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目に見えないけど、ここにはないけど・・「応援してくれるもの」

ちょっと元気になろ!

前回、コロナの話を投稿し、自分でも重く暗くなってしまいました。反動で、あたたかい内容を書きたくなりました。

自分をほんわかっとあたたかくさせてくれるものはいくつかありますが、私の基本のテーマ「食」にまつわることで思い出すのは、祖母と祖父です。祖母は、口数少なく、でも、とってもやさしい人でした。怒られた記憶はなく、いつも黙って私を見ていてくれていたように思います。相反して、祖父はとーっても怖い人でした。口数少ないのは祖母と同じ。でも、祖父が口を開くときは、私を叱るとき。そんでもって、言葉の前にゲンコツがとんできた。そんな祖父母との「食」の思い出です。

ーうなぎの丸干しー 祖母との思い出 

今、うなぎの丸干しなんてないみたいですね。でも、母や古くからある小さなお店のおばあちゃんに聞くと、昔(約50年ほど前)は、うなぎの丸干しが店に吊ってあったと言っていました。やつめうなぎかなぁ、、とお店の人が言っていらっしゃいました。

うなぎ一本そのままの干物、細くて長くて、結構カチカチに乾燥していたように思います。祖母が、そのうなぎの丸干しを小さく切って焼いて、毎日私に食べさせてくれていました。
妹もいたけど食べているのは私だけ。家族の中で、私だけが、食事と食事の合間に食べていました。不思議だったので、「なぜ?」と聞くと「うなぎは目にいいから」と祖母が言いました。私は、目が弱く小さい頃から近視でした。

大きくなってから、家庭科で、うなぎは栄養価が高く特にビタミンAが豊富で、目によく視覚障害の予防になると知りました。ちょっとでも私の目がなんとかならないかという祖母の思いから、私にうなぎを食べさせていたんですね。

本当に一口、1cm程度に切って焼いて、私の手の平にちょこんと乗せてくれた祖母。「はい、食べられ(食べなさい)。」硬いけど、噛んでいくと油が染み出て咀嚼されていった。肝の味なのかほろ苦かった。祖母の思いも当時はあまり分からず、それこそ薬を飲むように焼きウナギを食べていたなぁ。

結局、近視は治らなかったけどね・・・・。

ありがとう、おばあちゃん。
食べ物と健康のつながりについて、初めて意識した出来事だったように思います。

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ー薪ストーブで焼いたトーストー 祖父との思い出

プリンみたいにお友達の家の素敵な「おやつ」ではないけれど、私にも心にあったかく残っている「おやつ」らしきものがあります。
小さい頃、薪ストーブがありました。煙がモクモク煙突から出ていく懐かしいストーブ。薪ストーブの番は、祖父。先にも書きましたが、祖父は、とっても厳しい人で、すぐに怒りゲンコツがよくとんできました。その度に「うわーん。びえーん」とよく泣いていたっけ。


でも、思い出す。寒い冬。なぜか、あったかい思い出は冬に多い・・・。

祖父が薪ストーブで食パンを焼いて、私に「ほれ、智子、食べ。(食べなさい)」とよくくれたっけ。当時パンはハイカラな感じでした。(昭和40年代)。そして、薪ストーブで焼いたパンは、本当にこんがりと全面香ばしく焼けるのでした。
香ばしく焼けたパンを、何も付けずそのままカリカリショリショリと音をたて食べました。噛むたびに素朴な小麦粉の味が口の中にひろがります。忘れられない味です。今、オーブントースターでパンを焼いても、あの感触、あの味にはならないです。

いつもは怖い祖父も、パンを焼いて私にくれるときの顔は目が笑っていて優しかったなあ。

おじいちゃん、ありがとう。

私を育んでくれた人・こと

自分を育んでくれた人や出来事は、目に見えないけど、ここにはないけど、自分を応援してくれているようで、ちょっと元気になります。


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