お金をばらまく婆さんの話

もう亡くなったが親戚にある婆さんがいた。

婆さんは、ナントカ宗の総本山近くに住んでいるとかで、毎日お参りを欠かさなかったそうだ。

近いと言っても、お参りするためには、それなりの距離を歩き、きつい階段を登らなければならない。

婆さんは、雨の日も登った。

婆さんには変わった一面があった。

登る時、近くにいる人にお金をあげる事だった。

「お参り感心だねぇ。これお賽銭にして。」

と言って、幾らかのお金をあげるのだという。

もらった人は親切になって、婆さんと世間話をしながらお参りをすることになる。

そんな事をずっと続けていたから、常連の人たちには大変人気があったそうだ。

婆さんもよくそれを自慢にしていた。

幼かった僕はその話を聞いて、疑問があった。

婆さんは、どのくらい金持ちなんだろう。と。

婆さんは金持ちの娘だったそうだ。結婚した相手も由緒ある家系の人で、若い頃、お金に困った事はなかったのだという。

そうそう、婆さんの名前はユキちゃんだ。ユキちゃんって親しまれてたっけ。

若い頃のユキちゃんの話はとても派手なものだった。

大相撲の升席によく言ったのだとか、銀座で買い物すると抱えきれないくらい買っちゃうから、運転手さんに付き合ってもらうのだとか、どこそこホテルで食事するのが楽しいのだとか。

結婚して子供も生まれて、順風満帆だったと聞いた。

孫が生まれて、顔を見るのが楽しいという時に、息子夫婦は東京に移住した。

ほどなくして、旦那さんも亡くなってしまった。

それからユキちゃんは、躁鬱病になった。

息子夫婦が帰省した時は、ハイテンションになり。

帰った後、一人になると鬱になるようになった。

一人でいるのが不安になったユキちゃんは、お参りをするようになった。

きっと、お参りする人は自分と同じような気持ちなのかもしれない

そう思ったユキちゃんは、話しかけるきっかけ作りにお賽銭代をあげるようになった。

5円や10円ではない。1,000円札や時には5,000円札をあげることもあったそうだ。

するとみんな喜んでくれるので、帰りにはお土産と言って、また何かしら買い与えたりした。

そのうち、物をねだられるようになり、出費が多くなっていく。

みんなが喜ぶ顔がユキちゃんの救いだったから、お金が減る事は怖くてもやめられなかった。

もし、お金をあげなかったら、みんなががっかりしてしまう。そうすると自分はダメになってしまう。

ユキちゃんは自分に使うよりも、人にあげる方にお金を使った。

ユキちゃんは貧しくなったが、もらう人は事情もわからないまま喜んだ。

でも、ユキちゃんが人々に触れるのは、お参りの時だけだ。

家に帰ると一人だった。一人で黙って暗い部屋でじっと明日が来るのを待つのだと言っていた。

「何もしなければお金を使わないからねぇ」

そう言って、幼い僕に高級なお菓子を買ってくれた。

ユキちゃんと僕が最後に会った時、僕はもう成人していて、東京の祖母の家だったと思う。

ユキちゃんは、やせ細っていたが、とても明るくこのような話を聞かせてくれた。

ユキちゃんは、家族に見守られて亡くなったという。お参りを欠かさなかったナントカ宗のお寺に埋葬されたそうだ。総本山かどうかは忘れたがそうであって欲しいと思う。


なぜかユキちゃんのことをふと思い出したので、忘れないようにここに描いてみた。

この話から何か感じることがあるような気がして、ユキちゃんは幸せだったと思いたくて、思い出しながら書いた。ちょっと実際とは違っていると思うけど、実際がもっといい話だったらいいな。

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