見出し画像

57577展へ行きました(後編)

はじめまして。神乃です。
友人と57577展へ行ってきました。
前編ではワークショップのこと、後編では展示のことを書きます。

ぴーす2

57577展とは

「57577展 - 訪れてくれたあなたの足跡と共に続いてゆく物語」とは町田市民文学館ことばらんどで行われている短歌の展示会です。

ワークショップに参加しました

展示を見ました

写真OKでしたが、見とれていたので全然撮っていません。

木下龍也さんの「天才による凡人のための短歌教室」の展示で、困ったら雨を降らせろ、光れというような内容がありました。(正確に引用したいので次に行くことがあれば写真を撮っておきたいです)
最近「僕の短歌光りすぎ……?」と思っていたのですが、光っていてもよいのだと安心しました。これからも光っていこうと思います。

あきやまさんのデザイン短歌はいくつかTwitterで拝見していました。しかしあらためて見て、アイデアが面白いしそれを形にできる力があるのがすごいと思いました。
僕は短歌の文字以外での表現をいろいろ模索しています。歌会に.pngや.gifや.mp3ファイルで詠草を提出したり、立体にしたりしています。自分がやろうとしていることの1つの形をとても高いクオリティで見せつけられて、悔しい悔しい言っていました。
めちゃくちゃ良いものを作りたくなりました。やるぞやるぞやるぞ!

空間として

透明なフィルム(?)に短歌が印刷されていたり、吊るされている短歌の紙に窓のように穴があいていたりしていました。これは他の来場者や会場込みで展示が完成する、「訪れてくれたあなたの足跡と共に」要素なのではないかと考えました。

中央部に透明なフィルムに印刷された短歌が吊られている

短歌の展示方法も、平面的(壁いっぱいに短歌が印刷されている、壁に掛けられている)/立体的(吊るされている、ショウケースの中に立体物が入っている)、静的(壁やショウケース)/動的(吊るされている、モニタに映る)などさまざまなパターンがありました。

壁や四角い箱に印刷されている展示も可読性が高かったです。吊るされている展示は動いてしまって読みにくかった(あと目的の短歌が決まっているときは探しにくそう)ですが、これはじっくり見ることと偶然性(たまたま目に入ったものを読むような)を狙っているのではないかと考えました。

ただ短歌を配置するだけでなく、空間であるということに必然性を与え、活かしていることが面白かったです。

Let's try 57577

57577展には体験コーナーがありました。

5音と7音の言葉の書かれたボールを組み合わせて短歌を作ります。

言葉の書かれたボールが入ったボールプール
(思っていたよりもボールは硬く軽かった)
短歌とは流星群の夢だから世界はまるで動画配信 / 神乃

5音と7音の言葉の書かれたジェンガも積まれていました。抜き取ったら「夜明けだね」でした。(ジェンガを引いたら「夜明けだね」って出てくるの、良い)
崩すのが怖かったので2句目以降ははジェンガ以外から持ってきました。

夜明けだねあなたのことはプレゼント『愛に似たもの』『海辺のカフカ』 / 神乃

タイトルが5音と7音の本も並んでいました。本のタイトルを句として見る新しい視点を得ました。

体験として

57577のゲームをしていた時も感じましたが、視覚と触覚を用いて言葉を組み合わせるのは新鮮でした。もう忘れてしまいましたが、幼稚園であいうえおブロックを積んでいた時も同じ気持ちだったのかもしれません。

既存の言葉を組み立てていく行為は普段創作をしている時に無意識でやっていますが、それとは違う感覚がありました。普段は表現したいものを手持ちの語彙(や手段)で表現していますが、今回の体験は言葉から作りうる良い表現をしていました。

こういうことが言いたい(ピーマンの肉詰めを例に)

言葉から作ることは、慣れていない人でも良い短歌(自分が良いと思え満足できる短歌)を作る成功体験がしやすい上に短時間でできるので体験コーナーで行うには丁度良いのではないかと考えました。

また、普段の創作の時は脳内でこねくり回したり自分にしか読めないような文字のメモを書いたりするだけなので、何を考えてつくっているか他人とリアルタイムで共有することは難しいです。体験コーナーでは可視化されていることで、同行者とも一緒に楽しめて良いと思いました。

Twitterの「#57577展」というハッシュタグでは自分が57577展で作った作品を投稿しているのを見かけます。これも「訪れてくれたあなたの足跡と共に」要素なのではないかと考えました。(この場合「あなたと」でなく「あなたの足跡と」という表現なのがしっくりきます)

SNSと比較して

57577展は写真撮影が可能なのでSNS上で会場の写真をよく見かけます。また展示されている短歌には知っているものもありました。歌集に収録されている短歌もあります。公募作品はすべてTwitterに公開されています。
短歌を作品として読みたいだけなら、行かなくても何かしらの手段を用いて読むことができます。

しかし展示の場に行き自分の足で歩いて鑑賞するという体験は、自分の中に新しく「57577展」という作品を作っているような感じがしました。SNSの誰かの視線を通したもの(イベントもイベント製作者さんを通していますが)でなく自分のペースで思考しながら鑑賞する、同行者と共有するという「場」の体験はスマホをスワイプするだけでは得がたいと考えました。
(この辺りは自分の研究したいことにつながっている主張な気がするので言語化できるようにします。)

これは東京(イベントも文化資本もたくさん! 57577展も東京で開催)に簡単に行けるからできる主張かもしれません。自分が遠方に住んでいてアクセスができなかったり、情勢の関係で東京に行けなかったら「SNSで見られてバンザイ!」と言っていたと思います。SNSに写真を投稿することを推奨しているのは宣伝だけでなく、行けない人も行っているかのように楽しむという目的があるのではないかと考えました。

SNSや動画やバーチャル空間などのインターネットから得られるものと体験から得られるものの違いや関係に興味があるので良い先行研究があれば教えてください。(課題のレポートを書いている気分になってきました)

あと、単純に大きい展示を見て「でか~」と思うのは、楽しい! 僕はこれをインターネットではまだできていません。

町田市民文学館ことばらんど

町田市民文学館ことばらんどの2Fに57577展の会場である展示室とワークショップの会場の会議室などがあり、1Fは図書館のような空間とカフェがありました。近所にことばらんどがあったらいいのにと思いました。

図書館のような空間は「文学サロン」らしいです。俺、「文学サロン」にいたんだ……すご……

朝からの移動でくたくただったのと57577展で興奮していて落ち着いて見ることができませんでした。もっと落ち着いて本を見たいし空間を分析したいです。一目惚れしました。興味があります。

喫茶けやきさんでコラボメニューのホットサンドを食べました。

ホットサンド挟まっている幸せをこぼさぬように大きな口で / 『57577展』タンカフェ


短歌を理由にメニューを決めたのははじめてです。特選を入れるような気持ちでホットサンドを選びました。
美味しかったです。

ことばらんど1Fで雨やみを待っていました。我々は天気予報を見ずに東京に来ていたためふたりとも傘を持っていませんでした。やむ気配がないので、小雨の中を駆け抜けて帰りました。

「困ったら光れ」に安心した僕が小雨に降られて町田を照らす / 神乃


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?