やっぱり1年の振り返りと抱負は書かないとだめっぽいぜニューイヤー!(2022年振り返り版)
あけましておめでとうございますのつもりが寒中お見舞い申し上げますの時期になっておりました。ありぱんこと高尾有沙です。
このnoteは「やっぱり1年の振り返りと抱負は書かないとだめっぽいぜニューイヤー!(2022〜2023年版)」の2022年振り返り編です。
もし「こいつの2022年が気になるぜ」という方がいたら(誰)、一緒に振り返ってもらえると嬉しいです。知人・友人は読んだら懐かしい気持ちになるかも。他の人も、2022年の空気感を思い出すきっかけになれば。
# 2022年はどんな1年にしたかったのか
過去の私の日記などから掘り出してきた、私の2022年の理想はこちら。(Twitterとかにはちょこちょこ書いてたっぽいんだけど、やっぱりnoteとかにまとめないとだめね…)
# 実際、どんな1年だったか
上記の目標を冷静に振り返ると「かなり他者視点で自己犠牲的な姿勢だったんだな」という感想を持ちました。1年経つとほぼ別の人に生まれ変わっているようなものですもんね、今年を振り返ると、そういう他者貢献的な感じは残りつつも、それだけでは終わらなかった1年だったようにも感じます。
一大イベントだった結婚式とその準備の記憶がほとんどを占める1年でしたが、思い返せば仕事にせよプライベートにせよ、色々なことにチャレンジした1年でした。また、それを通じ、「身の丈を知った」1年だったし「自分に過度に期待しなくなった」1年でもあった気がします。
自分だけでは出来ない・やらないほうが良いことも分かり、他人を頼ることに迷いがなくなってきたのは大きな変化でした。というのも、前から「共同体感覚」のようなものはありましたが、そのためには「強くなる」ことが前提だと思っていました。
しかし、人それぞれに「強い面」は(「弱い面」も)予め備わっていて、
というほうがずっと大事だと思うようになりました。そう思うようになってからは、新しい領域に一歩を踏み出すことにそこまで迷いがなくなったようにも感じます。
# 2022年、何があった?
記憶と記録を掘り起こしてみました。ここは大体の人が興味がないと思うので、よっぽど暇でない限り読み飛ばしてください。
・1月:とにかく移動!の1ヶ月
・2月:「初めて」の多い1ヶ月
・3月:コミュニティエンジョイな1ヶ月
・4月:家も外も充実の1ヶ月
・5月:反動でスローダウン。自分と向き合う1ヶ月
・6月:仲を深める1ヶ月、そして結婚式の足音…?
・7月:結婚式の準備のつもりが…
・8月:お誕生日!そろそろ逃げられない結婚式準備…のはずが
9月:観念して結婚式準備の日々…
・10月:ALL FOR 結婚式 〜そして成仏へ〜
(結婚式のことは結婚式noteに書こう…)
・11月:抜け殻状態、とりあえずやれていなかったことをやる
・12月:登壇機会多し+美しいほどのリバウンドへ
という感じで、振り返ると色々なことが(ここに書き漏れていることも含めきっと色々と…)あった1年でした。結婚式の記憶が強すぎて他のことをあまり覚えていなかったのですが、自分なりに仕事や人間関係、家庭に対して「より良い状態」を考えていき、そして考えるだけではなく、実際に行動した1年だったのかなと思います。
# 2022年を1文字で表すと?
今年は迷わず「好」という文字を選びました。
去年くらいから力を入れていた「推し活」を通じて(いわゆる「認知」していただけたりして)周りを気にせず、素直に「好き」と伝えることに抵抗がなくなった(①)り、
結婚式を通じて、「大好きな人だけがそこにいる空間」に初めて身を置くことができたり(②)、
結婚式を支えてくれたプランナーの方が、幸いにも本当に素敵な方で、初めて「この人は憧れる」という感情を持てた(③)り、
いろいろな文章をSNSやブログなどで読むなかで「こういう文章が好き」というのを言語化できた(④)したからです。
それらを通じて、「好き」とか「憧れ」と思う対象がたくさんできたことが、2022年一番の収穫なんじゃないかと思い、この文字を選びました。
# 2022年のハイライトは?
客観的な事実は前の段で洗い出したので、2022年のハイライトを書いてみようと思います。
まずは結婚式に関連するお話。
■結婚式の大変さを知った
特に、結婚式が3ヶ月前に迫ってきてからは、本業が終わってからの数時間は毎日準備の時間に当てていたように思います。200ページにもわたる超大作な冊子を作り、たくさんの人の協力を得たのですが、入稿前は徹夜することも…お互いの職場がデスマーチな感じではなかったことから、このような無茶もできましたが、世の人はどのように働きながら準備をしているのだろう?と半泣き状態でした。期間限定で締め切りがあったからこそ成立したものの、プランナーさんは大変だ…と改めて尊敬の念を禁じえません。
■結婚式を通じて「変わろうと思えば変われる」「動こうと思えば動ける」を実感した
結婚式がもたらしてくれたのは、「仲間の安心感」「企画終了の達成感」だけではありません。PMとしてだけではなく主役としても着々と(かなりギリギリだったけど…)準備をこなしたり、情報を収集していくことで、副産物的に以下のような変化がありました。
その結果として結婚式で約6kg痩せ(補正下着のおかげで笑、ウエストは-6cm!)た状態で壇上に上がることができました。客観的な数値を伴う変化は、小学校からデブと罵られてきた、万年ダイエッターな自分からすると衝撃的な事実であり、それなりの成果実感がありました。
お金や時間をかけることでそれだけの見返りが返ってきて、肌もどんどんきれいにできるということに気づけたことは、単にそれ単体としての意味だけではなく、自分という「器」が、もともと与えられたものだけではなく、磨けば綺麗になるということを知る契機ともなりました。結婚式ほど強烈な動機を持ったボディメイキングの機会は少なくなるとは思うものの、思い立ったら実行できる自信がついたのは、とても大きな変化だと思います。
■共同体としての「自分」の在り方を認識した
結婚生活が始まり、また、結婚式を行ったことで、自分の意思決定は自分だけでは決定できないというアタリマエのことに気づきました。それだけではなく、自分の意思決定や成果が、近くにいる誰かに影響を与えるということも。
これは独身時代にはなかった感覚で、学生時代から(部活はテニス部だったりして)個人プレイしかやってこなかった自分としては、いかに「チームとしてうまくやっていくのか」を考える機会となっています。
■周りとの関係性の構築方法は「(言葉を通じた)対話」によって構築できるが、それに頼りすぎることの負の影響も理解した
私は年始に「対話の可能性」について言及していました。確かに、(友人関係、パートナーシップなどの、持続可能性を前提とした)他者との関係性というのは概ね、対話によって構築できるものです(かつ、自分の家庭内では十分な対話が行えてこなかった自覚があり、対話こそが「良好な関係性」の礎になるのだ、と信じていました)。
しかし、「対話によってさまざまなものを明らかにすることで失うものもある」ということに気付いたのも、今年の大きな出来事でした。
前提として、私たち夫婦は(自分で言うのはあれですが)「言語化能力が比較的高い」人員で構成されています。そうなると、意見の出し合いは様々なものを詳らかにしていく行為であり、それなりのグロテスクさを伴います。言葉というのは不可逆性・暴力性をはらむものである以上、相手を傷つけると知って言葉を投げつければ、それは修復不可能な傷にもなりえます。
また、本来であれば曖昧にしておけばよかったはずのものであっても、露出してしまえば取り扱わざるを得ません。お互いの相容れない意思決定は、2人の関係を引き裂くものにもなりえます。
では「それでもなお対話を続けるのか」。そこには答えはありません。感性で選んで良い領域だと思います。ただ、そう思える関係性のみが、継続できるのではないか、とも感じます。
対話を続けるためには、知性・品性・忍耐・包容など、様々な要素が必要になることでしょう。こういう問題を「自己成長」の糧にするのは毛頭おかしな話ではありますが、そういう壁を乗り越えてみて初めて、得られる気付きもある、と信じています。だから私は、これからも「対話」という手段をあきらめたくない、と信じています。
「家」という概念についても、考える機会がありました。
■「家」という概念について考えた
この1年は、自分の人生で一番「家」という概念について考えた気がします。「家」に紐づく個人が、個人の意思決定を行えないシチュエーションがある、ということです。「家」という、主語であるようでないものは、その中を覗けば誰かの思惑だったり、何らかの思い込みが含まれることだってありえます。また、その幻想でもあるかもしれない「家」という概念は、その家特有の「文化」に支えられていたりもします。
今年も身内を失う出来事がありましたが、そういうタイミングは、「家にまつわる文化を継承できるかどうか」が問われるタイミングでもあると思います。また、答えを出すのは、他でもない、構成員1人1人です。
私は「家」をポジティブに続けたいと思ったし、その関係性は良好であるに越したことがないと考えました。また、それを親の世代に任せていると、次の代に継承するのが難しくなる、とも思いました。
私は幸いにも同年代のいとこが多いため、仲良くなったりLINEを作ったり飲みに行ってみたりと、今まで対面でろくに話したこともなかったようなところから、少しずつ、関係を構築できる方法を模索しています。これについても友人関係と同じで(血縁があるので友人関係ほど簡単には途切れないものの、)能動的に動かないと関係性は構築されていかないからです。
これらについては今年も継続的にやり続けていくことになるでしょう。とはいえ、家のなかの問題として矮小化するのではなく、難しいことは都度「社会福祉」など、外部に出してたほうが健全なのかなとも思っています。
社会のなかでの在り方や、生業、はたらくことについても考えましたね…これはいつもな気がしますが。
■「はたらく」について考えた
社会人9年目にして3回の転職をしており、これまで「UXコンサルタント」、「BtoBマーケター」、「採用人事」、「コミュニケーションマネージャー」というそれぞれ異なる職種に就いています。また、2021年の終わりに個人事業主として登録をし、2022年は初めて確定申告を行いました。
これまで「正社員」「転職」という軸でしか「はたらく」を眼差してこなかった自分にとって、「個人事業主」という在り方は未知の領域であったことや、社長として日々奮闘する旦那の姿を目の当たりにしたことから、改めて自分の置かれた環境や境遇を俯瞰する機会を得ました。
これは、今後キャリアコンサルタントとして活動していく上でも大きな視点の転換だったように思います。日本の現行の制度上でのそれぞれのメリット・デメリットを理解した上で、自分は「勤めびと」として責務を果たしながら、いかに自分の望ましいと思える魂の使い方ができるか?を模索していき、それによって社会に自分の命を還元していきたいと思うようになりました。
■「背伸びや無理をしない」でやれることはあるのか?という思考を始めた
旦那さんと日夜対話をしているわけですが、「無理をしないで出来ることなんて何もない」と思っていた私からすると、旦那さんの「無理をすることが無理」というスタンスは、生きている中で最大と言っていいほどの衝撃でした。強迫観念ドリブンで、義務と締切に追いかけ回されている私とは全く違う生き方やスタンスで、自分の人生の勝ち筋を考え、遂行している彼を目の前にして、私は「背伸びや無理をしない」でやれることはあるのかという問いに対峙したように思います。思えば私の今までは、
キャパ限界までやって→ジェンガ崩壊して→ギリギリ息をして→息を吹き返すのを待つ→元気になったらキャパ限界まで→以下永遠ループ
みたいなことを繰り返しているわけです。これは持続可能性が非常に低く、人生が近視眼的、単発的なイベントごとでしかない原因の1つであることに気づきました。そこで、フルパワーで人と出会ったり新しいことをするのを少しずつやめてみたり、今まではお願いされたら引き受けていた仕事も、無理なら断る、ということをし始めてみた、という点で、今までと全く異なる行動をし始めた年でもありました。
強迫観念を手放すには遠く及んでいないものの、この思考を挟むことで「できないことはできない」と少しずつ認められるようになったように思います(例えば「知らない人との外交」とか…)。此処から先は「背伸びはしない」「けど成果が出る」領域を探すのが次のステップです。
■自分は今も昔もこれからも、「巻き込む人」であると気付いた
結婚式で収集したアンケートや、家にまつわる話、などを通じて、自分が仕掛ける側にいたほうが良い適材適所だと気づきました。恥の概念がバグっていたり声をかける障壁が低かったりという長所?だけでなく、電話がかかってくることやいきなり他人からメンションされること、日程調整されるのが苦手だったりと、プラマイ様々な要素が折り重なってのことですが。「関係性を重要視している」という前提の上で、「能動的に動かないと関係性は構築されていかない」と考えると、これは当然のことかなと思います。
プライベートな活動は、自分の人生に彩りをもたらしてくれ、自分の人生の大きな意味だなと感じています。
■よく旅行をした
これまでの感染症の状況と比較すると、少しずつ移動が許容されてきたように思います。今年は沖縄、熱海・函南、富山、京都など、国内の色々なところに赴きました。これまでと違うのは、そこに出張が含まれていたこと、色んな人と旅行したこと、そして、「行き先に会いたい人がいる」という状態だったこと。
ビジネス系かつIT職種のため、出張の機会にほとんど恵まれなかった自分としては、地方創生に関わり、現地に赴き実際に現場を見ることが何より嬉しかったです。また、単なる旅行ではなく、「行き先に会いたい人がいる」ことが、旅行をとても豊かにしてくれる、ということにも、当たり前ながら気づくことができました。
地味に大きな気付きだったのは、「旅行観」が人によって大きく異なる、ということです。言われてみれば当たり前の話かもしれませんが、
など、本当は色んな嗜好性があります。また、キャパシティもさまざま。
嗜好性と制約をかけ合わせた先に、「この旅行に一緒に行くのに適した人は誰なのか」という問いの答えがある、ということに、強烈な体験に紐づく気付きが得られました。
これらに基づくと、「自分と相手の好ましい楽しみ方」と「自分と相手の旅行におけるキャパシティ」を最初にすり合わせたほうが良いということになるわけですが、何も全く同じである必要はありません。
別のものでも交わる点があったり、許容度がある者同士ならOKだし、最悪譲歩するポイントを見つければ良いわけです。「対話」のくだりでもありましたが、「明らかになっていないこと」のリスクが高い領域でもあるので、ここはすり合わせておくことが大事だなと思います。
■「推し活」の彩りについて考えた
2022年はイコノイジョイ(特に=LOVE野口衣織さんと、≒JOY大西葵さん)や、サンリオ(上半期シナモロール、下半期あひるのペックル)をたくさん推した1年でした。
特にダウナーな気持ちでずんと沈んでいて何も手につかないときや、実際にコロナでダウンしているときに、これらの存在に非常に支えられました。また、彼らの頑張りに引っ張られて、「自分も頑張らなきゃ!」(「もっと積みたい!」も含む)というプラスのモチベーションにもなりました。
特にアイドルの推し活については、
マイナスのときにはそっと支えてくれ、プラスのときには頑張る同士であり、思いっきり愛する対象であり…そんな尊い存在として、大切にし続けたいと思っています。
自分の限界と向き合った話もしましたが、自分をうまく乗りこなすことについて考えた1年でもありました。
■「WAIS-Ⅳ」「CAARS」の受験、心療内科への定期的な受診、認知行動療法の開始
「もしかしてADHDかも…」と思うことは、自分の人生のなかで無限にありました。やろうやろうと思ってできていなかったそれらの検査が出来たのも大きかったです。
(現在診断名として使われてはいないものの)いわゆる「ADD(注意欠陥障害)」である可能性が高いということが分かり、スッキリしたなと思います。もっと具体的には「注意集中を維持するのが難しい」「具体化されていない、曖昧な事柄を想像したり推測するのが苦手」「将来的な見通しを立てたり、計画的に物事をすすめることが難しい」「初めて扱う情報に注意を向けづらい」とか。
困り感が何によって引き起こされるのか(それぞれの数値に差分があるところに困り感を持ちやすい)、どのように解決できるのかについて考えられたので、ただ困っているだけのときとは変わってきたのかなと思います。
「他人に相談して、今後の行動・計画を具体化する」「よくわからないことや名前などを聞いたら、すぐに調べたりメモする」をやるようにし始め、その後、この結果を踏まえ今までなかなか着手していなかった「認知行動療法」にも取り組み始めることができました。
■「コーピング」の概念の言語化ができた
「自分にとって何がリフレッシュになるのか?」ということを考えるきっかけがたくさんあったのも、今年の特徴だったように思います。
など、「身体性と向き合える」ものがリフレッシュに繋がる(逆に言えば、今までは、「飲み」がリフレッシュの手段だったと思っていたけど、どちらかというと「身体性と向き合う」と逆行した行為だと気付いたため、コーピングの内容ではない)と言語化できたのは、自分にとっての収穫でした(ただ、例外なのは「睡眠の長さ」で、長いとメンタルが割と落ち込みがちになるので、適度な量であれば睡眠時間が多い必要はないとも気付いた)。
ちなみに、もともと温冷交代浴の民で、サウナを(陽キャっぽい趣味だな…)という理由から毛嫌いしていたのですが(こら)、温浴施設でついでに行ってみたり、友人から布教されてみたり、自分でも実際に実践することで少しずつその良さや使い方が分かってきたので、無理のない範囲で続けようと思います(とはいえよく倒れるので用法用量を守って正しく)。
# まとめ:2022年は「身の丈を知り」「好きを加速させた」1年
2022年は結婚式を中心に、自分の「やりたい」「好き」とつながりながら、それを源泉として物事を推進してきた1年だったなと思います。だからこそ、自分の「やりたい」の炎を絶やさない工夫が必要だと痛感した1年でした。
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