない瞬間があるのがニクい演出。
また夕方になると低い空路の飛行機が飛び交い、鳥居越しに空を横切っていく景色がすごくかっこよかった。
時間的にショップやミュージアムがしまっていたからなのもあるのか、ほとんど混雑してなかったのは初参拝として穏やかな気持ちでいられたから良かったけど、普通にショップもミュージアムも見てみたいからまた来よう。
第一鳥居がでかすぎて、ちょっと笑ってしまうほどのでかさだったので、当時この鳥居を作った人たちもでかすぎて笑いながら作っていたらいいな。

靖国神社の後日本武道館の周囲の公園?を突っ切り、皇居のまわりをぐるっと歩く。外苑など皇居の堀を越えた先にも入ったことが無いからまた行きたい。
なんとなく今日は日本づいた散歩だったので、東京駅まで行ってスシロー食べて帰宅。


5月5日(日・祝)

いっそ4連休散歩しまくるぞと意気込んで、新宿まで出たがさすがに疲れが溜まっていた事を実感し、今日は早々に退散した。

ベイクドマロウの焼きマシュマロサンドを食べた。昨日スシロー行った後、営業終了が間もなくだったので急いで大丸に行って購入。
いわゆるスモアなんだけど、市販品のスモアって見ないから興味があって買った。
まあ味も普通に美味しいスモア。クッキーがちょっとしっとりすぎるように感じたかな……グラハムクッキーはザクザクで食べたいかも。
店頭には、パイにマシュマロが何層かサンドされているやつもあって、そっちも買ってみれば良かったな。
スモアとか、タブレットチョコに入っているマシュマロとか、マシュマロはそれだけで食べるより具で入っているのを食べるのが好きなんだけど、エンゼルパイだけはチョコパイかと思って食べたらエンゼルパイだったという悲しい事件が過去にあったゆえに許せていない。
今ならエンゼルパイの事許せるのかな。


5月6日(月・振休)

朝昼ご飯に武蔵野うどんを食べた。この小麦の暴力性。
コシ系うどんは讃岐うどんの知名度が高いけど、コシの強さでいったら武蔵野の方が強いのでは無いか?
力士のような、身の詰まり由来の跳ね返りを感じる。讃岐はもっとポップなぷりんぷりんとした、でっかいうさぎみたいな跳ね具合。
一本一本が太くて何本もまとめてすすれないのと、コシの強さから自然と咀嚼が多くなり、満腹中枢が刺激されて一人前だけでもすごくお腹いっぱいになる。

食後動きたくなかったので、今日はだらだらとした。
最近いろんな花が街中に咲きまくっているのを見て、なんだかどうぶつの森がやりたくなり何年かぶりにSwitchのあつもりを起動したけど、やっていない間に刺激を求める体になってしまって、もう物足りなく感じてしまうようになってしまった。
リセットしてしまおうか。でも今の段階までまた続けられる気がしないや。

連休明けの、あ〜仕事だ〜という感覚。
言霊と一緒でちょけてでも言った端から本当にだるい気持ちになってしまうからあまり言いたくは無い、けど言ってしまう。
がんばるぞがんばるぞがんばるぞ。喉のつかえは先週の自分がちゃんと解消してくれているから、やるぞやるぞやるぞ!がんばれ自分。


5月7日(火)

眠いな〜というときは明確に寝不足だ〜と思うけど、もしかして眠くなくてもだるいな〜というのも寝不足ですか?動悸息切れも?
加齢か〜と思っている事象、全て原因は寝不足だったりしますか?
わかっているんだ、慢性的な寝不足なのは。7時間睡眠しないと寿命が縮まるとかさ、0時までに寝ないと肌の調子がとか基礎代謝がとかさ。
でもこの世に毎日毎日供給される楽しいエンタメが無くならない限りそんな生活無理です。もしくは1日がせめて30時間にならないと時間が足らなすぎる。
大体0時までに寝るって現代社会で無理すぎないか?体がついてこい今の生活リズムに。
平日毎日5時間睡眠でぜってー長生きしてやるからな。


5月8日(水)

味噌汁を作る時は大体わかめを入れる。少し前まで半生わかめみたいな、パウチに入っていて日持ちがするやつを使っていたが、近所のスーパーにもちゃんと生わかめがあることに気づいてから生わかめを使っている。
小さい面積のスーパーだから無いだろうと思い込んでいてごめん、サミット。

生わかめが一番美味しいんだ結局。乾燥わかめに比べたら半生わかめはまあまあ健闘しているなとは思うが、それでも生わかめの歯ごたえや滑らかさには敵わない。
乾燥も半生も、一旦は水分が抜けて圧縮されているから、水で戻しても一回ついたシワはピンと伸び切らない。
一回洗濯したシャツは、もうサラピンの見た目と着心地には戻れないんだよ。

それでも、同じ生わかめでも前の家の近所にあったスーパーのわかめの方が好きだった。肉厚でふわふわとザクザクなのに、安い。
当時のわかめに思いを馳せつつも、今のわかめは今のわかめで、茎がめっちゃ混入しているのが良い。ゴリゴリしてて美味しいんだ。

生わかめ主義の自分、ペラペラの乾燥わかめは自分では買わないけど、唯一好きな乾燥わかめがある。
それは板わかめ。乾燥わかめをそのまま食べるよりパリッとしてて、しょっぱくて、特に茎の部分が塩味と旨味が凝縮されててあそこをしゃぶるのが最高なんだよな……。
島根の特産品らしいのだけど、なぜか関東の実家によくあった。島根周辺出身の人誰もいないのに、どうして。


5月9日(木)

窓から夜景のきらめきが差し込むトイレで、しっかりと放尿する夢を見て飛び起きた。
飛び起きたは比喩で、本当は横になったまま目をカッと開き、股間に浸潤がないか腰回りの皮膚感覚を鋭敏にした。無事だった。
いずれ無事ですまなくなっていくんだろう。人間は赤子から大人になり、老人になるにつれてまた赤子に戻っていく。
かつてトイレの夢を見て漏らし、漏らさないようになり、また漏らすようになっていく。

三崎律日「奇書の世界史」を読んだ。
これも積んでいた本だ。「奇書」やサブタイ?の「ヤバい書物」というワードの強さから、おいおい過去の人間はこんな荒唐無稽な本を書いていたんだってよ、というテンションかと思いきや当時の価値観ベースで話をしてくれて、現代の価値観の物差しで測って切り捨てる感じが無かったのが良かった。

何を信じるか、というのはその人その人の根幹でピュアな部分だと思うから、何を信じているかで人を貶したり蔑んだりはしたくない。
または何を信じているかを棒にして人を叩くのも嫌だ。(思うのは自由だけど、でもそれをあけすけに口から外に出してはならない)。
科学的な社会になることによって宗教や信仰が軽んじられる事をよく見るようになっているわけだけど、他人の信じるという行為を馬鹿にしないでおくれよと思う。
科学や歴史を信じるのも信仰だし、隣人を信頼することも信仰だし、趣味を愛するのも信仰だし、昨日の自分と明日の自分が同一人物だと思うのも信仰だよ。

だからこの本は価値観と信仰を大事にしてくれている感じがして良かったです。ルートポート氏の解説も良かった。


5月10日(金)

天気予報では昨日より暖かいらしいけど、家の中が寒いので今日もしばれるわいとタイツに脚をねじ込み家を出たのだが、外はしっかりとぬくもりのある気候だった。
真冬の時期はタイツには一切防寒力を感じられず、こんなほっそい化学繊維で何が守れるのかとわたしの信頼は完全にヒートテック股引に移っているのだが、暖かい日に履いてわかる、タイツの防寒力。細いながらもいっぱい集まって僕らは風を通しませんよ!という繊維たちの声。

休みボケなのかなんなのか、今週はまったく仕事が進まず。来週からは気合い入れます。


5月11日(土)

土曜日なのに、平日と変わらない時間に起床。洗濯へ。
今日は何が何でも洗濯機を回したかった。なぜなら先週洗濯したのが金曜日だから、もうタオルなどのストックが切れ始めている事や、明日天気が芳しくないというのもあるけど、今日は午後から友人とパフェを作る予定があるからだ。

材料を用意して、あとは具材を順々といれるだけだろうと積み順だけをイメトレしていた。
しかし、想像以上に事前の計画が必要だったみたいだ。
見た目、食べた時のバランス、アイスを載っけてからの終盤の大慌て、などの拮抗が崩れていく。
過去ファミレスバイトでパフェを作りまくっていたからまあ余裕だろうとこいていたが、ちゃんと手順が用意されているのといないのとでこんなにも違うのか。
また、自分で作ってみると食感や酸味の重要さがよくわかる。いつかリベンジしよう。


5月12日(日)

まいばすけっとで買い物をしたら、帰り際カーネーションを貰った。今日は母の日か。
なんかすごく良いプロモーションだなと思った。季節イベントを思い出させて日常にささやかなメリハリが生まれること、ついでだしと花をもらった側が自分の親などにアクションを起こすきっかけになること。
生花だし、全員にあげてたらとんでもコストになるだろうから女性客だけにプレゼントしているのだろうか。
男性や学生くらいの若い客にあげて、貰った人が親なり配偶者なり誰かにあげるという事ができたらコミュニケーションが生まれて良いなと思うけど、さすがにそこまでは見込みがなさすぎるか。突然生花をもらっても困る人、特に男性は多いだろう。

帰宅して玄関でお茶をひいていた一輪挿しにカーネーションを挿した。
父の日にもなんかあったらいいなと思う。父の日の花って黄色のバラだとかひまわりとか、ちょっと意味合いが強い花ばかりだからカロリー高くて扱いづらいので、カーネーションと同じくらいとサイズ感で、花自体の意味合いがそこまで浸透していない花だったらいいのに。
いや男性にあげる花だからしっかり意味が通っているものの方がもしかして良いのかしらん。

ムーは土日仕事で、久しぶりにだらだらと1人引きこもった1日だった。昼まで寝て、何かを食べ続け、夕方も寝て、デリバリーで夕飯を食べる。
かなり自堕落をした。
もう2年くらいは週末のほとんどをムーと一緒にいるから、1人の週末の過ごし方を忘れた。1人の時はずっとこんな自堕落をしていたんだっけ。
せっかくだからこないだ買ったゲームを始めたり本棚の整理をしたりしようと思っていたけど、ほぼ寝て終わりました。


5月13日(月)

「イシナガキクエを探しています」、(1)を観た時は昔の人探し番組を思い出して懐かしい気持ちになっていたけど、(2)はしっかりホラーになっていて油断した!!と思いながら観た。ホラーYoutuberの下りはジャンプスケアを恐れて直視できなかった。
映像ってズルいのよ、強すぎる。この不安ボールがじゃんじゃんに降り注がれるホラー、テキストで読む分にはすごく好きなんだけど、映像は音があるし画が明確すぎるし、何よりこちらの意思を待たずに進行していく。

小野不由美の「残穢」、あと梨さんの「攀縁」。この2つが不安系ホラーで特に大好き。この2つの不安もおめかしして音と映像を身に着けたらこんな感じの不安になるんだろうな、と「イシナガキクエ」の不安を浴びながら思う。
「残穢」は映画化しているけどね。怖いので映像は観られません。

わたしがホラーを楽しむのは所謂「緊張と緩和」説、怖さの緊張から開放される緩和の気持ちよさ所以だと思っている。
ただわたしが映像から得る緊張はちょっと強すぎて、緩和のタイミングで弛緩しきらず強張りが残り続けてしまうんだよな。その強張りが思考だけじゃなくて、普段の生活に侵食されていく。


5月14日(火)

左右社の「〆切本」を読んだ。
かつて、そして今なおの作家たちが〆切に追われオンオンと唸っている断片をアソートした一冊かと思いきや、まあ一番の見どころは〆切に苦しんでいるあられもない姿を見て、なんだ、文豪もただの一般人の己も〆切に苦しむのは同じなんだなあと浅はかにも共感を得るところなんだろうけど、編集者と〆切との付き合いや、〆切なんて守って当たり前な作家の所見、人生においての〆切の意味など、色んな方面からの視点が纏まっている良い一冊だった。

何より、若干の同情や哀愁のウケ狙いも感じてしまうようなテーマの一冊なのに、編者の影が一切滲んでいないのが潔かった。1ページだけまえがきはあるものの無記名、あとがき無し、奥付の編者欄は左右社編集部とあるだけ。かっこよすぎる。
こんな出典も簡素すぎずわかりやすく、奥付には「〆切本2」が半年遅れで刊行したお知らせが大きくあり、一番最後に谷崎潤一郎の『文章読本』発売遅延に就いてのお知らせを載せるなどという、オチ付きかつスベらず完璧な構成の一冊に、編者はただの1人も代表を立てず社として名乗っているところがかっこいい。
わたしなんかどうしても自我を押し出したくなってしまう人間だから、こんな良い構成にチラリとも自我を匂わせないところにプロのプライドを感じた。編者たるや、編纂たるやという気概が見える。


5月15日(水)

そういえば昨日健康診断が返ってきて、子宮がD判定の経過観察だった。小さい子宮筋腫がいくつかあるらしい。
別に肥大化しない限りは良性だし、珍しい事では無いらしいが、消滅することはないので肥大化しないことをただ祈るだけ。
最近生理痛みたいな腹痛が生理前後に発生しがちだったのは、これの影響もあるのだろうか。
歳を重ねたらこういう、肉体的な小さなエラーがちゃんと出始めるのがシステマチックな人体で面白い。きちんと体は死に向かって段階を踏んでいて、精神だけがガキのままで留まり続けていく。
こんなこと言うのはなんなんですけど、やっぱり子供がいるかいないかで大きく精神年齢の伸び代は変わってくると思う。人間ひとりを社会に存在させるには、やらなきゃいけない事考えなきゃならない事が多すぎる。自分だけを面倒を見て食わせる事のなんと些細な事か。
とはいえ、子供を産むつもりも予定もないので、精々精神をクソガキにしないよう気をつけるばかりである。


5月16日(木)

自己肯定感の低い人に、そんな事ないよあなたは十二分にやってくれているよと言っても、上司にあなたの仕事はここの領域にちゃんと届いているよと言われても、結局己が納得しないことには周りが何を言っても受け取り次第で、響かなかったら、いや響いてもちゃんと己の事だと落とし込めないと何も解決しないということ。

強がっているし普段はその感情を無視しているけど、わたしには「わかってほしい」という思いと、こう思われていたらどうしよう・こう思われていたいという思いが根幹に根を張っている。
それは社会的動物としてのただの習性なんだけど、この思い達に囚われると社会でやっていくのに己や他者にエラーを吐くようになって、社会的動物としての習性と実際の社会との間ばさみになる。
間ばさみになるのはもうシステムのエラーだろこんなの。なんで社会的動物による習性で社会性にエラーが出るんだよ。
度合いだよな。ずっと天秤をかがげながら、天秤の皿に何を乗せ何を捨てをしながら、一本道を歩いてる感じ。

会社の後輩があっぷあっぷになってしまい、社長と今後の事を相談しながら己の事も顧みる。わたしは後輩に偉そうな事を言いながら、己にもブーメランが何本も刺さっている事を感じる。
正直、入社してみてから業界なり社風なりが向いてないな、と思うのはどこでも誰でもいくらでもあると思う。
今は売り手市場だから合わなかったらサッと辞めて他を探した方が良かったりするけど、会社的には合ってないから辞めたら?とはなかなか言えるもんでも無いし、当人はまた就活の海に漂いたくないから辞めたくないと主張する。
多少業界や社風が向いてなくても振り落とされないようにしがみつくなりいなせたりできれば良いんだけど、それによって精神を著しく擦り減らすのは元も子もない。
結局は、今の焦らせる就活形態がなんかやな感じなんだよ。むやみやたらに学生達を焦らせないでよ。大学2年から就活なんてしなくていいよ。
新卒じゃなくたって辞めたっていくらでもなんとかなるのにそう考えさせない誘導が、人事をやるとありありと見せつけられて辟易する。


5月17日(金)

彩図社文芸部の「文豪たちの悪口本」を読んだ。
先日「〆切本」を読んだときは編者が我をミリとも匂わせないでかっこよすぎる!と大騒ぎしたが、これも出版社名義で編者が誰とかどうとかいうのは無かった。
たまたま編者名義の本を前に読んだことがあったから、それと比べて勝手にやあやあ言ってただけで、編纂本ってそういうもんなのかも。
あとはあれか、出版社内の人が編纂したか出版社外の人が編纂したかが関係しているのか。

直前に読んだ事によって比較が生まれてフラットな視点じゃないから悪いけど、こうしてみるとやはり「〆切本」のまとめ方は上手いなと思う。集めた数が多いのもあるが、注釈の付け方や引用一覧の見せ方、単純に文字組みがきれいで読みやすかった。と思いながら読んでいた。

ムーが寝ついたらいろいろ動画見たりなんなりをしようかなと思っていたのに、気がついたら歯も磨かないまま寝落ちていた。
スマホを見ながら、このままだと寝てしまうと抗っていた記憶はあるのにそこからスコンと、久しぶりに寝落ちて一回も起きないまま朝になってしまった。
寝落ちして起きた後って、やたらと肌がきれいになっているように見える。


5月18日(土)

寝ても寝ても眠い。眠くないのに横になっていると気絶するように何回も寝落ちしている。

今日はなんだか調子もついてない。インプラントの金額が記憶していた金額より10万くらい高くて不安スイッチが入ってしまった。
別に払えないとかでは無いけど、この金額が貯まるまでの働く時間とか、この職種にずっといるのかとか、何も気にしないで飯と趣味にお金使いたいとか、Francfrancとルルメリーがコラボした食器が欲しかったけどインプラント代があるから我慢しなきゃかとか、服買おうと思ってたけど今シーズンは増やさずにいくかとか、次から次へと不安スイッチが押されていく。
実際Francfrancを観に行ったらコラボ商品は根こそぎ品切れになっていたから、まあ買いたいけど我慢みたいな事が起きなくてよかったっちゃよかったけど。まだ発売してから3日くらいしか経ってないのに店頭もオンラインもほとんど全て品切れになっているのは何だ、悲しいな。

帰りの買い物でもあっちに行かなきゃこっちの店にしか無いんだったで同じエリアをぐるぐるしてなかなか自宅に着かず、帰ったらスプラをやろうと思っていたのに、いつの間にかまた寝ついていた。
今日はちょっと危うい日でしたね。

夜THE SECONDを観た。タモンズが一番好きだった。
ボケの声質が特徴的なのもあるけど、大きい声を出すたびどうしても大きいひよこが口を菱形にして叫んでいるみたいですごくよかった。


5月19日(日)

今日も1人で引きこもりの1日。
1人でいるとどうもご飯を食べるタイミングがめちゃくちゃになり、総合的に無駄なカロリーを大量に摂取している。何がダイエットだ、もうだめだ。

今願いを3つ叶えてやろうと言われたとしたら、まずは「富豪」。趣味も食も金額を気にせず楽しみたい。
あとは「超代謝」。何をどれだけ食べても脂質も糖質もすぐエネルギーに変換できる体になりたい。
あと1つはなんだろう。大体の事は富豪が解決してくれるから、「虫歯にも歯周病にもならない口腔環境」かな。広く見て「健康」という事だろうか。

「健康」て!と思う。何でも願いを叶えるよと言われたとして、「健康」て!つまらん回答すぎないか。
それでいったら「富豪」て!でもあるんだけど。


5月20日(月)

広瀬友紀の「ちいさい言語学者の冒険」を読んだ。
薄めの本だからなのもあるけど、サクサクに読み終えた。しかし内容があまり頭に入って来ない。
全然読みづらいとか分かりづらいとかではなくむしろ読みやすいのに、読みやすいな〜と流れに身を任せていると、ただ文字の波に揺蕩っているだけで意味が下流に流されていく。これはこれで新しい読書体験かも。
いやそうじゃなくて。

言葉が身につきはじめの幼児の、発音しづらい音とかテレコになるのとか、単純に発達が未熟だからとかだけでは無くて、脳がたくさんの情報を摂取精査してトライアンドエラーしているのかと思うと、少し怖くなる。
脳細胞って凄すぎだしなんで大体の個体はきちんとそういう一定の働きをするんだ。神様が人間を設計しているんですと言ってくれたほうがよっぽど納得してしまう。

おそらく子供の言語の特性のさわりをざっと簡単にまとめている本なので、この項目についてもっと深堀りして欲しいな……と思うところがある。そういう人のために項目ごとに巻末おすすめ言語学の文献を載せてくれていて、抜かりない所に感謝。

そもそも内容が入ってきそうで入ってこないの、わかりそうでわからないの、言語学の知識が全然無いからかも。
己の体験と実績からある程度まではわかるわかる〜なるほどね〜と読めるんだけど、ある一定を超えてからうっすらと理解が曖昧になる。
何冊か言語学の本を読んでからまたこれを読んだらめっちゃ理解が深まるのかもしれん。1冊で2度おいしいのか、検証します。いずれ。


5月21日(火)

「イシナガキクエを探しています(3)」をTverで観た。
そういえば、映像でちゃんとホラーモキュメンタリーを観たのは初めてだったのか。ほん怖やほん呪をホラーモキュメンタリーとしないのであれば。

不安ホラーなので明確なオチは置かれていないのだけど、文章で読む不安ホラーより腑に落ちる感じがあるのが発見だった。
同じストーリーをテキストで読んでたらオチをくれ〜と思っていたと思う。
最後のニュース番組が良いアクセントというか後味の味付けで、「で?」という感覚が薄まる感じがあった。
明確な答えでは無いのであのニュースを観たとて「で?」という感想は起こり得るんだけど、なんか良いおしまいだな〜と納得した。

納得とはいえ、わたしに明確な考察があるわけではない。
これに限らずわたしはいろんな明確なオチのない曖昧な作品を考察しないままなんか良かった〜と曖昧に置いていく時がある。こと映像や舞台だと尚更だ。
オチわい!とか結局なんなんだよ!と思う作品もあるから絶対そうとは言えないが……。過程が面白ければオチが曖昧でも納得しているという事かな。
過程が刺さらない上でおしまいも曖昧だと気持ちの置きどころが無くて不安になる。
ただ曖昧を曖昧のまま保持せず、他人の感想や考察をすぐ検索しまくってなるほど〜と思ったりするので、単純に感想を自分の力で言語化せずに誰かの言葉を借り続けているのが、あまりにも脳を働かせておらず自分の事ながらしょうもないなと思う。すぐに脳が衰えてしまうよこれでは。

いろいろな説があるけど、という他人の感想と考察をインストールしたあとに自分の考えを纏めるけど、「イシナガキクエを探しています」は人怖よりは心霊怖の方かなと思う。
イシナガキクエは概念だったり呪詛みたいなもので、代理人を介してそれを封印、もしくは祓っている。イシナガキクエは実体が無いから人間を介入させる必要がある。
代理人1人につきイシナガキクエ1体とかでは無いのかもな。複数体を代理人1人に入れる事ができて、米原さんは自身を代理人として何体かを入れていたけど祓う事ができなくて、祓えていないから米原さんが死んだら何体ものイシナガキクエが放出されて、それらが今稲垣さん宅にいるとかね。
乙さんは実はイシナガキクエを祓っておらず、全部稲垣家に留めていたのかもしれない。
なぜ?さあ……。

そもそもイシナガキクエが悪いものと勝手に認識しているけど実際はそんなことなくて、米原さんからイシナガキクエを遠ざけていたのかとか?
稲垣家が何か隠している事と、イシナガキクエの写真が何枚もある廃墟が誰の家だったのかがわからない。


5月22日(水)

小砂川チトの「家庭用安心鉱夫」を読んだ。装画が良い。
疾走感、ある。置いてけぼりにされず掴みかかれるようなフック、ある。
でもわからんかったな〜〜。この速さに振り落とされず乗りかかってはいるけども、よくわからんままレースが終わった。

随所メタファーのエッセンスは感じるのだけど、味わう前に走り抜かれた感じがある。もう少しひとところでうだうだやってもらっても美味しいおかずになってたと思うんだけどな。
そもそも小波の事を冒頭から全然好きになれなかったから楽しめなかったんだと思う。人の目ばかり気にするのに自分は何も見ようとしていないところとか。
それでやってやった!と言われても、あ、そ……という気持ちにしかならない。

介護の下りとかメンタルの部分とか、もっと深堀りがあれば小波の境遇と気持ちを推し量る余白ができたように思う。が、そこまで説明しないとわからない人には別にいいよと小波の方から突き放してくるような感じもある。
つまりわたしにはマッチングしなかった話というだけ。実際共感して刺さっている人はたくさんいるわけで。

川上弘美の芥川賞選評コメントがちょっと辛辣で笑った。確かに表現捏ねてるな〜という感じもあるが、それでくどくなっていないのは作者の手腕かも。
機会があったら他の作品を読んでみよう、作品が合ってないのか作家が合ってないのかわからないので。

今日は素麺初めしました。


5月23日(木)

今日は夕焼けがすごく赤かったらしい。会社と友人らと、それぞれのグループチャットに真っ赤な空の写真が貼られていく。
わたしも生で見たかったけど、仕事が山盛りでそれどころでは無かった。
散々な残業のあとの帰り道、真ん丸でおっきい月が煌々としているのを眺める。ほんとは今日、仕事をほぼ定時であがって友人らとコメダ珈琲にご飯を食べに行く予定だったんだ。
コメダのご飯、食べたい。昔にビーフシチュードリアか何かを食べたっきりで、いつの間にか空き待ち必須な混雑店となり、足が遠のくようになってしまった。
数年前とかはここまで混んでなかったよなあ?喫煙席があったときは、普通にコーヒー飲みにふらっと寄ってスッと入店できていた記憶がある。


5月24日(金)

今日もまあまあ重めな残業。でもまだ先の見える残業なので、3月あたりの擦り減り方とは違う。仕事の数だけが多い。なんとなく別案で提案したものが採用されるとうれしい。
昨日も帰りが遅くて何もできなかったし、今日は存分に夜ふかしするぞ!と意気込んでいたが、あ〜このままだと寝ちゃう〜というターンもスキップしていつの間にか寝落ちしていた。


5月25日(土)

カラッと晴れて暑いけど、空気は涼しくて気持ちいい。夏、ずっとこれがいい。湿気がないだけでこんなにも暑さへの不快指数が低い。
洗濯物を干してから、今日は銀座へ散歩。特に何か予定があるわけでもなく、あんまりこの辺りを散歩した事が無いので探索。
結果的に散歩というよりデパート行脚になったけど発見がたくさんあった。

松屋銀座と銀座三越。この2つは屋上庭園が狭くてびっくりした。
やはり銀座は区画が小さめだから、新宿池袋のデパートの屋上と比べると拍子抜けしてしまう。
デパ地下の雰囲気は三越の方が好きだった。松屋銀座のデパ地下はちょっと催事っぽい雰囲気に感じたのは何なんだろう、照明?
それと三越のノワ・ドゥ・ブールが全然混んでなくて、いや行列になってはいるけど10人くらいで、新宿伊勢丹の果てしない行列に比べると全然並ぼうと思える行列なのがうれしい発見だった!
行列に並ぶのが苦手なため、伊勢丹のノワ・ドゥ・ブールのフロア外階段まて続く行列をみていると、もうここのフィナンシェを食べられないのかもと思っていたから、本当にうれしい。

GINZA SIXにも行った。初GINZA SIXだ。広い!
松屋銀座と銀座三越を経てから行くと、ショッピングモールに来たような感覚になる。フロアの真ん中が吹き抜けなのも相まって。
銀座でこの敷地分手に入れるのに、お伺いとお願いとお金がとてもかかっているんだろうな。銀座にこんな広い施設ができたってだけで革命なのかもしれない。
屋上も広くて、外周ガラス張りでスカイツリーも東京タワーもレインボーブリッジも見える。ベンチ扱いできるところもたくさんあるし、空いてるし、銀座に来たらGINZA SIXの屋上に行くべきだ。
デパ地下もあまり見ないお店が入っていたし、アパレルフロアのリッチな雰囲気とか、デパートと聞いて想像するデパート像に一番近いのがGINZA SIXかも。

帰りに仙太郎で豆大福を買って食べた。仙太郎はこし餡が喉越しよくて美味しい。豆が黒豆だった。


5月26日(日)

やたらと気候がいいのと異様な眠気で、昨日も早々に寝落ちしてしまったし、朝早起きしたのに二度寝三度寝でいつも通りの起床時間になるし、ごはん食べたあともちょっと寝た。春眠暁すぎる。いやもう初夏だ。

最寄りターミナルまで散歩をする。
途中シャトレーゼに寄って、瀬戸内レモンフェアのロールケーキを買って公園で食べた。
レモンクリームと、紅茶生地の組合せで絶対美味いだろうと思っていたのだけど、紅茶の香りがあまりしなくて残念。ただクリームが美味しかった。
甘いものをずっと食べられないので、食べる時は茶かコーヒー必須のわたしでも、ひとつ食べ終わるのに一度もそういうブレイクを挟まずいけるくどさの無さ、スポンジのしっとりさ。美味しかった。

公園と公園を行脚して散歩やドッグランの犬たちを眺め、帰宅する。
ダボいデニムを履くときはソールの厚く無い?薄めの?スニーカーを履くんだけど、ふかふかインソールいれてもやっぱこれで散歩すると結構疲れる。もっと価格帯が高くて強いインソールを買うか、薄めかつふかふかソールの靴を探すかしなきゃなのかなあ。
靴、ファッションの中で一番興味無いカテゴリすぎる。だからおしゃれな人ほど〜みたいな認識があるのかしら。ポンプフューリー履いていれば大体OKだと思っている。


5月27日(月)

何ヶ月も前に公園で見かけた、飼い主と一緒に散歩をしていた鶏。
その鶏がもふもふで脚が羽毛に覆われてぶっとくてめっちゃかわいくて、見かけたその日の夜にネットで「鶏 足太い」とかで検索しても全然ヒットしなくて、勇気を出して飼い主さんにその場でなんて品種なのか聞けば良かった〜と思っていた鶏が、「ライトブラマ」という品種というのが今日なんとなしに観ていたYouTubeで判明した!嬉し〜〜!!!

ライトブラマ、かわいすぎる!鶏の脚に羽毛が生えてるというだけで何でこんなかわいいんだ。
脚が……!ライチョウみたいに存在感のある脚!脚が太い生き物はなぜこんなにもかわいいのか。そして恐竜すぎる。
羽毛が生えてる説の恐竜がライトブラマみたいな見た目してたら、すごく良いなあ。動物はふわふわであればあるほどかわいいのに、人間はつるつるになるばかり。諍いが減らないわけだよ。

昨日まで何も問題無かったのに、自宅のUSB電源タップが2つ、ムーのリチウムバッテリーが2つ突然うんともすんとも効かなくなってしまった。なぜ……?
うち1つの電源タップは確かに安物使っているから買って半年も経ってないのに壊れるのはまあ理解できなくもないが、こんな急に電源まわり系が一度に何個もお亡くなりになるかね?
我が家だけ電圧が変になっているのかもしれない。


5月28日(火)

今井伸の「射精道」を読んだ。このパンチあるタイトル、SNSで見かけて即ほしいものリストに突っ込んでいた。
わたしは基本的にブックカバーをかけずにそこら辺で本を読んでいるが、さすがにこれはパンチが強すぎるので家にあった紙袋を切り折りしてブックカバーを作ってかけた。

「武士道」の刀を陰茎になぞらえて、男子たるもの陰茎の正しい手入れ、正しい使い方、正しい道徳観と倫理観を常に備えよ、という本。
思春期、青年期、中高年期と世代別の話に加えて妊活や射精障害、軽く日本の性教育の歴史に触れていたり、めちゃくちゃ良い性教育の一冊だ。
筆者は泌尿器科の先生なんだけど、先生自身が若い頃どう射精と付き合っていたのか失敗談やあるある話を交えているのがフランクで良かった。


5月29日(水)

イシナガキクエ(4)出るんや!?と知ってから早く観たかったのに、残業続きでようやっと観ることができた。正直(3)で終わりでも納得ではあったので、ちらちらとアンサーをくれた(4)には感謝。

あ〜怖かった。演出が輝きすぎている。フラッシュバックのように映像と別の音声を合わせたり、終わり方も。
大筋は米原さんがイシナガキクエを蘇らせようとしたら良くない実体の無いものが出来上がっちゃって、代理人を介して祓っていたという事か。
とはいえそんな個人的な事に拝み屋さんや協力者が何人もいるのが不思議だけど、そうせざるを得ないくらい災厄になってしまったのだろうか。
過去米原さんとイシナガキクエが降霊術を嗜んでいて死んじゃった説、嗜んでいたのは2人じゃなくて複数人いて、その人らが代理人まわりの協力者だったのかな。
でも稲垣さんの含みはなんだったんだ?36人目のイシナガキクエを匿っている説なのかな〜。
この明確な答えの無さの面白さと、正確な意味と答えの知りたさの天秤がグラグラに揺れている。正直宙ぶらりんが多かった(3)を観た後より、(4)でちょっとアンサーを小出しにされた方が答えを知りたい気持ちが強くなっている。ちょっと間食挟んだらもっと空腹状態が強まった感じだ。
もっとアンサーが欲しい……いろんな人の考察を食いつないで生きるしかない。


5月30日(木)

朝からだいぶ気持ちが落ち込んでいる。昨晩ムーが飲酒して帰ってきて、まあまあ飲んだみたいで度々嘔吐していたのに食らってしまった。
別にどこを汚したとかそんな事は無いんだけど、やはり自分は若干嘔吐恐怖症の気があるのかもしれない。

自分が吐く分には問題無いんだけど、他人の嘔吐がだめだ。
気持ちが悪いだけでなく、やっぱり恐怖心がある。体が強張り、昨日はPMSも相まってなのか涙が止まらなかった。
動悸、呼吸が浅くなる。それで眠れなくなって寝不足。絶賛不調。
己のこういうところで相手の行動を如何にしようというのは気が進まないが、まあ言うべきかと仕事から帰宅後、わたしは他人の嘔吐でどうも恐怖で震えてしまうので吐くまで飲まんといてくれんかとムーに伝えた。

鈴木涼美の「ギフテッド」を読んだ。装画が良い。
ずっと曇り空な雰囲気で、生活の断片を前振りもなく預けられ、主人公の情動が激しくないのがまたリアルで良かった。
知り合いが死んでも母親が病床に臥せっても死んだ知り合いが指名していたホストと寝ても、感情の電圧計は大きく振れない感じ。
生活によって電圧計がもう死にかけてしまっているだけかもしれないし、生活のために大きく振れないようにセーブかけているのかもしれない。

わたしはラスト、母親と和解したとは思えなかった。
母娘お互いが何かしらの想いはあれど、交錯せず平行線が近づいたり遠くなったりしている感じ。それでも今際の際のシーンは少し泣きそうになった。平行線を手繰り寄せようとしている感じがして。

良かったけど、気持ちが落ち込んでいるときに読むとさらに一段階体が沈み込むような感じがする話だった。167回芥川賞候補作比較として、「家庭用安心鉱夫」より好きだった。


5月31日(金)

今日で、全てが終わる。
ずっと走ってきた案件が、今日で片付く!
順調にデータ引き渡しまで行く目処が立っていたので、すごく晴れやかな気持ちになっていた。今日仕事終わったら紀伊國屋書店行って、お酒買って飲酒しちゃおうかな!ちょっと良いおつまみ買っちゃおうかななどと昼から退勤後に思いを馳せていたのだが、データを渡したあとに修正が発生した。

修正自体はそこまでひどいものでは無いが、無いけども、本来昼に片付いていたものがズルズルと退勤時間まで引き伸ばされ、それによって今日やりたかった仕事も後ろ倒しになり残業確定で、癇癪玉が爆発しそうになったので慌てて命の母を飲んだ。ジャンキーかよ。

幸い残業も長くはならなかったけど、本来スパッと終わって解き放たれる予定がズルズルと尾を引いてしまったのがテンションに轍を残し、案件自体は片付いたけど晴れやかな気分になれなかったので紀伊國屋書店にだけ寄って帰宅した。


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