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Stay Queer《Club with Sの日 第35回レポ》


愛の神エロスとは、あらゆる芸術的な創造に秀でた詩人だ。
──プラトン『饗宴』


深夜。
布団に入る直前。
手首にそっと香水を吹きかける。
寝室で横になり、顔の近くに手を置くと、枕元にふわっと神秘的な香りが広がる。
そのフレグランスの名前は

“Eyes Closed”

“あらゆる差異や分裂を超越する愛”がモチーフ。
ゲイの写真家・Alasdair McLellanによる同性カップルを映した作品『The Perfect Kiss』から着想を得て生み出された。
つまり、Queernessにインスパイアされ、Queernessをイメージした香りというわけだ。

部屋を暗くする。
目を閉じる。
Queernessに導かれ、深層世界へ。
共感覚で彼らと繋がる。
Top:古代と現代
Heart:親密さと脆さ
Base:意外性と複雑性
眠りにつくと同時に呼び覚まされた感情。
拡張された幻想世界の旅は、自分をどこへ連れて行く?

「Queernessを訳してください」

と言われたら、君はなんて答えるだろうか。
自分ならこう答える。

「happy-sad」

痛みなしでは幸せを語り得ぬこと。
暗闇の中にも希望を見出せること。

喜びと悲しみ、別々のものが偶然一緒に存在している、というより、それぞれがそれぞれの存在理由になっているイメージ。
セクシュアリティはいつもどこか寂しそうで、ジェンダー・アイデンティティは意図せず目立ってしまうことを恥じている。
芽生えたばかりの感情たちは、関係がはじまる前から終わりを想定していて、ぎこちない。
数の大きさを比べられることに辟易した彼らは、数字よりも言葉に親密さを抱き始め、物語を綴ろうとする。
そうして生まれた物語は長いこと語られてこなかった。
クローゼットの引き出しに厳重に保管されていたから。
たとえ一部が表に出ても、秘密の暗号のようなもので、限られた者たちにしか真意は伝わらない。
Oscar Wildeは"the love that dare not speak its name (あえてその名を呼べぬ愛)"と表現されたhomosexuality〈同性愛〉について、それは美しく素晴らしいものだと伝えた。

誰かを愛することが、誰かから憎しみを向けられる理由になる人もいる。
好きになった相手が同性だったり、恋愛感情に性的欲求が含まれなかったり、愛の形が周りとは違う、たったそれだけのことで。
愛に気付いて初めて、孤独の意味を知る。
僕らのQueernessは、愛されている?
僕らの愛は、愛されている?


2022年11月30日
Club with Sの日 第35回
Queerness特集2回目
テーマ『ノンバイナリーにとってのQueernessとは?』

本題に入る前に、ノンバイナリー関連作品の紹介タイム。
今回は最新のティーンドラマシリーズを語っていくよ。

まずは『Trinkets』
三人の女子高生:Elodie, Moe, Tabithaの物語。
Elodieは音楽好きのレズビアンのキャラクターで、演じているBrianna Hildebrandは同性愛者であることをオープンにしている。
Moeは超優秀な生徒で(特にコンピュータサイエンスに強い)、でも同時に気も強いというギャップがクール。
Tabithaは学校の人気者だけど、恋愛関係でトラブルに巻き込まれやすい。Tabitha役のQuintessa Swindellはノンバイナリーの俳優さんだ!!
12月2日公開のDCヒーロー映画『Black Adam』にもメインキャストとして出演しているよ。
簡単なプロフィール紹介だけでもなんとなく伝わったかな?
このドラマの最大の魅力は、ジェンダー規範に縛られないキャラクターの描き方なんだ。
ルックスが可愛らしくて、男子に守ってもらえるような典型的な女の子ではなく、勇敢で、賢くて、自由で、10代特有の悩みを抱えつつ、女子同士連帯しながらもがいている様子が本当にリアル。
トランスジェンダーのキャラクターが登場するわけではないのだけど、リラックスして観ることができるんだ。
彼女たちは万引き依存症のグループセラピーで出会い、同じ学校の同級生でありながら、学校生活ではなくセラピーを軸にストーリーが展開されるという設定も、新鮮で面白い。
さらに、とあるライブをきっかけにElodieと親しくなるミュージシャンのSabineがいるのだけど、彼女を演じているのはノンバイナリーのKat Cunning!!
ノンバイナリーの俳優さんが二人も登場するんだよ!!
1話30分弱でとっても観やすいし、ちょうど今の季節にぴったりのドラマ。
ぜひチェックしてみてね。

もう一つは『Heartbreak High』
オーストラリア版『Sex Education』と呼ぶべきドラマ。
性教育の授業“SLT”のために放課後集まることになった高校生たち。
Queerのキャラクター大集合!! って感じで、それだけで観ていて本当に楽しい。
全員個性的なキャラクターで、絶対一人は推しを見つけられるはず(笑)
中でも印象的だったのは、ノンバイナリーのDarren。
演じているJames Majoosもノンバイナリーだよ。
第一話からさっそくミスジェンダリングされ、正しい代名詞を叫ぶシーンが映されるのだけど、“they”の単語一つで自分はなぜだか勝手に涙が出てきてしまった。
一番の推しはアセクシャルのCa$h。
アセクシュアル当事者の葛藤や恋愛関係における困難をここまで丁寧に描いてくれる作品を初めて観た。
“自分”を感じさせてくれるシーンの連続に毎回感極まってしまうし、コメディなのか感動ドラマなのかわからなくなる(笑)
自閉症のレズビアンのキャラクター・Quinniの登場には本当に驚かされた。
全シーンでキラキラと輝いているQuinniも演じたアクティビストのChloé Haydenも最高だよ!!
ジェンダーやセクシュアリティの多様性だけではなく、人種・民族におけるレプリゼンテーションも素晴らしい。
残虐な差別描写のある回は、冒頭に注意喚起が表示される。(すごくない!?)
様々なマイノリティのコミュニティに対してとても誠実に製作された作品なんだ。
超オススメ。

さて、多様なQueerのキャラクターの登場に歓喜したところで、本題へ。
“Queerであること”は君にとって何?
いったい何をもたらしてくれる?

『Queernessとは選択の可能性だ』

本当の自分らしさは、まだ探したことのない場所に隠れているかもしれない。
例えばファッション。
服を買おうとする時、これまではメンズorレディース、どちらかのコーナーしか見てなかった。
周りから期待されるジェンダー規範に応えるために。
でも、一度、枠を取り払ってみる。
ただ自分に合うもの、着ていて心地よいものを直感で選んでみる。
すると、今まで経験したことのない“しっくりくる感覚”が手に入るかも。
その気楽さをどうか大切にしてほしい。
ずっとレディースの服を選んできたから、試しにメンズの服を着てみたけど、なんとなく違和感があって、やっぱりレディースの服が最適なのだと再確認できた。
みたいな体験もすごくいいと思う。
大事なことは、僕らは僕らが思っている以上にたくさんの選択肢と無限の可能性があり、それを試すチャンスが与えられている、ということだ。

『Queernessとは模索の過程だ』

「同性愛者だと気づいた」→終わり?
「ジェンダー・マイノリティだと分かった」→終わり?
Queerであることは完了ではない。
まだ曖昧な状態にいること、あるいは認識できたつもりでもこれから変化する可能性のあることだ。
Queernessは現在進行形で、いろんな表情を見せてくる。
その度に僕らは戸惑ったり、ハッとさせられたりする。
固定された一点ではなく、過程に近いニュアンスだ。
「まだ何者であるとも言えない」というより、「これから何にでもなれる」と前向きに捉えてみよう。
Queerとして過ごす時間が長くなればなるほど、探索を楽しめる余裕が生まれてくるはずだ。

『Queernessとは真理への挑戦だ』

幸せの形。
愛の形。
誰かから与えられた理想像にしがみついて、達成しようとずっと努力してきた。
だけど、そもそもその理想は自分にとって最もふさわしい形なのだろうか……?
こんな疑問を抱いてしまったら大変だ。
だって、幸福を達成できるかわからないどころか、幸福を見つけられるかどうかすらわからないのだから。
自分の平凡な幸せと他人の完璧な幸せ、どちらを選ぶ?
君は君自身の傑作のために周りに気に入られた秀作を台無しにすることができるだろうか?
君はgreatness〈偉大さ〉のためにgoodness〈善良さ〉を投げ捨てることができるだろうか?

『Queernessとは個性の存在証明だ』

黒 or 白
どちらかを選ばなくてはいけないのに、いつまで経っても決断することができない。
それゆえに、どこにも所属することができない。
でも、ノンバイナリーというアイデンティティに辿り着いて、虚無だと思っていた様々な事象も一つの安定した状態として捉えられるようになった。
“存在しないこと”と“違う形で存在していること”は似ているようで全く違う。
僕らは僕ら自身の色を見つけた。
君は君の居場所を見つけた。
むしろ、君こそがアイデンティティの居場所なんだ。
次に迷ったマイノリティの人は、きっとそこを見つけやすくなる。
君がただ存在することで、輝きを放っているから。

『Queernessとは不完全性への誇りだ』

未完成や未熟な状態は弱点のように見える。
だけど、それは現状に満足せず、真実を追求していこうと君が手を伸ばしている証だ。
欠けている要素があるかぎり、君は努力し、挑戦し、失敗し、輝く。

ミーティングの最中も言葉に詰まったり、表現できない感覚に出会ったりを繰り返したのだけど、なぜだか不安は感じなかった。
複雑な感情と共に向き合ってくれる人がいることに安心感すら生まれていた。
メンバーの方の聡明さと豊かな表現力には、一時停止して心に刻みたいくらい感動させられた。
正直、ミーティングの進行よりもこの美しさに浸っていたいと思ってしまったね。
賢さとは、問題解決能力で測られるものだと思い込んでいたけど、思考し続けられる能力のような気がしてきた。
実際にそうであるかどうかは別として、そうだと思わせてくれるだけの説得力がメンバーの方のお話にはあったんだ。


ジェンダー・アイデンティティでもセクシュアリティでも“欠如”の感覚が付き纏って。
孤独から逃れられない。
だから、芸術や文学や哲学に触れて探そうとする。
欠落に意味や理由を。
せめて、ユーモアを。
“無いもの”に名前を付けようとするのはちょっと変な感じだ。

ある政治家は生産性を問い詰め、ある差別主義者は種の存続について訴えてくる。
マジョリティの人たちは奇妙な目を向け、社会全体は沈黙させようと必死だ。
Queerに劣等感を抱かせるには、十分すぎるほど整った環境だ。

そんな世界においても、僕らはもがいて生き続けた。
確かに、失ったものはある。
幸せな時間、安心できる空間。
だけど、同時にたくさんのものを手にした。
“美しさ”以上に“美しさに気付ける感性”を。
“愛”以上に“愛を見つめる眼差し”を。
“言葉”以上に“言葉にならない感情”を。
それでも君は、劣っていると思うだろうか?
自分は、決して思わない。

Queernessとは

僕らにしか手にできない詩だ。


最後に、自分の詩集ノートの最初のページに書き込んであるメッセージを。

my darkness
my queerness
never let them down





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