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誰のための選択肢?

Twitterのタイムラインで、気になる記事が流れてきた。
とある高校の制服についてのニュースで、今までのデザインに加えて新たにスラックスタイプが導入されたらしい。
このような話題は何度か見聞きしているので特に驚かなかったのだけど、そういえば、と母校ではしばらく前から学ランとセーラー服、そしてその両方を組み合わせたようなスラックスタイプの3パターンになっていたことを思い出し、改めて高校のホームページから制服を調べてみた。

それぞれのデザインが並んだ画像を眺めながら考える。
「どれがいい?」と聞かれたら、自分はジェンダーニュートラルなスラックスタイプではなく、学ランを選ぶな。
動きやすいし、カッコイイし、一番似合うから。
あれ、でもこれだと選択肢を使いこなせていなくないか?
「LGBTの生徒に配慮して〜」とか「生徒の個性を尊重して〜」といった目的で採用されたはずなのに、ジェンダー・マイノリティとしてその権利を享受できていないのでは?
そんな些細な疑問をきっかけに、この文章を書いている。

Club with Sの人たちに聞いてみたらどうだろう。
もし、ノンバイナリーの人たちに同じ質問をしたら、答えは全員バラバラになるはず。
回答も「これ一択!!」だけではなく、「これとこれを交互に着る」「春夏はこれで秋冬はこれ」みたいな意見が出てくるだろうし、「3パターンになってもしっくりくるものがない」という人もいると思う。
ジェンダー表現は本当に多様だ。

あれ、もしかして全員スラックスを選ぶと思っていた?
この文章を読んでいる人の中には驚く人がいるかもしれない。
社会にはまだまだたくさんのジェンダーに関する誤解がある。

何が言いたいのかというと、新たなデザインを追加するくらいじゃ全然配慮になってなくて、その環境にいる人たちがジェンダーについて正しく理解したり、その上で全員が自由に選択できるようになって初めて“尊重”になる。
いや、もちろん新たなデザインの存在はありがたいし、それによって救われる人たちも確実にいるのだけど、「ノンバイナリーの人が着るもの=中性的なデザイン」と思われてしまうなら、誤ったジェンダー(表現)の考え方を広めてしまうことになるな、と。
マイノリティのためだったはずの制度が、彼らを(マジョリティ側が理解しやすい)枠に当てはめたり、その結果、偏見を解くための負担を強いることになるのであれば、意味がない。
僕らが求めているのは選択肢ではなく、選択できる状況だ。

自分が高校生の頃、学ランを着て通学することはできなかった。
今もどこかに、スカートを履きたいのに男子用の制服を着て過ごすトランスジェンダーの生徒がいる。
「君のために新しいデザインをつくったよ。これからはジェンダーレスなスラックスの制服を着れるね」
それでは解決になっていない。
彼女が本当に着たかったのはスカートの制服なのだから。

極端なことを言えば、お互いにジェンダーを尊重し合える環境ならば、今まで通り2パターンの制服でよいのかもしれない。
誰でもいつでもどちらを選んでもいい、という条件であれば。
ただ、逆説的に、ジェンダーへの正しい認識を広めるために、新たなデザインを用いて伝えていく必要があるという。
難しいね。

高校を卒業してからもう何年も経っている。
もし、今、現役高校生だったなら。
映画ファンらしく。
想像してみよう。

シーン12
よーい、スタート!!

───

8:20
教室の窓際の席で、何かから逃れたくて外を見ている。
景色を眺めたってこんな田舎じゃつまらない。
振り返って教室を見渡すと、カラフルなカーディガンが目に入る。
もう冬だ。
彼らは寒いのか、それとも制限された高校生活の中でできる限りのオシャレを楽しみたいだけなのか。
この学校は今年度から新たにジェンダーニュートラルなデザインの制服を導入した。
おかげで今、自分はスラックスを履いている。
選択肢が増えて、息がしやすくなっただろうか。
心は軽くなっただろうか。
スカート女子3人組の賑やかな声が響いてくる。
お揃いのスタイルが仲間の印らしい。

「Rちゃん、今日はスカートじゃなくてスラックスなんだ。珍しい〜

もしかして……」
「違う違う、今、スカートをクリーニングに出してるから。だから。別にノンバイナリーってわけじゃない」
「そっか、そうだよね。ごめん(笑)」

ん、なんで謝る?
珍しいことは全てネタにしていいことになる?
ジェンダーの扱い方、雑すぎ。
“ノンバイナリー”の単語を知っているだけいいか。
雑音をかき消すように、イヤホンをつける。
朝のホームルームまでまだ時間がある。
Conan Grayの『Idle Town』を再生する。

All we do for now is sit and wait
In our idle town, in our idle town

12:40
昼休み。
周りは待ちに待っていたかのようにお弁当を広げる。
正直、授業時間の方が好きだ。
余計なことを考えなくて済むから。
なかなか共感してもらえないけど。
隣の席では今日もテニス部男子グループが集まっている。

「ずっと思ってたんだけどさ、5組のSくんってなんでジェンダーレスタイプなんだろうね。学ランのほうが動きやすいのに」
「え、だってSくん、ノンバイナリーじゃん」

Sくんのいない所で繰り広げられる会話。
わかってないなぁ。
“ノンバイナリーだから”じゃない。
“Sくんだから”だよ!!
それが、Sくんらしさだからだよ!!
本人の希望通り“くん”付けで呼んでいるのは合ってるけど!!
あー、休み時間なのに全然休んだ気にならない。
メロンパンを頬張る。
味なんてしない。
気を紛らすために英単語帳とにらめっこする。

16:50
授業が終わる。
教室から解放されても、社会の目から解放されるわけではない。
今日は部活が休みだから、まっすぐ家に帰る。
急いで帰らねば。
なぜなら、今日からNetflixで『Sex Education』の新シーズンが配信開始なのだ。
これを楽しみに学校を乗り切ったのだ。
ウキウキしながら自転車を漕ぐ。
帰り道、家の近所のスーパーでアイスを買って帰ろうかと思った。
でも、この前店員の人にミスジェンダリングされたばかりだからやめた。

17:30
帰宅。
2階へ上がろうとすると、母に呼び止められる。
「たまにはスカート履いたら? 男子だと思われるよ。
それと、今度の食事会用に可愛いブラウス買っておいたから。それ着て行ってね」
曖昧な返事をして自分の部屋へ閉じこもる。
返事はしたけど、どうしても「ありがとう」が言えなかった。

制服を着たままベッドに寝転がる。
疲れた。
先生は何も気づいていない。
新たなデザインもシスジェンダーの人たちにとって都合のいい道具にしかならず、ジェンダー・マイノリティは今も教室の隅でじっと息を殺していることを。
本当はRちゃんにこう言って欲しかった。
「違う違う、今、スカートをクリーニングに出してるから。だから。別にノンバイナリーってわけじゃない。でも、これから変わる可能性もある。もし私がノンバイナリーだったら友達やめんの?」

大人は何も知らない。
Sくんが家を出るときはスカートを履き、駅のトイレでスラックスに着替えてから登校していることを。
自分は知っている。
先月カムアウトした時に本人が教えてくれたから。

壁に貼ってある『Booksmart』のチラシと目が合う。
果てしない距離を感じる。
ため息が出る。
そして思う。

「これはいったい誰のための選択肢?」

───

はいカットー!!
うん、らしいね。自分らしい。
監督としてはもっとニヒリズムな感じを出したいけどね。抑えました(笑)
あと、一気にシーンを飛ばしすぎた。

こんな想像をしてしまうのは、自分が悲観論者だからだろうか?
ただの考えすぎなんだろうか?
それとも。

新たなデザインをつくった大人たちは、一歩進んだ多様性を実現したと満足している大人たちは、その先のことを考えているのだろうか?
生徒ひとりひとりの置かれている状況を一度でも想像しただろうか?

学校教育だけの問題ではない。
映画、ドラマ、小説、マンガといったエンターテイメント、街中に溢れている広告、日常生活で目にする様々なものに人々は影響を受けている。
そこに、スカートを履いている男性は登場するだろうか。
そこに、メンズスーツを着ている女性は登場するだろうか。
ジェンダーを判断できない、中性的なキャラクターは描かれているだろうか。

もっと多くの場で、多様なジェンダー表現に触れる機会があったなら。
自分は社会を変えることはできない。
無力だ。
でも、できることはある。

これからも自分の好きな服を着て、好きな表現をしていく。
選択の幅が広がっても不安や悩みを抱えるノンバイナリーの人たちが複雑な思いを吐き出せる場所として、Club with Sを続けていく。





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