CLOSER創刊宣言◇2014年9月3日

◇本原稿は2014年に雑誌「CLOSER」の創刊計画の時に書いた原稿です。とりあえずnoteを活用したWebマガジンの新しい形態を追求しますが、将来的には紙の雑誌もやりたいと思っています。

CLOSER宣言●津田 真(CLOSER 編集長)

 CDが売れない、と言われ出して久しい。しかし新しい音楽は、日々生まれている。

 フェスは儲かっているとか、ライブハウスは増えているとか、これからは配信だよとか、様々な言説が飛び交う。背景には先の見えない不況があり、商業音楽の可能性に対する不安がある。

《やっぱりナマが最高なんだよ、だから客が集まるんだよ》という言葉と、《いながらにして手軽に1曲ずつ安く買えるのがいいんだよ》という言葉は、真っ向から矛盾するものだが、あまりそこには触れられない。そしてビジネスとして音楽を捉えるひとは、システムについて頭を悩まし、どうやったらおいしい話に一枚噛めるのか、と考えているように見える。そこでは肝心の音楽そのものは、ないがしろにされている。

 いち音楽ファンという立場で音楽に触れられないのなら意味はない。別にビジネスは仮想敵ではないが、ビジネスに取り込まれて批評的な視点を失ってしまっては、文化は腐る。

 新しいメディアを立ち上げることになった。名前は『CLOSER』。

 試行錯誤のなかでのスタートである。スタッフや書き手は広く募集していきたい。

 早川義夫の「音楽がめざすものは音楽ではない」という言葉のもじりなのだが、「音楽雑誌がめざすものは、音楽雑誌ではない」という感覚がある。これは橘川幸夫氏との会話から思ったことで、文化/コンテンツを広い視野で考えた場合、雑誌という形/スタイルは結果でしかない、というような意味だ。必要に迫られて作ってみたら、雑誌だった、というような。

 本音で語りたい。本質を語りたい。

 真に聴く価値のある音楽を、もっと近くに。『CLOSER』は、すぐれた才能に迫るメディアでありたい。まずは、新しい才能や、まだ無名の才能を、きちんと位置づけ、紹介していけたらと思う。

 何故、スタッフや書き手といった態勢が整うのを待たずに、試行錯誤だと前置きしつつ、始めてしまうのか。その理由は最初に書いた。新しい音楽は、日々生まれているからだ。

●津田 真(CLOSER 編集長)

「CLOSER」創刊に向けて●橘川幸夫

1.

◇学生の時、ロッキングオンの創刊に参加したのは、欧米のロックミュージックの盛り上がりに時代の大きな流れを感じて、その流れに参加したかったからだ。単に良いリスナーとなることだけではなくて、自分も、その大きな流れを創りだす一員として存在するべきだと思った。僕は音楽的才能がなかったから、誰にでも出来る文章を書くことによって、流れに意志を投げかけたかった。

◇その時代は、まだインターネットがなかったから、印刷物の雑誌を出すことによって、意識の上ではミュージシャンとつながり、雑誌を売ることによって同時代を生きるロックファンたちとつながった。

◇1977年ぐらいに、セックス・ピストルズが出てきて、それまでハードロックとかプログレとか聞いてきた自分には最初、なんだかよく解らなかった。音楽としてはのめりこみはしなかったが、ただ、それまでのロックの役割が一度終わるんだというメッセージは届いた。僕は、ロックというものを音楽という枠に閉じ込めるのではなく、生活全般で新しいムーブメントを起こすべきだと思った。「豆腐屋は豆腐を作ることによってロックが出来るはずだ。駅員は切符を切ることによってロックが出来るはずだ」というようなことを当時、書いた。また「パンクとは、自分の目の前の客だけにメッセージを送る地域コミュニティ運動だ」というようなことも書いた。

◇僕は音楽としてのロックにこだわるロッキングオンとは微妙にズレて行き、80年になった頃に辞めることにした。僕が10代の時にロックから感じたものを追求するのは、ロックという業界にこだわるべきではないと思ったからだ。その後、実際に何が出来たかというとたいしたことはしていないのかも知れない。音楽も自分から積極的に探すことはなくなり、周辺に良質なロックファンが何人かいたから、彼らが勧める音楽を聞いて来た。

◇僕にとって、ロックとは、他者に対するコミュニケーション衝動であり、それは本来、生活の中にあるべきコミュニケーションが、さまざまな制度や習慣によって不全となっていく社会の問題と関係してくる。ロックの詩にはよく「lie(嘘)」という言葉が出てくる。「Liar(嘘つき)」とか。それは、現実の人間関係や社会構造の中でのコミュニケーションが、上っ面の嘘のものであり、オレたちはそういうものを突破して、本物のコミュニケーションを求めているのだ、ということだろう。

2.

◇パソコン通信が登場し、インターネットが登場して、世界中の人たちとのコミュニケーションのインフラが整うにつれ、そこに流れるべきは、嘘のコミュニケーションではなく、リアルなコミュニケーションであるべきだと思い、その追求だけをやってきたつもりだ。

◇僕の人生にとって、インターネットの登場は、10代の時にロックと出会ったと同じくらいの衝撃であった。インターネットがなかった時代と、これからインターネットが完全普及する時代とは、生活も仕事も生き方もすべてが変わるはずだと思う。それは日を追うごとに確信に近づく。

◇インターネットがなかった時代は、人と人とはバラバラに存在していた。だから、多くの人に何かを伝えたい場合には放送局が必要だった。出版社もレコード会社も、一つの才能を大勢の人に知らしめるための放送局だった。大勢の人たちに聞いてもらうには、斬新性と完成度のある作品が必要であった。また、出来たことを告知するための、大規模な広告宣伝が不可避であった。しかし、やがて手段は目的化し、閉鎖的な業界が生まれる。そのことを僕は否定しない。閉鎖的になることにより、より厳しい選択が生まれ、出版文化も音楽文化も、その厳しさの中で発展したことを否定出来ないからである。

◇しかし、僕たちは、そうした業界的な放送局制度とは別なところに、インターネットという新大陸を発見した。この大地においては、すでに最初から個人と個人は「つながっている」。あとは、つながっていることを、さまざまな形で確認していくだけだ。もったいぶった作品に昇華しなくても、大規模なプロモーションをかけなくても、コミュニケーション衝動に忠実に表現していけば、伝わるべきことは伝わる。そのことを信じられるか信じられないかで、インターネットの意味が根本的に変わるだろう。インターネットはまだ未成熟で、スタートラインについたばかりだが、これから起きることは、旧来の業界的発想では、理解し得ないことばかりになるだろう。

3.

◇たまたま、0.8秒と衝撃。の「POSTMAN JOHN」のデモを聞いた時に、自分の中で眠っていたものをたたき起こされた。それは、10代の時に出会ったジミヘンやジャニスやGFRなどのストレートな情熱と、20代の時に出会ったELPやキングクリムゾンやボウイたちの屈折した情熱とが混ざり合ったような感覚だった。それは、何か、新しい時代の幕開けを合図するような音だった。

◇その音楽を聞くことによって、津田真と出会った。津田くんが良質なライブレポートをブログにあげていて、それを僕が検索で見つけて、連絡をとった。津田くんのことを何も知らなかったが、最初に会った時に「一緒にロッキングオンやらないか」(笑)と声かけた。半分冗談で半分本気だった。彼は良質なロックファンだということは分かった。インターネットという新世界において、再び、ロックファンによるロックファンのためのロック雑誌をやりたかった。

◇0.8秒と衝撃。のライブに行くと、知らない若い人たちから声かけられることも多くなった。まあ、変な年寄りが混ざれば目立つこともあるだろうが、確実に、あのバンドがメディア化していることを示している。

◇才能というのは単独では登場し得ない。まして、時代的感覚と矛盾を一気に引き受けたような表現である限り、一つの才能は無数の別の表現者と魂の連鎖を起こしているはずである。そうした新しい音楽を見つけて、リンクしていきたい。インディーズというのは、メジャーが偉くてその予備軍みたいな感じで違和感がある。契約してようがしてまいが、新しい世界を求めて本気な奴らとだけつながっていきたい。

◇インターネット以後の世界においては、ファンという立場も変わっていくだろう。古い世界の構造であれば、ファンは単にレコード会社のお客さんであり、そうしたビジネスモデルの一翼を担うものでしかない。しかし、新大陸でのファンは、自分の眼と情報センスでミュージシャンを発見し、存在意義を示し、告知し、支えていく存在となるだろう。つまり、旧大陸でのレコード会社の立場を個人で担う人たちのネットワークになるのだと思う。

◇まだ新しい動きははじまったばかりで、その見えない動きを察知出来る人が大勢いるとは思えない。しかし、その見えないものを信じてシャウトすることがロックというものである。

◇1976年にデビッド・ボウイは「Station to Station」というアルバムを発表した。「私という駅からあなたという駅へ」ということだろう。それは単なるラブソングとは思えなかった。一人一人が自分という駅を確立した上で、あなたとリンクし、列車を走らせたいという意味に思えた。今でいう「P2P」である。ボウイは「Stay」と歌った。あなたはあなたという場所に留まることによって、僕とつながることが出来る。この時に僕が感じたことは、僕の人生を決定づけた。

◇単なるお祭り騒ぎも野合も望まない。自らの場所を確立しようとする人とだけつながりたい。「オープン、リンク、シェア」がインターネットの憲法である。「閉鎖、拒絶、独占」の古い社会の原則は無視して、新しい動きを生成していきたい。CLOSERを開始します。



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