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書く。書こう。

書くことは瞑想に近いのではないだろうか。
ウチにあるものを外に出して、自分を空にする。
空にしていくと、自分と外界の境目は、満たされているか満たされていないかになる。
そこで、改めて近くにある無意味なもの、音とか気温とか匂いとかを入れてみると、全体に自分が溶けていく。
そのような行為に書くことは似ている。
書くと、心に留めていたつっかえようなものが取れて、もうそのことについて考えなくて良くなる。気がする。
そうすると、心の中がすっきり爽快になって、ぼーっと出来る。なんというか、ここに書いたのだからもう安心という気分になる。
周囲のものがよく見えるようになり、全体に溶けていくのだ。
全体に溶けてしまった方がいい。
いろいろなものから解放された気分になる。
だから書いた方がいい。

書かない人は、文章が下手とか、書くことがないとかいう。
僕だって文章は下手だし、書く義務なんてない。
でも、とりあえず、書いてみようじゃないか。
誰にも読まれなくていい。まず書く。

まず書くという行為をすると、自分の心の中、言い換えると心の臓物と向き合うことになる。言葉は心の内臓なのだ。
内臓をみると、自分を知るきっかけになる。なるほど、自分はこんな形をしていたのかと。瞑想の手前の段階だ。
不思議な言い方だが、自分を俯瞰してみているような感じ。
次々ととめどなく出てくる思考に身を任せて、どんどん吐き出す。
そしてそれを俯瞰してみる。

自分を大切にせず、吐き出してみよう。

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