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お葬式ってなんだろう?家族葬でバッシング



日本のお葬式。

一番悲しいはずの喪主が何故こんなに忙しいんだろう?』



数年前まで流れていたCMが目にとまりました。



最近では、

『家族葬なら呼びたい人だけを呼べるんです』

みたいなCMのフレーズに変わってきています。



私の母は約18年前に乳がんで59歳で亡くなりました。

自分でもう長くない…

と感じたんでしょうね。

娘である私に、

「私が死んだら、お父さんが大変だから、家族葬でいいからね。

そして、香典返しとか大変だから、誰からも御香典をもらわないようにしてね。

もし頂いたなら、あなたから、理由を話して丁寧にお返してね。」

って口癖のように言っていました。



そうです。

ちょうどそのころ、家族葬という言葉が出てきはじめた頃でした。

まだまだ、認知度は低く、お葬式はきちんとしなければいけないって誰もが思っている感じの時でした。


とうとう、その時が来ました。

母の願い通り、家族葬にしました。

事情があって母のきょうだいは疎遠になっている人もいるし、父のきょうだいは県外が多かったのもあって、父と、私たち子供だけで執り行いました。

でもね、母が会いたかった人にはちゃんと風の便りが行っているんですよ😉



母が頼りにしていたお姉さんのところは窓からスーッと風と共に誰かが入ってきた気がしたそうです。

母のお姉さんは、妹が挨拶しにきたんだなって、すぐにわかったそうですよ。

さらに、母が心配していた妹さんはフラッと病室にやってきました。

母が息を引き取った数分後に💫



事後報告になりましたが、亡くなったことを関わりがあった方達にお知らせしたところ、多くの方がお線香をあげに来てくれました。

が、ほとんどの方が怒っていました。

「なぜ、家族葬なんかしたの?」

「こんなんじゃ、亡くなった方が浮かばれない。」



私から言い訳として、母の希望を伝えました。

御香典のことも…

「母が父のことを思っての願いなので、お気持ちだけで…」

と伝えると

「そんな願い聞いちゃっだめよ!」

と口を揃えたように罵られ、打ちのめされました。

母が亡くなった哀しみで辛い上に、そうやって母の希望を否定された辛さが更にのしかかってきます😭



そんな中、

「お母さんらしいですね。」

とお包みを鞄になおして、

「じゃ、お線香代だけ置いておくわね。」

と手を合わせ、母との思い出を沢山話してくれる人がいました。

ポッカリ空いた心の穴を埋めてくれるような気がしました。

母が亡くなって、慌ただしかった日々に穏やかな時間が流れました。

こういう人になりたい✨

そう私は思いました。



今でこそ、家族葬が増えてきていますし、また、コロナ禍という事で、そうせざるおえない状況だったのもあるのかもしれないですが、当時、17年前はこんな状況でした。

もしかしたら、今でも田舎ではこんな状況かもしれません。

田舎では、誰かが亡くなったら、地域の人がみんなでお通夜やお葬式のお手伝いしたりする暗黙のルールがある地域が多いです。

ですから、

「亡くなった方にあった事もないけど、この辺の決まり事だからお葬式に行ってきたけど、そのご家族とも面識がなくって、どうしたらいいいかわからなかった。」

という話を聞くことがあります。

しきたり全部を否定するつもりはありません。

しきたりや地域の方との繋がりも大事なのはわかります。

でも、しきたりやルールはもとをたどれば、亡くなった方を偲ぶためにできたものですよね?

偲ぶ想いがあれば、形だけにとらわれなくていいのではないのかな?

と私は思います。



最近では、家族葬が浸透しただけでなく、生前葬だったり、周りの人が願うお葬式ではなく、本人が望むお葬式のいろんな形が認められつつあります。

もっと、そういうことが当たり前な世の中になることを願います。



もしかしたら、お葬式だけではないのかもしれません。

例えば入院した時、お見舞いに礼儀として行かなくてはならない!

と言われる方がいます。

そして、退院したら、お礼をしなければならない!

そういう繋がりが大切だ!

と言われる方がいます。

確かに、人と人との繋がりはとても大切です。

でも、形式的な繋がりではなく、本当に心から繋がっていることが大切なのではないかなと思います。



それに、お見舞いに来てくれて元気が出る場合もあるし、治ったら、元気な姿をみせに伺うのはいいことかもしれません。

でも、入院している姿を見られたくない人だっていると思うんです。

しかも、退院したから完治したわけではない人だっていると思うんです。

昔からの人との関わり方のマナーも大事でしょうが、相手の気持ちを考える事も大事なことだと思います。

相手がどう思っているかは実際わからないですが、来てほしくない場合、入院していることを隠したいという人がいるということ自体が、しきたり、マナーにこだわりすぎてる人が多い現状だということだと思います。

入院してるけど、お見舞いは来なくていいですよって気軽に言える世の中になるといいなって思います。



そうなると、お見舞いに来てほしくても言えなくなる場合だってあるじゃないの!

と言われるかもしれません。

でも、それは足を運んでもらうことに申し訳なく思う気持ち…

相手を思う気持ちですから、それはそれでいいのかなって思います。

じゃぁ、相手を元気付けたくてお見舞いに行くのはいいじゃない!

ってことにもなるのかもしれませんね。

それも良いことだと思います。

つまり、私が言いたいのは、相手の気持ち、自分の気持ちを考えた上での行動ならいいのですが、決まりだから、人としてのマナーだからっていう行動はどうなのかな?

って疑問に感じているということです。



今はそういうことを考えるどころか、コロナ禍でお見舞いに行けなかった状況ですね。

行きたいけれど…

来て欲しいけど…

っていう方には大変な時期だったと思います。


いったいどっち?

文章が下手なもので、矛盾することを書いてるように感じられる方もいるかもしれませんね。

何を言いたいかと言うと、相手を思いやる気持ちがあれば、どんな形でもいいと私は思います。

もし、しきたりや決まり事を知らず、失礼なことをしてしまったとしても、相手を思いやる気持ちが伝われば、きっと相手も理解してくれるような気がします。

今はすぐにインターネットで調べて、マナーはこうらしいよ!

こういう時はこうするのが一般的らしいよ!

ってその通りにすることができます。

でも、まず、自分が相手のためにどうしてあげたいのか?

を考えて行動することはマナー違反ではないと私は思うのです。

相手を想い、受け入れること、感謝すること、認めることが大事なんだろうなぁと思います。

それが一番難しいんでしょうけどね。

どうまとめればいいのかわからなくなってきましたが…😵


例えばお通夜。

昔は知らせを聞いたので、駆けつけてきたよってことで、仕事のままの格好っだっり、そのまま私服で行ったりしていました。

でも、すぐにスマホで調べられる時代ですから、行ってみると、みーんな真っ黒な服。

そのままの格好で駆けつけた人が浮いてしまう…

なんていう状況が起こったりします😓

すると周りの人はマナーがなってないねぇ…

みたいな冷ややかな目。

そんなのっておかしくないですか?



だからといってマナーやしきたりを完全否定するつもりもありません。

意味があってできたマナーであり、しきたりですから…

でも、それだけではないということを受け入れてもらいたいなーって私個人的には思うんです。

違う人を見て、排除せず、受け入れるだけでいいんです。



最近では、家族葬は普通になりつつあります。

ですから、一昨年父が亡くなった時は家族葬をすると伝えても、誰も怒ることはありませんでした。

というかコロナ禍だったことで、そうしざるえないだけだったかもしれないのですが…

でも、ちゃーんとスマホで調べると、家族葬におけるマナーというものも出てきます。

こんなにも世の中は変わっていました。

あんなにバッシングを受けた経験も持っているので、不思議な感覚です。

みんな勝手ですよねー(笑)

まぁ、そういう愚痴は置いておいて…

コロナ禍は人々に、不安と恐怖、絶望感など、悪いことばかりに見えますが、もしかしたら、家族や身近な人との関わり方を考え直す機会という点では、コロナ禍が人間に与えた課題なのかもしれませんね。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。



こんな私ですが自分を見つめるセラピーをしています。

よかったら下記ホームページもみてくれると嬉しいです。

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公式ラインもよろしかったら💓


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一期一会🌏






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