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僕へ

あのころ僕たちは、明確に思い描く将来像なんて本当は無かったんだけど、「ああなりたくはないな」という何かを避けるために、生まれ育った小さなコミュニティを抜け出した。だけどふと振り返ると、なりたくなかったそんな奴らが自分なんかより幸せそうに生きているように思えてきて、悲観的になったりする。人生というのは、真面目に考えれば考えるほど難しくて、気ままであればあるほど、さして難しいものでは無いのかもしれない。100人いれば100通りの生き方があって100通りの考え方がある。愛ある「祈り」はいつしか「呪い」になって重くのしかかっていたり、自分のために生きていたのに、気がつくと誰かのために生きていたりする。全く矛盾する幸福感を持つ人たちが隣り合わせで生きていて、想いが渦巻く現実の中で、感情が目まぐるしく対立する。思い悩んで熟考して、導き出せたかに思えた自分らしい生き方なんてものは三年もすれば形を変えて、また巨大な壁となり立ちはだかる。分かったつもりでいた社会の生き方と自分自身の内側を、実は全く分かっていなかったんだなと気付かされ、あっという間に振り出しに戻される。悲しいかな、これに終わりはない。いつまで経っても幾つになっても、このサイクルに終わりは来ない。人生は解決しない。いくつもの分岐点で選択を迫られ、年齢に迫られ、なにより死に迫られる。あらゆるリミットと大きくなるばかりの責任が、その翼を締め付ける。選択には必ず後悔が付き纏い、逃したチャンスは過ぎ去った後で気づいたりする。人生とはそういうものらしい。みんなそうやって生きている。どこかで聞いて思い浮かべていた順風満帆な人生なんていうのはこの世界には存在しないみたいだ。輝いて見えるあの人も、成り行きの人生に理由を後付けして偉そうに語っていたりする。

だから、ずっと悩めばいい。希望も野望も捨てないで、あなただけの正解を探せばいい。探しても探しても見当たらない時、そんな時は大抵、答えはすでに自分自身の中にある。今をまっすぐに生きるあなたなら、本当のチャンスが巡ってきた時、体が勝手に動くだろう。人が驚くような挑戦もいいだろうし、何かを護って生きることも尊い。最後に聞いてほしいことは、「主人公はあなただけ」ということと、こんな僕を含めて「誰の言うことも聞くなよ」ということだ。

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