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ぶれるもの ぶれないもの


最近、家の中にもホッとする部分がほしくて、コップなどに花をちょこんとさして飾っている。ちょこんとさす花なので、ちゃんとした花瓶に生けたときに使った花の脇から出ていたヒョロンとした花の枝を使う。ごめんなさい、で捨てちゃうこともある部分ですが、最近は、何とかして余りのような枝の命を絶たずに生かそうと、いろいろな器に差しまくっている。

で、ある日、台所に飾った花をふと見ると、ぐにょーッと曲がって下を向いていた花が顔を上げているではないか。花は光が差す窓を向いている。洗面所の窓辺に飾ったアジサイも、こんなにひねくれちゃうかねぇ、って思うくらい茎がぐにょぐにょして下をむいていたのにピーンとまっすぐになっている。枝先の花は、「フン」って感じで外に顔を向けている。「私の向くところはこっち!」「光、みーつけた!」「いっぱい光を浴びるぞー」って言っているよう。

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わー、なんてステキ、すごいんだなぁ、そして、うらやましい・・と思った。自分の進むべき方向を迷わず見つけ向いていることに。

ずっと前に、弓道について取り上げているテレビ番組があって、同じように感じたことがあった。日本の文化的なスポーツである弓道をずっと続けている外国の方の言葉が忘れらない。

「的は動かない。揺れるのはいつも人の心です。」

そうだね、揺れるのはいつも私の心だ。


コロナ禍で様々な課題が表面化している。政府は、私たちは揺れている。

的がずれているのか、的自体見えなくなっているのか、的を目指す心がずれているのか。

花はすてきだ。向くべき的に、迷うことなく向いている

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