あれから12年も、この先12年も。
今日という日は
まず今日は、12歳からの付き合いの友だちの誕生日。おめでとう。いつも刺激になります。尊敬してます。
そして、東日本大震災から12年。
もう12年
あの時は海の近くの事務所にいて、そろそろ15時からの短い休憩になる頃だと同僚と話していた。揺れが起きて落ち着くまで待って他部署の人と話して外に避難することにした。
3月でもまだ寒い日でずっと外にいるわけにも行かないので建物の中へ。テレビやネットで段々状況を把握するとどうやら交通機関が止まっている。帰れる人は早めに帰る、帰れない人はこのまま泊まるということになった。自分は幸いにも近かったので帰ることにした。
帰りにスーパーやコンビニに寄って食料を確保しようとしたけど、ほとんど売ってない。売り場にポツリとあったホットケーキミックスを買って帰る。
パートナーは歩いて帰るとのことだった。電車を使えば30分程度の距離なのに、何時間もかけて帰ってきた。
Twitterで情報を収集しながら、帰れなくて近所にいるという友達と連絡を取ってうちに呼んだ。就職活動中でたまたま東京に来ていたフォロワーが一人でいるというフォロワー(ややこしい)の連絡を受けてその彼もうちに来た。なんやらかんやらで数人が来た。自分たちも二人だけより良かったと思っている。
そして、今年2023年。12年経って、もっと大々的にテレビで特集するかと思ったらそうでもなかった。特番はあったけど、ゴールデンタイムはNHKだけ。民放はWBCやら土曜日のバラエティやら。そんなものなのか。これは良い意味で時間が経ったからとは思えない。
まだ12年
年をとって時間が立つのが早く感じるようになった。肌感では毎年10%以上ずつ短くなっている。だからもう12年とは思うけど、気持ちはまだ12年だ。
12年経って被災地はある程度(見た目的な)復興しているのかもしれない。でも、体験談をきくとまだまだだと思う。家族を亡くされた方のメンタルはあの日のままだという人も多く、厳しい映像は見られないという人もいる。
2012年の頭に自分は友人を自死で亡くした。その友人の実家は震災地だった。震災が直接的な原因ではないかもしれないけど、要因の一つだったのではないかと思う。
同じ年の頭に父の癌が見つかり、その夏には亡くなってしまった。定年退職してまだ数年だったのに。これから楽しむこともあっただろうに。
そして、自分もメンタルを崩した。そこから数年で転がり落ちていった。
2011年はその始まりの年だったと思っている。今まで色々無理をして、普通の振りをして生きていた。自分の力ではどうしようもない巨大な力で予想もしたことないことが起きた。そこに友人と父の死。踏ん張る力が入らなくなってしまった。
それから今の状態まで這い上がってくるまで10年近くかかった。底をついた頃に比べれば「まぁいいか」と思えるようにはなった。当時のような生きづらさはある程度は減った。が、12年経った今もまだ回復を続けているというのが本当の気持ちだ。
これから12年
使い古された言葉かもしれないけれど、伝えていくことだと思う。伝えていくということは、いろいろな方法がある。子供に当時のことを話すのも、テレビで特集を組むことも、こうやって文章として書くこともそうだ。せめて毎年この日には、話題にできたらいいと思う。
1995年の阪神大震災は、大学受験真っ只中で他のことを考えている余裕がなかった(それも絶対おかしい)。大学に入って初めてできた友達が関西出身で、「浪人しようか迷ったけど入学した。今年受験できなかった人の分も頑張る」なんて話していた。親身になって聞いていたし理解しようとしたけど、正直実感はなかった。自分が被災者になって2011年にやっとわかった。
12年後は還暦間近。この12年の時の流れのはやさを考えると、きっとあっという間なんだろう。この12年の自分の成長しなさっぷりを考えると、きっとそんなもんなんだろう。大人って永遠になれないのかもしれないとすら思える。とはいえ、時間は流れていく。
今よりも復興が進みますように、今よりもしっかり考えて伝えることができますように。
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