ユン・セリが好きな理由

※この記事は、愛の不時着とユン・セリに対する思い入れが異常な人間が書いています。ただの感想です。本編と完全版・上のネタバレしかない。




わたしがこのドラマを好きな1番の理由はなんだろう、と考えてみると、それはやっぱり、描写が極めて丁寧であるが故の、人物たちの魅力だと思う。いろんな韓国ドラマを見ても、やっぱり愛の不時着はずば抜けて人物の描き方がうまい。生きて来た環境、好きなもの、嫌いなもの、性格…人物ひとりひとりにその人の人生があり、軸があり、そこからブレないから、リアリティもあるし、人間の温みも感じる。その最たる例が、ユン・セリなのだ。



ヒロインにして、私の人生で一番好きなキャラクターがユン・セリ。周りの人間がリ・ジョンヒョク及びヒョンビンさんの沼底に沈んでいったが、私はマジで、リ・ジョンヒョクと同じかそれ以上にセリに惚れた。私は財閥令嬢でも婚外子でも無ければ、まさか北朝鮮に落ちたこともない。なのに、セリの言葉に何度泣かされたか分からない。それも、ユン・セリというキャラクターが、一貫した軸を持ち、それに基づいて行動したり、選択したり、言葉を話しているからこそ、そこに生まれる説得力があるからだと思う。例えば7話、病院の廊下で、ジョンヒョクがセリに声をかけた後。

ジョンヒョク               「帰りたがってたのに、なぜ残った」     セリ「私だって帰りたかったわ… でも帰れなかったの。私も一度くらい、あなたを守ってあげたかった」

初見で見た時は、何故かわからないけどここの言葉でとても泣いた。何回か見ると、ここで泣いた理由が説明できるように思えてきた。

結論から言えば、この言葉がすごく切実だったからだ。セリは口だけで、この時の流れだけで、輸血に理由をつけているんじゃない。本当にずっとジョンヒョクを守ってあげたかった。そう確信できるから。

その裏付けとして、次の2つのシーンの話をしたい。まず、2話後半の、キムチ倉に隠れていたのを見つかったセリが、家の前で今にも保衛部に連行されそうになっているところに、729ナンバーに乗ったジョンヒョクが駆けつけて、「僕の婚約者」発言をするところ。ジョンヒョクがこちらに歩んでくるときに、セリが首を横に、控えめに振る描写がある。これが、完全版上には、

「黙っていろと言うように、あるいは自分のことは知らないふりをしろというように」

って書いてある。セリは散々、保衛部に連れて行かれたらあんたらの職務怠慢バラすよ!というスタンスでいたのに、いざ本当に保衛部に連行されそうになったら、真っ先にジョンヒョクにこういう意味で首を振った。これはジョンヒョクを守りたいが故の行動で、でも結局ジョンヒョクはそれを無視して、婚約者&11課所属という大胆で機転の利いた嘘をつき、窮地を救ってくれた。セリがジョンヒョクを守ろうとして、守られたのだ。

次は、第4話の船渡し失敗後のシーン。パラグライダーで自力の脱出を試みようとし、トランシーバーにダメ元で呼びかけるセリ。追いかけてきたジョンヒョクがオンになっているトランシーバーに気づいて、危機が迫っていることを知る。ここでセリは、

「私が下りるわ、そしたらここまでは登ってこない」

セリは自らが囮となって捕まり、ジョンヒョクには逃げてもらおうと考える。しかし保衛部には婚約者だと思われている為、そんなことはできない。結局ジョンヒョクが手をとってくれて、パラグライダーで共に逃げることになる。これも、セリがジョンヒョクを守ろうとして、守られたパターンなのだ。

セリはこのように、危機が迫る時、完璧な策は無いにしても、ジョンヒョクを守りたいという思いのもと、発言したり行動を起こそうとしたりしたことを視聴者は知っている。そしてそれがうまくいかなかったことも、もちろん知っている。これを踏まえて7話のシーンを見直すと、いろんな危機的状況で、いつも守られてばかりだったセリが、守りたかったのに守られていたセリが、やっと守る側に回れた、その思いがいっそう深く伝わってくる。

この小さな描写たちが、セリの「守りたかった」という発言に、とてつもない重さと説得力を持たせている。だからこの言葉は泣ける。決してその時出てきただけの言葉じゃない。セリがずっと思ってきたことだから。




他にも、2人が平壌に行って、平壌ホテルでコーヒーを飲む6話に、こんな会話がある。

セリ「今頃兄たちは喜んでるはず、                      "セリは死んだ"と」           ジョンヒョク               「君は性格が悪い。(※間違った考えだな)          家族の死を喜ぶ人がいるか?いくらライバルでも、ひねくれた解釈をしすぎだ。不仲だったのを、後悔してるに違いない。きっと君の帰りを待ってるはずだ」

完全版では※の訳になっている。個人的にはこちらが諭す感じでより好きなので、書いておいた。

視聴者は、後継に指名されたセリを見る全員の冷たい視線を知っている。帰ってこないようにお祈りしたり、生存できる時間をきいて残念がったり、生きている可能性を探る一介の保険屋を脅したりしていたのも、知っている。当然こんな家族の中で生きてきたセリにも、予想はついていることだろう。だからジョンヒョクの言葉は、すべてを知っている視聴者からしたら、全く真実ではなくて、セリのほうが正しいのだ。でも、セリは「何も知らないくせに!」と言い返したりは一切しない。ただ黙ってコーヒーを見つめる。完全版には、(そうかな…その言葉を信じたいが…)とか、(無性に悲しくなり)とか、(涙が込み上げ)と書いてある。

私は、勘違いをしていたと思う。1週目にこのシーンを見るまで、セリは、家族とも言えないその家族を、もうとっくの昔に諦めたものだとばかり思っていた。何の期待もないから、割り切って、そうやって強くなったとばかり思っていた。1話で、本人の前で「もうお母さんはいないのに」とまで言った。でも違った。それは5話の、いじめられているウピルを庇うシーンからもわかる。

セリ「なぜ殴られても何もしないの?死ぬ気でやり返さなきゃ」               ウピル「友達とは仲良くしなさいって」    セリ「誰が?」               ウピル「お父さんが」            セリ「立派なお父さんね。でもね、世の中はそんな美しくないわ。いじめっ子とは仲良くなれない。殴る人は反省を知らないの。殴られても痛いだけ。だから殴られそうになったら、先にパンチを食らわせなさい」             ウピル「お姉さんもそうした?」
セリ「お姉さん?…うん、そうしたわ。先に殴ったら、誰もいじめず、寄りつきもしなかった。寂しいけど、痛いよりマシでしょ」

ここのセリの言葉は、個人的に、ク・スンジュンとのお見合いの回想の時の発言と同じくらい、彼女の生きてきた背景を象徴していると思う。セリは婚外子として生まれ、家族内での疎外感や危うさの中で育ったんだろう。だから自分を陥れようとする人たちに、先にパンチを食らわせることを覚えた。

でも、彼女は決してそれを望んだわけではない。飽くまで先にパンチを食らわせるのは、「痛いよりマシ」なだけで、「寂しい」ことなのだ。できることなら、痛くも寂しくもない人生が良いに決まっている。でもそれが叶わないから、彼女は痛いより寂しいを選んで生きてきた。

彼女は、7話、撃たれたジョンヒョクが目覚めるまでの間の独白でも、こんなことを言う。

「私はこういうことに慣れてないの。私はただ、自分を愛したり憎んだり、自分を守ったり捨てたりしてきたの。私には、自分の他に誰もいなかった。だから、ぎこちないのよ。自分の他に、誰かがいるのが。                向かいあって、話を聞いてくれて、笑ってくれて、一緒に食事をして、私との約束を_契約書もないのにはたしてくれたし、私を守ってくれた。あなたは_全てやってくれたわね。私には、あなたがいてくれた」

「痛い」からセリを守ってきたのは、紛れもなくセリ自身だった。でも「寂しい」から自分を守ることはできない。誰かがいなきゃ、「寂しい」からは抜け出せない。その誰かに、リ・ジョンヒョクに、セリはやっと出会えた。家族とは叶わなかった、向かい合って、話をして、食事をして、笑うようなことを、全部ジョンヒョクがしてくれた。ジョンヒョクに出会ってから、彼女の癒えることない「寂しい」が癒えた。

ウピルへの言葉と、この病院での独白を踏まえると、あのコーヒーのシーンでの無言は、さらに深く印象に残る。

セリは、家族を諦めたことなどきっと一度も無かった。痛くも寂しくもない人生が欲しかった。でも実際には、彼女は痛くない代償に、家族すらよりつかない、寂しい人生を送っていた。そこに微かにあった期待している気持ちが、ジョンヒョクの言葉で膨らんだ。ジョンヒョクと出会って寂しさが癒えたばかりに、家族にもそれを求めたい気がした。

そして、7話、ク・スンジュンとのこのシーン。

セリ「(私の家族に)電話した?」       スンジュン「ここから韓国にはつながらなくて、外国の友人づてに連絡した」         セリ「それで?」              スンジュン「生きていてよかったと大喜びさ」 セリ「本当に?うちの両親が?(※お母さんが?お父さんが?) 」               スンジュン「家族全員だよ、お父さんやお母さんにお兄さんたちも」             セリ「嘘なのね、兄さんたちが喜ぶわけない」 スンジュン「ケンカしても家族だぞ、血は水よりも濃いと言うだろ。パラグライダーの事故で失踪したよな」                 セリ「本当に連絡したのね」         スンジュン「そうだよ」

お母さんはいないと言ったセリが、自分の生存を喜ぶ人間として最初に想像するのは、他でもないお母さんだった。

お兄さんたちも喜んでると言われて、それをウソだと見抜くけれど、スンジュンが適当なことを捲し立て、最後にパラグライダーの話を出しただけで、セリは最終的に話を信じてしまった。韓国にいた頃のセリは、スンジュンの過去も何も知らなかったにも関わらず、彼の詐欺に引っかからなかった。けれど、セリはこの時点で、ジョンヒョクの話を聞いて、平常時から持っていた家族への微量な期待を膨らませ、更に「寂しくない」を体験してしまった状態だった。だから彼女はスンジュンを信じた。


長くなったが、私がセリを好きなのは、ただ"強い女"なわけじゃないからだ。強い女は確かに、ドラマの世界において革新的存在になる。セリは、彼女のブランド名の通り、「どうしよう、どうしよう」と困るんじゃなくて、自分で選択して行動する女性だ。これは新しいヒロイン像と称されるかもしれない。

でも、私はセリがただ強い部分を描かれても、強い女は尊敬するけれども、ここまで好きにはならない。「そりゃ、財閥に生まれてりゃ〜これくらい…」とどこか冷めた気分で見てたかもしれない。世の中の大半の人間は財閥の一人娘には生まれないし、会社もあそこまで大きくできないだろうから、共感することのほうが難しいキャラクターだ。それでも私が彼女を好きで、彼女と一緒に泣いたのは、今までに述べたようなセリの言動が、彼女が強くならざるを得なかった過程と、その微妙な心情と、初めて寂しさを埋めてくれたジョンヒョクへの愛情、相手を想い守りたいという感情を_その全てを、回想シーンのような映像として映さなくても_全部感じ取ることができる。だから、私はユン・セリにどうしようもなく強い思い入れをもって、このドラマを見て、未だに抜け出せないでいる。


他にも、好きなところはたくさんある。ジョンヒョクが肩を撃たれたときでも、セリは太ももを撃たれたグァンボムに「グァンボムさん大丈夫??」と尋ねた。ジョンヒョクの手術が終わったあと、お医者さんに「ありがとうございました」と言った。(これは完全版にはなかったからアドリブかもしれない) チョルガンの取り調べで第五中隊がボコボコにされたとき、チスに「誰のせいで〜」と言われて、いつものようには言い返さず、受け入れた。あと、絶対に人を、言葉だけで判断しない。

お礼を言うのは当たり前、怪我してる人を心配するのは当たり前、実際にセリのせいでボコボコにされたんだから、黙っているのが当たり前。そうかもしれない。でも、この小さな当たり前ができているのを見ると、セリがより好きになる。もし手術後のお礼がアドリブなら、イェジンさんには頭が上がらない。セリなら絶対にお礼を言ったから。


私は1週目でも何週目でも、全く彼女の強気で高飛車な態度が気にならなかった。彼女の自殺しようとした過去も、母を海で倒れるまで待ったトラウマも、なにも知らない状態で1話を見ても、私は何故か彼女の言動が気に触ることがなかった。これは人によると思うけど、もしこれに理由があるなら、きっとイェジンさんの、ユン・セリという人物への理解が演技にあらわれているからという他ない。


もしここまで読んだ人がいるなら、ありがとうございます。私の解釈なので、一概にこうとは言えませんが、ユン・セリはジョンヒョクと同じくらい愛されて然るべきキャラクターだと信じています。そして愛の不時着は、人生で見た中で、一番素敵なドラマでした。出会えてよかった。

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