「偉い人曰く」というプロトコル

人からの問いかけをむやみに「プロトコル」として大括りにするのはあまりいいことではないよなあ、と思いつつ、これにも悩まされることがあるので書いてみる。

「偉い人曰く」というのは、世の中の偉い先生や過去の偉人、自分の習い事の先生などの発言を引いてきて、「ここで○○先生はこういうことを言っていたのだが、あなたの言ってることはそういうことか」「この本に××氏はこう書いていたのだが、これは正しいのか」といったことを例えばSNSのコメントなどで書いてくるもの。

一度ならまだしも、連続すると「この人は何を言うにも『偉い人曰く』で他の人の言葉を使わないと自分の言いたいことを伝えられないのだろうか」とか「こんなにいろんなことを知ってる自分はすごいでしょうとでも言いたいのだろうか」ともやもやした気持ちになってしまい、きちんとコミュニケーションする気力が萎えてしまいがちになる。

文字通り質問に答えようとすると、そもそも私はその言葉が載ってる本は読んでないし、その発言がどういう文脈で出てきたものかもわからないのに「そういうことか」「正しいのか」と聞かれても答えようがない、というのが正直なところ。

でもおそらくそういうときの「そういうことか」「正しいのか」は質問ではなく、裏に流れているのは「自分はそう思う。Yesと言ってほしい」「正しいと言ってほしい」という主張なのだろうと思う。こちらはそんなこと言われてもYesともNoとも言えないのだが、それをストレートに伝えると相手は拒絶されたと思ってさらに別の「偉い人曰く」で食い下がって来たりする。

自分の言いたいことを補強するのに「偉い人曰く」を使うのはよくあることでそれ自体は別に構わないと思うのだが、引用と自説の関係みたいなもので、自説があって初めて「偉い人曰く」も効果があるのではと思う。いくら他人の言葉を使っても、言ってる本人は「偉い人」ではないのだし、使いすぎるのは説得力がなくてむしろ逆効果に感じる。大切なのは、その言葉を使って「あなたが」何を伝えたいのか、ではなかろうか。

※プロトコルとは(IT用語事典より)

プロトコルとは、手順、手続き、外交儀礼、議定書、協定などの意味を持つ英単語。通信におけるプロトコルとは、複数の主体が滞りなく信号やデータ、情報を相互に伝送できるよう、あらかじめ決められた約束事や手順の集合のこと。

コンピュータ内部で回路や装置の間で信号を送受信する際や、通信回線やネットワークを介してコンピュータや通信機器がデータを送受信する際に、それぞれの分野で定められたプロトコルを用いて通信を行う。英語しか使えない人と日本語しか使えない人では会話ができないように、対応しているプロトコルが異なると通信することができない。

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