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努力は相対、成果は絶対。という価値の話

努力に価値はあるのだろうか。
成果を出さないと価値に至らないのではないか。

努力は相対的なもので、人によって努力の出来高が変わっていく。成長も似たようなものなのかもしれないな。

成果は絶対的なもので、誰がみてもわかりやすい。きっとだから価値があると思いやすい。

だからといって、努力を軽視していいのだろうか。
相対的だからといって測らなくてもいいのだろうか。

学校で勉強してこなかった人間の現在価値を0としてよう。
めちゃくちゃ勉強した人間の価値を100としよう。

0が1になること100が101になることは同じ1だが、1と101の結果は違う。

1と101の結果を見て、価値を見做しがちだが、1は語られない。

めちゃくちゃ勉強してきた人は、1を小学生の頃に達成した。
してこなかった人は大人になってから1に達成した。

100や90や80がいる世界でたった1は相対的にも価値が低い。
みんなが0のとき、1は相対的に価値が高い。

やはり相対的にも努力の価値は、大人になると低そうだ。
大人になったら、みんなが0で自分だけ1以上の分野で戦う方が認められやすいと言うことでもある。

勉強の世界では1だが、スポーツの世界では100の人もいる。
好きなこと、得意なことと、自分の内面で考えるのではなく、たとえ嫌いで苦手でも、相対的に価値が高い分野を見つけた方が、評価されやすいのだと気づいた。

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